5.入道雲(丸に梅鉢・楽曲コラム)
「夏」という季節を、生命欲が切り取られた箱庭のように思っている。
今は真冬だが、夏を想起してみよう。
クーラーのきいた部屋で、大きな窓から、夏というドラマを見ている、という設定がいい。
太陽に対し、くっきりと、強く、発光し返す影。
それを捉える瞳。
引き締まった虹彩。
青々とした美しい葉は重なり合う。
張られた葉脈は威勢よく、夏を刺す。
その尖った夏の端に誘われて、外へ出る。
咽せ返るような暑さ。
べったりとした不快感。
こだまする蝉の声。
豪雨の底鳴り。
「生命欲」というものには、音があったり、においがあったり、暑かったり寒かったり、しないはずだ。
それなのに、夏を想起するだけで、こんなにも「生命欲」というものを感じる。
何から、それを感じているのだろう。
その謎は解けないが、私は「夏」というものを「五感では感じ得ないエネルギーが充満している箱庭」と捉えているのだ。
積乱雲が急発達した「入道雲」も、夏の象徴である。
真っ白なその身に、太陽の光が反射して、無駄に明るい。
それなのに、中に潜むのは雷雨と豪雨なのだ。
入道雲も「生命欲の箱庭」だ。
五感では感じ得ないエネルギーが充満している。
入道雲を眺めていると、なぜか切ない気持ちになる。
この大きなエネルギー体は、数時間後、地上の秩序を奪う。
「美しい」と思いながら、孤高の存在のように感じている。
わたしは自分の生命欲にも、切り取られた箱庭のような孤独と狂気を感じる。
それは「夏」と共鳴する。
世界から切り離された孤独を歌ったこの曲を、夏の象徴である「入道雲」とした経緯の説明になっているだろうか。
雷の夏、という名に恥じぬよう、代表曲として羽ばたいてほしい曲の一つである。