はよ穴ほれや!(努力と目的について思うこと)
毎日コラム生活から一月ほどか、それ以上か経ちましたね。どうも毎オムです。
なに急にコラム書き出してんねんって思う人もいれば、そもそもこんなもの誰も見ていないかもしれない。
コンピも一段落したので一旦人生のセーブする感覚で、今思うことをただただ書きつらねたいとおもう。
ポケモンで学んだ。
大事な場面の前はセーブする。
レポートはこまめに書く。
この前の休日、1日なにもしてないのは嫌だなぁーと思いたった私は特に意味もなく外にでて散歩をしてみた。
気づいたら2駅以上歩いていて、あーこの道ってここにでるのかーとか、あれ、この駅ってここだったんだ!近いやんけ!みたいな発見をしながら考えていたことがある。
この間鮭とばくんと話していた
『目的の見えない努力ってもやもやする』
ということについてだ。
私は特にだが、説明書を読まずにゲームをはじめるタイプなのでとりあえずやりたいことがあればやってみて、トライアンドエラーの中で学ぶ精神である。
元々私は『考えすぎて無駄な時間をすごしがち』になってしまう人間であることを心得ているため、なるべく行き詰まったら行動するようにしている。
そこから学んだこととしては、机上の空論で勉強するより、実際やっていくなかでうまくいかない所を勉強したり特訓するのがいいということだ。
仕事をはじめて思ったことでもあるが、学生時代理解に苦しんだあんなことこんなことも、実際業務で目の当たりにして『なんでこここうなるんやろ?』と思ったとき勉強したらスッと頭に入ることがある。
つまり、
『今分からないのはここの部分。』
『今ぶつかってる壁はこの部分』
だからその部分について勉強したり、練習等をして壁を乗り越えるのが一番理にかなってるよなぁーとおもうわけである。
もちろん基礎的なところを理解してないと、なにがなんだかわからない。ということもあるだろうが、それもよくよく考えてみたら。
『これをはじめよう!』『あれ、なに言ってるかわからへん。』からの用語の勉強だったり、基礎トレをしているだけである。
人間はずっと学校で教えられる事を理解する事に慣れているため、ここが抜けている気がする。
本来、やりたいこと!に対してぶつかる壁を壊す手段が勉強、特訓、練習、等々だとおもう。
あくまでそれらは壁をこわすためのツールでしかなくて、勉強すること、特訓すること、練習することに意味はないと私は思っている。
そのツールを使いこなすことをゴールにしていることに要は私や鮭とばくんはもやもやしているんだな!という事であると思う。
例えば穴を掘ってトンネルをつくりたい。
という目的があったとして。
ではトンネルを作るには??
→穴を掘らないといけない。
穴を掘るには??
→スコップという道具を使いこなす必要がある。
という流れになるとおもう。
これを、汎用的にあてはめると
延々と『穴を掘るにはこれくらいの力が必要で~』
『スコップをうまく使うにはこの角度でこういう力で~』
『本当に穴を掘る前にスコップで掘る練習を毎日しよう!』
とかやってるのと同じやんけ!と私は思ってしまうのだ。
はよ穴ほれや!お前の目的はスコップの達人になることなんか??
と言ってしまいたくなってしまうのである。
もちろん私が言うから恐らくこの精神はよくないのかもしれないが、目的を見失うのって
飲み会で『あれ、これなんの話してるんやっけ??』
となるしょうもない時間を過ごすのと同じなんやろなーと思いつつそういう時間も大事か。
とおもったりするのであった。
おわり!