サボりがちコラムニスト(はてなブログ再掲)
毎日コラム生活66日目。こんにちは!The.Itackworks棚林です。
弊社お盆休みなしで明日も出社のため、今日もはてなブログ時代の再掲になります!
最近コラムサボりがち!
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「近所のおばちゃん」について
2020/5/28 はてなブログ投稿
どうも!
The.Itackworks棚林です!
前回のピッキングについての話ですが、思っていたよりウケがよかった様で、コメントも頂けたりしまして、
「みんな意外とちゃんと読んでくれているんだなあ」
と、とても嬉しく思っております!
ありがとうございます!
「ピッキングの際に、脱力は必要か」
という話、コメント頂いた内容関連なので今回ははじめに少し触れておきますね。
ギターは筋肉で弾くの?それとも脱力?
人によってかなり意見バラバラかと思いますが、これに関して筆者個人的には
「スムーズな動きのためには脱力も必要だけど、最終的にはある程度のパワーも必要」
かなと思っています。(速弾きなど出来ない人の意見なのであまり説得力無いですが)
個人的には、弦とピックの接地面積を極力減らして弦からの抵抗が少なくなるような、力を入れなくても均等な音が鳴るような弾き方が出来るようになって初めて、力強い振りを意識するっていう段階を追った流れが自然で、体に覚えさせやすいのかな…
なんて思って練習していますかね~
書いた本人が1段階目も出来ないので、完全想像でしかないですが。笑笑
速いフレーズも頑張って習得していきたい。
そしてこのコラムで共有できたりしたらカッコいいですよね。
そしてそれをバズらせたい笑笑
その為にも、こういう場所で情報共有して「それ違うよ」とか「こうしたらいいよ」とか話して、技術の向上につなげていけたらな~なんて思っています!!
Hidenoriの動画とかよく見たりしてたのですが、こちらもなるほどなという内容なので、「右手についての考察」関連で載せておきますね。
(上で書いた僕の考えとは別観点かも)
こういうような、「普段ギターを弾くときに意識していること」みたいなの、親しい人とかとも普段なかなか話す機会とかない内容かと思いますが、共有したらみんなプラスになるんじゃないかなと思うんですよね。
一度いろんな方からお話伺ってみたいなあと常々思っているので、引き続きコメント等で意見お待ちしております!!
よろしくお願いします!
…さて、楽器に関しての話はこれくらいにしておきましょう。
最近の棚林が担当の記事は音楽関連の自分語りが多くて、興味がない人は本当に退屈な内容だった(その割には、分量も多く、筆者は頑張って書いたので疲れてしまった)と思うので、今回はテーマを変えて箸休めしよう。
今回は思い出話です。(結局自分語りじゃね?)
「近所のおばちゃん」について
「近所に住む世話焼きなおばちゃん」
そう聞いてぱっと思い浮かべる顔が誰にでもそれぞれあるかと思う。
どこのコミュニティでも大概何人かはそういう人物はいるものかと思う。
筆者にもそのような人物がいた。
名前は「ヒミズさん」。
※写真はイメージです。
「ヒミズさん」について
(ここで”ヒズミ”と読んでしまった人は末期。もう手遅れです…)
ヒミズさんは、筆者が中学生の時まで住んでいたアパートの、道路を挟んで向かい側の一軒家に住んでいたおばちゃんである。
最初に「ヒミズさん」と名前を書いたが、じつは筆者は本当の名前がわからない。
「樋水」「日水」かも覚えてないし、ひょっとしたら「シミズさん」だったかもしれない笑笑
筆者がうまれて物心ついた時から「ヒミズさん」はそこに住んでいて、玄関から出れば道路の向かい側でいつでもおばちゃんが何やら作業していた。(よく柿を干していた。)
それこそ文字や苗字という概念を習得する以前の幼いころから「ヒミズさん」と呼んでいたので、特に本名を知ろうともしなかったし、幼い筆者はそこに興味を持とうともしなかった。
顔が思い出せない件について
そして今となっては顔もほとんど思い出せない...
「全然思い入れないじゃん!」と思う人もいるかもしれない。
だが、逆に言うとそのくらい”そこに住んでいるのが当たり前”の人物なのだった。
ヒミズさんは旦那さんと息子と3人暮らしだったようだが、筆者は旦那さんと息子さんとはほとんど話したことはなかった。
しかし、おばちゃんには小学校の登下校の際は元気よくあいさつしていたし、家の前でリフティングの練習をしたりしていると「おー上手ねぇ!頑張ってるねぇ!」と褒めてくれたりした。
また、ヒミズさんは近所に畑を借りて野菜を育てていて、サッカーの練習をしているとよく呼びとめられてナスや大根など自分の畑でとれた野菜をもらった。
(そして、長話を聞かされた…)
おばちゃんとの別れ
そんなご近所さんとの生活であったが、筆者が中学2年生の時、うちの一家は引っ越すこととなり、ヒミズさんとはお別れすることとなってしまう。
とはいえ引っ越すとは言ったものの、もともと住んでいたアパートから1kmほど離れた戸建てに移るだけで、筆者は転校することもなかったし、ヒミズさんともお別れとは言ったものの、
「最寄りのスーパー一緒だし、また会えるわよねぇ~」
なんて言って、特にきっちりとしたお別れはしなかったような記憶がある。
「じゃ、ヒミズさんまた今度!」
そう言ってお別れをした。
しかしそれ以降、ヒミズさんとは一度も会うことは無かった。
(記憶にないだけかもだが)
もともとただのご近所というだけのつながりであったので当たり前ではあるが、たった1kmの距離離れただけで人とのつながりは切れてしまうのかと、ちょっと思った記憶がある。
言ってみれば、生まれてから人生の半分をとても近くで一緒に過ごしたヒミズさんとのご近所生活はそこで終わったのだった。儚い。
人とのつながりを隔てる“距離”
「儚い」とか書いたが、筆者は引っ越した後も、学校が変わったりすることもなく、寂しいとかヒミズさんに会いたいとかいう感情は全然わかなかった。
また、会えたらいいなくらいの思いはあったが、特にそれを行動に移すことはなかったのである。
しかし、それから10年が経った今、ふとおばちゃんとの思い出がよみがえってきた。
きっかけは東京でのアパート暮らしである。
筆者はかれこれ一人暮らし6年目のベテランだが、学生時代含めご近所付き合いみたいな経験はほとんどない。というか今の時代、ほとんどの人がそうではないだろうか。
アパート暮らしでご近所さんと密な関係を築いていたのは意外と貴重な経験だったのかもな、なんて考えていてふと思った。
「おばちゃん、歳けっこういってたと思うけど、まだ元気なんかな?」
ただ、今の自分にはそれを知るすべがない。
生きているのか死んでいるのかもわからないのである。
人生の半分の近くで過ごした人なのに。
そう考えると
「もっとあのおばちゃんとのつながりを大切にしておけばよかったな。」
なんてちょっと考えてしまうのであった。
別れ~卒業編~
話は変わるが、大学を卒業して、東京に就職した時にも似たようなことを感じた。
学生時代は多くの先輩後輩同期と関わり、それが当たり前だった(ありがたいことである)のだが、卒業式で解散するときに
「じゃ、またね」
といつもと同じように別れのセリフを言い、それから一度も会ってない人はどのくらいいるだろうか。
普段は特に何も考えずに生きている筆者だが、こういうのは一度考えだすと止まらなくなり、「今生の別れになってしまうなら、あの時もっと感謝の言葉、別れの言葉を伝えておけばよかった」なんて考えてしまうのである。
ただ、就職とヒミズさんとの別れでは違う部分がある。
学生時代の友人とはSNSなどネットでつながっていられた点である。
最近コロナ渦の影響でZOOM呑みが流行ったがそれに乗っかり、岐阜や愛知、大阪の友人と酒を飲みながらしゃべったり、競輪を見たりして過ごすことが増えた。
これは少し時代が違えば距離に隔てられ、消えていただろう繋がりである。
我々は恵まれていると思う。
ただ、欲張りな筆者はそれでも思ってしまうのである。
「もっと時代が早ければ、ヒミズさんとも繋がっていられたのかな...」と。
…だんだんクサくなってきた自覚があるのでこの辺でやめとこう笑笑
まとめ
つまりこの話で何が言いたいかというと、
もっといろんな人とZOOMお茶会がしたいな~ってことです!
もっと、誘ってほしいし参加してほしい!(泣)
そして、ZOOM繋がっててもずっとマイクOFFの鮭とば君はとりあえずマイクをONにしてほしい!
※画像は普段のZOOMお茶会の様子(イメージ)です。
以上、特にオチもないけど今日はこれで終わりです。
そろそろコラムもネタ切れだし毎オムみたいに質問箱でネタ募集とかしてみようかな…?
(果たして質問が来るかという問題があるけど)
こんな感じですが、頑張って今後も投稿続けていけたらと思います!
ではでは!