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3.鬼からの示唆

エステティシャンに「雷神が憑いている」と言われてから数週間経った。

ある日、急に、ピアノが喋るようになった。

「そこの音、強すぎる」
「もっとお姫様をキャッチするように弾いてくれないと困る!」
「あ〜だめだめ!このフレーズの深いところはそこじゃない」

弾くのをやめると、お喋りは止まる。

大事なライブを控えていたため、練習をしすぎておかしくなって、楽器の声が聴こえるようになってしまったのだろうかと思った。

ピアノの先生は驚き、「急に上達したね。何がどうしたの?」と尋ねる。
何がどうしたのかは、私が知りたい。
声の主であるピアノはやけに乙女チックで、感覚的で、素早い。
喩えるならば、風のように、サッと吹いてサッと消えていくような感じだ。

幻聴、だろうか。

しかし、生活に支障は全く出ておらず、むしろピアノは上達している。
ピアノが喋っていても、困らなければまあいいか。
レッスンが終わった帰り道、道路の信号を待ちながら鼻歌を歌う。

「そのフレーズのアクセントはそこじゃないよォ」

また、この声だ!
ここは道路。
ピアノはない。
つまり、声の主は、ピアノではない。
もしかして、この前見てもらった、雷神?
いやいや、こんな乙女チックで、子供みたいな喋り方をする雷神がいるものか。
自問自答を繰り返す。

誰だ?

それから、私は、ピアノの練習のたびに声の主を探るようになった。

練習中、声はやはり頭に浮かび、サッと消えることを繰り返す。

アドバイス通りに弾いていると、女性のシルエットがぼんやりと黄金色に光りながら浮かんでくるようになった。

次第にそのシルエットは、チェンソーマンのパワーちゃんの姿になっていく。


「えっ?鬼なの?」

私は無意識にそう聴いた。

パワーちゃんはニコッと笑い、後ろを向いてフッと消えていった。

私はこの映像を、どこで視ているんだろう。

目の前には、ピアノの鍵盤や譜面立てがしっかりと見えている。
しかし、脳の奥底でもハッキリと、パワーちゃんの映像が視えるのだ。

これは「想起」の感覚によく似ている。
例えば、埃っぽい木の匂いを嗅いだときに、小学校の校舎の教室や、太ももに張り付く木の椅子のつめたさなどが、ありありと思い出され、映像化される。
目の前にないものにも「感覚」はアクセスをすることができる。

「ねえ、鬼なの?」

もう一度、尋ねる。

しーんとした防音室で、なにかがにっこりと笑っているのが分かる。

「鬼なのね?」

そう問いかけると、今度はまた、別の映像を視せられる。

それは、尾形光琳の、風神雷神の屏風絵だった。


そういえば、風神と雷神は、鬼の姿で描かれている。
私の中には、雷様と同時に、鬼が棲んでいるのだ。

雷と鬼は、切っても切れない何かしらの関係を、太古の昔から持っているということを、唐突に理解した。

うる星やつらのラムちゃんだって、雷使いで、鬼の姿をしている。

雷と鬼との関係のあらましを知るのは、ずいぶん先のことなのでここでは割愛する。

ひとつ言えることは、「雷」というものは「神鳴り」の変形であり、天地を、音と光によって繋ぐ存在なのである。

私には、雷と鬼が憑いている。

鬼の存在に気付いてから、私は摩訶不思議なスピリチュアル体験を、加速的に増やしていくことになる。

次回は、雷神と鬼に気付いた私が、日本の故郷「島根県」を訪れる話をしようと思う。

次話 4.島根県へ発つ

小説の前書き(0話)はこちら


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