だんご3兄弟について(再掲)
読者のみなさんこの曲を知らない人はいないかと思います。
当たり前ですが、「だんご3兄弟のテーマ」。
長年様々な人に愛されてきたヒットソングである。ただ、ここで考えてみてほしい。読者の皆さんは「だんご三兄弟」のアニメがどんなだったか覚えているだどうか。
ストーリーを覚えているだろうか。
曲だけが頭に残っていて、彼らだんご一人ひとりのことを僕らは何も知らないのではないか?
串団子三郎について
まず名前だ。
読者の皆さんは彼らの名前を知っているだろうか。彼らの名前は上から順に、
長男:串団子一郎
次男:串団子次郎
三男:串団子三郎
というそうだ。やはり兄弟なので顔が似ているのだが、実はそれぞれを見分ける特徴に鼻の形がある。
長男・次男が⊂に対して、三男は∩なのである!!
筆者は思った。なんで三男だけ違うんや?!
人と違う容姿に対するコンプレックス
完全に筆者の想像だが、きっと三男の串団子三郎は自分の容姿にコンプレックスを持っているに違いない。
一番身近な人物である一郎・次郎の鼻の形は⊂なのに対して、三郎だけの鼻の形が∩なのである。
普通の兄弟だったとしたら、兄弟とは番うように自分で着飾ったり、差別化を図る努力ができるかと思う。
しかし、彼らは醤油団子であり、四六時中串で繋がれ、離れられないのである。
「離れられない」という事は、見る人によれば、「あら仲良しなのね」で済むことだが、当の本人たちはそれで幸せなのだろうか?
距離が近すぎるが故の悩みを三郎な持っていないのだろうか?
皆さんはどうだろう。
自分が他の兄弟や親と似てなくて悩んだりしたことは無いだろうか。
もちろんこの記事を読んでいるような人はもう大人だろうから、そんなことをいちいち気にしても仕方がないことくらいはわかっていると思う。
しかし、三郎はまだ幼く、精神も成熟していない三男なのである。
まだ、何も知らない無垢な狭い世界の視点からものを見たとき、自分の容姿が一番近い存在である兄弟と違うと気づいたとき、それは彼にとって大きな悩みの種になるに違いない。
「ぼくは本当に兄さんたちの弟なの?」と。
…強く念を押すが、すべて想像である。
先日の毎日オムライスのコラムでもコンプレックスに関しての話があった。
それとリンクするところもあるかもしれないが、誰しも自分の容姿に対して多少なりのコンプレックスを持っていると思う。
コンプレックスについて
筆者の自分語りになってしまうようで恐縮だが、筆者もまた少年時代に”自分の顔の堀が深い”というコンプレックスを持っていた。
父方の家系の人が全員そろって外人に間違われるくらい堀が深いので、血がつながっていないみたいな悩みはなかったが、子供の時から外人やハーフじゃないかといわれることが多かった。ハーフといわれるというと聞こえはよいが、自分の場合は東南アジア系の顔といわれるのが多く、それで幼い棚林は傷つくことが多かった。
小学校のころは幸運にも殴られたり無視されたりというようないじめを受けることはほとんどなかったが、「インド」「カレー屋さん」などといじられることは少なくなかった。
本当は嫌だったが、その頃の自分の鉄板ネタ「ナマステ~」は、小学生相手には意外とウケたので、嫌なことをいやといえないまま周囲のウケを考えて生きていた小学生だった。
(周りに流されてしまう性格は今思えばその頃すでに形成されていたのかな。)
そんな筆者も年を重ね、わりと大人になるにつれて、いつからかそんな自分の日本人離れした顔に対してのコンプレックスは薄れていたな。完全に消えたわけではないが。
今でも本当にたまに「外人かと思った~笑笑」といわれてイラっとすることはあるが、別に毎度のことで慣れたし相手も悪気があって言ってるわけではないし、コミュ障の自分に対して話題を提供してくれただけありがたいなと思うようになった。(というか今はそっちのコミュ障の方がコンプレックスだ笑笑)
堀が深いという点も、人より顔を覚えてもらいやすいという点でメリットもあるし。
という感じで、子供の時にコンプレックスに感じていたことって、大人になると慣れてあまり気にならなくなる、というかイジり等々それが原因の悩みの種に対しての対処法を学習したことでさほど問題に感じなくなった、というのが正しいのだろうか。
とはいえ、自分の悩みは自分しかわからないもので、串団子三郎のように自分のコンプレックスに対して悩みを抱えている人はまだまだいるとは思う。
そんな三郎たちに言いたい、時間が解決する。
大したことないと思える日がいつかきっとくると。
それでも悩みが解決しないなら、コンプレックスのことも考えられないくらい、好きなことに打ち込んだり、必死で何かに取組んでみてはどうだろう。
自分だけ鼻の形が違うなんて悩みはちっぽけな悩みだったのだと気づくときが、串団子三郎にも訪れますように。
…繰り返し念を押すが、すべて想像である。