ビー玉・傷・歪み・器と身度尺

 日本の器(うつわ)で もっとも大切なことは、器を手で持つことと思います。この数少ない食習慣の中で、器は味わわれるようになり、自由さや気づかう文化を育みました。一咫半(ヒトアタハン=広げた親指と人差し指の先の距離)など箸の長さの目安がある様に、揃うことよりも自分の体やクセを優先し、箸や器・銘々碗・銘々皿などを選べる自由があります。相手と共有する場所・時・気持ちに合わせ、器を替えて選べる思いやりがあります。体力が弱った方に、軽い小さなうつわで設える優しさがあります。身度尺と言われますが、1人1人の体に合わせ物の大きさ・使い勝手を測る文化は、1人だけのための道具(属人器)を育て、収まりが良い・馴染む・しっくりと言った感性をみがきました。さらには、1人1人の思いに合わせ相手にあわせた「おもてなし・しつらい」、器を通じて思いやるやさしさや気づかいを育みます。

 一見、揃うことを重んじる和の文化ですが、それだけではありません。焼き物では焼成を経て,さまざまに不均一に変化します。工業製品であれば欠陥品・粗悪品でしょう。しかし不均一な表面を表情とし、「見立て・景色」とよび自然界になぞらえ、その変化自体をうけいれます。茶碗「喜左衛門井戸」では、歪み・ムラ・傷にこそ美を見いだされ国宝にもなりました。

 僕たちは、いまでも様々なモノに「かけがえ」のなさを感じてきました。小さな頃から、ビー玉に惹かれ、変な石を探し、汚れたぬいぐるみに愛着を持ち、宝箱を満たしたり、友達としていました。失っては泣いていました。

 でも様々なモノにかけがえの無さを感じていた僕たちは、その一方で、「みっともない・ケチ臭い・みすぼらしい」、「ゴージャス・勝ち組・負け組」などの言葉に染まってしまいます。思わず「気を付けて,高いんだから!」「いいよ、いいよ、安いんだから」と、言ってしまします。大切にしない文化も身に付けてしまいました。

 それでも、一つ一つモノの大切さ、一人一人のそれぞれの思い、その大切さを思い出させてくれる言葉は、素晴らしいです。「かけがえのない」「もったいない」「いただきます」。いつでも、失ってしまった時の悲しみや、大切にする自分だけの思いに立ち戻れる言葉があるのは、恵みでしょうか。

#未来のためにできること

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