2.雷の神様
溝男が「溝」と密約状態にあるように、私自身にも、交わすべき「密約」がある。
一体、それは何と交わされるべきものなのか。
それを明らかにするため、とあるエステティシャンに会うことになる。
彼女は「体に触れると、その人に憑いているものが視える」という噂だった。
彼女に会うため、1時間ほどかけて電車で山手に登った。
山あいの駅に到着してバスロータリーへ出ると、7人乗りの黒いバンが止まっていて、助手席の窓がゆっくりと開く。
小柄な女性が私を迎えに来ていた。
瞳が光を吸い込むようにキラキラと黒い。
「ライカさん?」
ショッキングピンクの薄い唇が、転がるように喋る。
それだけで、明るい人だと分かった。
彼女のサロンに着くまでの15分ほど、整体師の男性から聞いた「密約」の話をした。
その話に目を輝かせ「楽しみ〜〜〜!」と、私をサロンの自室に招き入れる。
ふわふわのスリッパが準備されていた。
5畳半くらいの部屋に、
大きなタオルがかけられた施術用のベッド。
小さな棚には、キャンドル、ドライフラワー、ハーブ、ウォーマーなどが置かれている。
「じゃ、服を脱いで、ベッドにうつ伏せで。このブランケット使ってくださいね。」
服を脱いで、うつ伏せになる。
彼女は、人肌にあたたまったオイルを使って、私のふくらはぎに触れる。
触れてすぐ「円形に連なった太鼓が見える」と言った。
その中心は白く霞んでおり姿がよく見えず、男か、女かは判断がつかない、と。
彼とも彼女とも断定できぬ「それ」は、悩む私に対して「全部、どうでもええ」と繰り返しているそうだ。
左手に、青白い閃光のようなものがピリピリと走った。静電気のような感覚だが、それにしては妙に明るい。
「光は直感だ」と「それ」は言う。
たしかに、直感は、光に喩えられることが多い。
昭和の漫画でも、直感の冴えるシーンには電球が使われる。
「お前はもう、考えるな。全て、どうでもいい。」そう言って、全てを直感に任せて生きるよう、結構偉そうに指示される。
マッサージを受けて暖かくなっていたはずの体が、突然、ひんやりとした冷気に包まれる。
全身が灰色の渦の中に飛び込んでいく。
その渦の中を、豪速で進む。
硬く冷たい粒が身体中にぶつかる。
雹(ひょう)だ!
身体中をチカチカと駆ける氷の粒が、雹であると理解した。
氷の粒の勢いは強く、その打撃と冷たさによる低温火傷で、肌が数センチずつの間隔をあけて赤くヒリついた。
ここは暗雲の中だ!
理解と同時に、一点の明るい光のもとに吸い込まれていく。
速い。速すぎる。追いつけない。苦しい。
暗雲を突き抜け、光が見えた刹那、何者かに肩を強く押され、空から真っ逆さまに落ちていく。
「落ちてる!」
思わず声を出す。
施術しているエステティシャンが答える。
「見えてますか?落ちてますね。頭から。」
いつのまにか、暗い水の中にいた。
まだ体の自由は効かず、頭から落ち続けている。
どこまで行っても、底がないまま落ち続ける私を見届け、施術は終了した。
エスティティシャンと同じ情景が見えていたのか確かめるために、絵を使って示し合わせたところ、全く同じ光景を見ていたことが明らかになった。
そして、私に憑いているものは「雷神」だと結論づけられた。
明瞭な姿は見えなかったものの、雨雲の上で円形に連なる太鼓、また澄んだエネルギーが感じられたということだ。
帰り道、すっきりとした頭で、自身に憑く「雷神」について考えた。
過去の記憶を遡り、
「出会った瞬間、雷が落ちたように衝撃を受けた。」
「あなたは稲妻だった。」
と言われたことがあるのを思い出した。
深呼吸を繰り返し、施術中、何者かに空から突き落とされたときのことを、もう一度、できるだけ精密に再生する。
思考に捕らわれた俗物「人間」として生きていることを、雷神に戒められたのだと感じた。
俗物である私は、空から突き落とされて死に、生まれ変わることを示唆されている。
11月、旧暦で、神無月とされる日のことだった。
次話 3.鬼からの示唆
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