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おじいちゃんのこと

父方の祖父母と一緒に住んでた。
おばあちゃんは物心ついた時にはリウマチ でほぼ寝たきりだったけど
鰯のつみれはよく作ってくれてた。あたり鉢でゴリゴリして。
(今思えば痛かっただろうに私の大好物だったから…)
おじいちゃんはすぐ私に意地悪言うから反撃してたw
おばあちゃんが60代で亡くなってから、私たち兄弟はおじいちゃんの寝てる1階に部屋をもらって気づいたんだけど、夜中に毎日うなされてた。
許してくれ許してくれって。理由はわかんないけど
あまりに毎日すぎて慣れっこになってた。
そんなおじいちゃんは新聞屋さんが使うごっつい自転車で
腰越から横須賀とか鎌倉霊園とかどこでも行ってた。
仕事も毎日近所の鉄工所で働いてて、仕事帰りに角打ち2件と
夕食時に寿司屋の湯呑みにナミナミ日本酒、
枕元にサントリーレッドに赤ワインを混ぜた元気の素。
常にほろ酔いだったけど健康だった。

ある時、歩道の段差と砂で自転車引っ掛けて転んだおじいちゃん。
膝の皿にヒビが入ったって自宅療養してたらどんどん弱っていって
1ヶ月ほどでなくなっちゃった。
病院でも見舞客や看護師さんがいなくなると壁から人が出てきて怖いんだって怯えていた。3人くらい出てくるんだって。
私的にフーン?って病院だからそんなもんでしょって流しちゃったけど
今思えば夜中のうめき声とかと関係してたのかなぁ?って思った。
おじいちゃんはいわゆる南京大虐殺にかかわる部隊にいて、
毎年靖国神社にも行ってた。
わたしには南京大虐殺なんてなかったってよく言ってたんだよな…

あとは亡くなるほんの少し前に改宗してクリスチャンになったのね。
これもよく考えたら先に亡くなったおばあちゃんのために建てたお墓、
十字架が彫ってあって、日蓮宗のまんまじゃ入れないもんなぁ
そう言うことかって納得した。

孫から見たら酔っ払いのアル中おじいちゃん、
亡くなってから知ったのは、空になったでっかいサントリーレッドの瓶に
お金を入れて貯まると募金してたのと、近所の孤児院?て言い方はあれだけど
そこに給料日の度に段ボールいっぱいにお菓子買って届けてたんだってさ

なんかお化けの話からずれちゃったけど。
あ、違う。亡くなってからも夜中まで私が起きてると様子を見に覗きに来るのは変わらなかったよ!

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