板五米店-今までとこれから-
【今まで】
板五米店は築100年の米商家を再生するだけでなく、「持続可能な利活用保全」を目的として2019年12月より3年間営業してきました。
“建築物を保全維持すること”を手段とし、飲食店として建物を再生。当初の重要課題が、この街に価値ある建築物が存在するという事を認知してもらう事でした。特別に新しく作り変えるのでは無く、今まであった日常の継続。近隣の何気ない風景であった「”板五米店”という屋号を消さない」という想いから“お結び屋”として今に至ります。期間、沢山の方にご来店頂き当初の目的は達成されと感じています。
【いま】
この建物を未来に残す為には何が必要かを改めて再考しました。地域の皆様にさらに愛されるは必須です。ですがお店である以上”サービスをする側、受ける側”の関係性で維持され、そこに日常の繋がりが生まれたとて、我々が消えてしまえばその蓄積は一瞬で消滅してしまいます。どんなに愛されたお店でも商店主がいなくなればお店は無くなり、前にあったお店など人々の記憶からすぐに消えてしまうのをこの商店街で僕等は沢山見てきました。到底それは持続的とはいえません。
【営業を通して再考したこと】
「お店とお客様」の関係性を超えフラットに物事を考えられる。この建物を各々のバックボーンを活かし自立的に維持しながら次に繋ぐことはできないか。。そこで考えたのがお店としての空間を狭め、客席として管理していた空間を半公共として開放することです。
自由に使いながらも各々が自立的に考え「居心地の良い場」を居合わせる人で創り上げる。板五米店を地域資源の共用エリアとして日常に使いながら、次世代に継承していく手段を模索していく。その日々を過ごし蓄積する。
自由、解放にはハードルがあります。客席が減るので経営面でのリスクもありますが、一番は「占有や配慮無き無秩序が生まれる事」です。過去にも何度か試し見ましたが結局は「コモンズの悲劇」と似た結果に至ります。誰かに管理されること、この場の共有価値を自ら考える。その文化がある場を小さくともつくる事ができれば、リスク解決の手段が生まれます。
売り買いだけでは消費されない価値を創りたい。価値とされていない「いつも当たり前にある日常の風景、営み」を小さな価値とする人をこのエリアにもっともっと増やしたい。板五米店は建築的な価値があるだけで、そこに営みが無ければ無機質なモニュメントが地域にあるだけ。
これは板五米店だけが価値では無いことも意味します。このエリアの価値はここに暮らしがあり、代々続く店が地域にまだ沢山ある事、さらにそこに行き交う地域の人、営み、これら全ての一連があり、始めて古い建物が価値となっていくと考えます。 奇跡的に地域に古い建物が残り僕等が継いだ。継いだからには、さらにその先を見据えなければなりません。持続可能とは”継承”していくことだと感じています。継承とは誰かを信頼して託す事と同義でもあります。
【”まちづくり”から”家づくり”へ】
このような活動はとかく「まちづくり」と称されますが、そのような大それた感覚は一切ありません。どちらかというと「家づくり」の感覚に近いと思います。
僕等の定義する「家」は建築物では無く「地域での営み」を意味します。いま身の回りにあるヒトモノコトを想像力を持って小さくとも丁寧に関係を持てば、どこにでも「家」はできると信じています。
全てを家と感じる事ができる誰かがまた、地域の価値あるものを継承していく。その循環を生み出すまで、襷を繋ぐまでが僕らの役目だと感じています。
これからの板五米店は「託す」為に色々な実験をしていきます。手段は様々で伝え方、発信の仕方も拙く下手なので、ちぐはぐに見えるかもしれません。"できない理由を探し何もやらないより、今すぐできる小さなアクション"ができる人が五月雨にコトを起こす現象でもあります。どんな手段でも目的は変わらず今までも、これからも一貫しています。
この一連がいつか繋がることを信じて、次の段階に挑戦していきます。
無理せず気楽に楽しくは忘れずに。
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