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15.美徳の轟(丸に梅鉢・楽曲コラム)

「これ、藤井風さんが歌ってますよね」

samastalokāḥ sukhino bhavantu

諸々の統合世界は
(それぞれの全体にわたって)
〔神のために〕幸福になれ

サンスクリットー音読のための基礎文法より

こういった意味となるそうだ。

このマントラを藤井さんが歌っていることは知らなかったが、はじめて唱えた時から好きなマントラだ。唱えた時は自分の楽曲に入れようなど全く思っていなかった。

このマントラの、膨大な時間の経過を感じさせる落ち着いたメロディーライン
その落ち着きと拮抗して、ぎらりと世界を見つめ進んでいく小さな無数のエネルギー

唱えると、なんとも言えない壮大な感覚になるが、私の声帯の揺れは小さくか細い。

大きなものと小さなものが絶えず震えあいながら、馴染んでいく矛盾が集約されている。

ある時、落ち込んでいる心のままにピアノの前に座り、だらりと音を鳴らした。

全身の力が抜けきっていたせいで、とても優しく柔らかい音が鳴った。

その小さく揺れた音の、壮大であり、ちっぽけさ。

このマントラを唱えたときと同じ感覚だと思うのだ。

そうしてぼんやり過ごしていると、ちらちらと、輝く黄金色の尾が、私の脳裏によぎる。

世界の膨大な時間そのものとともに、囂々(ごうごう)と滑空するこのマントラと、不死鳥は、ほとんど同じものではないか。

不死鳥のような曲を作りたい。

その不死鳥は、私たちの中に存在していて、時折「輝く一滴の涙」になったり、「心膜の薄い金箔」になったり、「救い」として今世に表出される。

澄みきった心が今ここに表出する瞬間について言語化することはとても難しい。

それを人間は、神だとか、救いだとか、あの世だとか、はたまた星になったおじいさんだとか、さまざまな名前で呼ぶ。

「心の中に不死鳥を飼っている」と表現することも出来るだろう。

輝く一滴の救いで生きるの

『丸に梅鉢』15.美徳の轟より


この歌詞には、不死鳥であり、神であり、美しい真実や救いであるものが、人間の身を通して表出した瞬間のことが込められている。

「美徳」とは、人間がよりよい運命を知るために積み重ねるもの。

その大きいも小さいも混ざり合った「轟」を忘れず胸に持つことは、不死鳥とともにこの世を滑空することに似ている気がする。

平和のマントラとともに「自身の中の不死鳥」を見つめながら聴いてもらえると、新たなこの曲の一面が見えるのではないか。


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