阪神淡路大震災から26年。音楽の力で復興への祈り。続ける力。
26年前の1995年1月17日、息子はまだ1歳半で私と、私の父母と一緒に兵庫県芦屋市に住んでいました。息子は、なかなか目が硬い子で夜はなかなか寝てくれず、一度起きたら寝かせるのに随分と時間がかかる子でした。(今とは大違い)
小さい部屋に私と息子と母、別の部屋で父が寝ていました。5時46分、地震の最初の揺れが本当にドーンと響き、一瞬で飛び起きました。枕元に飾ってあったフランス人形のケースが落ちたら大変、と隣で寝ていた息子を抱えて戸棚側と反対側に飛びのきました。いつもならすぐにおさまる地震がなかなか治らない中、母と一緒に息子を抱えながら、この揺れで息子が起きたらまた寝かすのに時間がかかるから起きないで、と今思えば変なことを考えていたことをハッキリと覚えています。
ようやく治りましたが、電気がつかず真っ暗な中、全員の無事を確認し、とりあえず様子がわからないので、押入れの中に息子をそっと寝かせました。すると、眠っていたはずの息子がガタガタと震え出していました。蝋燭の灯りで照らしながら、「大丈夫だよ」と息子をさすっていましたが、なんとも言えない恐怖が自分にも這い上ってくる感覚を感じていました。
当時マンションの管理人だった父は、マンションの住民の安否確認のために1軒1軒全ての点呼に飛び出して行きました。今思えば、さすが元自衛隊です。有事の時の動きはとても素早かったです。
その後、姉からの電話がつながりました。みんなの無事を伝えましたが、まだ電気もつかずどこまでの範囲の地震かわかりません。東京は何もなかったこともわかり、大したことはないのでは、と当初は考えていたのです。会社にどうやって連絡すればいいか、と考えていたくらいです。
そして、だんだん薄明るくなった頃、電気が突然パッとつきました。最初に見えたのは、息子が元々寝ていた場所に横倒しになったテレビ、そして同時に写った映像。それが阪神高速が横倒しになった映像だったのです。
あのまま息子を引っ張り出さなければ、と思うと、今でもぞっとします。その後、この大震災では、小さい子が大型テレビの犠牲になった例が多く取り上げられました。紙一重の選択が数限りなくあったのだと思います。合掌。
テレビが復旧し、辺りが明るくなってきたら、だんだんと地震の凄まじさが現実になってきました。姉に通じた電話以外は、一切電話も通じなくなっていました。
その後、外の様子を見るために出てみたら、本当に静かな音がしない町でした。道路が地割れを起こしており、マンションの隣りにあった家が崩れ、煙が出ていました。今思えば、そこには人がいたはずなのに、その時の私にはそこに人がいるということすら、想像がつきませんでした。芦屋の駅までとりあえず降りていくと、JR芦屋駅の駅舎の屋根が全部落ちていました。駅前のマンションは、5階建だったはずが1階になっています。別の建物は真っ黒で煙と炎が出ています。その時に初めて、これは本当にひどい地震かもしれない、と気付きました。なのに、そこで命を落とした人がいるのでは、ということに気づきませんでした。思考が停止してしまいました。今でも、あの時できることがあったのではないか、という後悔が残ります。
震災後、本当に多くの方々から助けていただきました。感謝しかありません。あの時震えていた息子は28歳になり、なんとか独立できました。そして落ち着いて今一度、自分の記憶を蘇らせていただきました。
今年は、コロナウイルス 禍という特殊事情もありながら、震災後にずっと続けている音楽活動で復興を支援する2組の活動支援をさせていただきました。せっかくなので、この2組をご紹介します。
神戸発の震災後の街を元気付けたいと結成された「GETCHA!」
紹介をFBページから抜粋します。
GETCHA!(ゲッチャ!)は1995年に神戸で結成されたバンド。
阪神淡路大震災で傷ついた人々、街を音楽で勇気づけたいという思いから、自らの自宅も全壊したボーカルの春名慎太郎を中心に結成。以後、関西を中心に活動を行っている。作品の多くは恋愛をテーマにしたものが多いが、「山陽電鉄」や「東二見」、「淡路島」など地元と関係が深い鉄道や地名も曲名や歌詞に登場する。2003年7月にセカンドアルバム「!~エクスクラメーション」を自主レーベルから全国セールス開始。
2015年には、山陽電車の応援歌「それゆけ!!山電」をシングルとしてリリース。
こちらは、リクルート時代の先輩が、ボーカル(正しくはシンガーソングライターボーカルリーダー?)をされていて、神戸にまつわる歌詞が面白く、地元では知る人ぞ知るバンドです。そんな彼らは毎年、震災復興ライブをしています。リンクは2018年のダイジェスト。
ここ最近は、兵庫県の各自治体に車椅子を贈る活動もされています。私は、もはや普通にファンなのですが、合わせて復興に向けての微力ながらのサポートもできるということで、復興ライブにも参加させていただきました。今年は感染拡大防止のため、観客も少なくこじんまりとしておりましたが、音楽を楽しみながら、当時に思いを飛ばすこともできた貴重な機会となりました。
The Trio Empathy「虹と絆と未来のコンサート」in京都壬生寺
こちらは、自らが阪神・淡路大震災の被災者でもあるピアニスト、金谷こうすけ氏が開催し、15回目を迎える被災者の方々の鎮魂と癒しのためのコンサートを、京都壬生寺で開催するという企画。
お仕事の関係でお知り合いになった株式会社京都結の近藤芳彦さんがクラウドファウンディングで開催を企画されたご縁で知ることとなりました。
こちらは、ライブの予告ダイジェスト
コンサート会場となるのは、延命地蔵菩薩をご本尊とし、新選組ゆかりの寺としても知られる、京都・壬生寺の本堂です。
壬生寺の副住職の松浦俊昭氏は、東日本大震災以降、毎年法要のために現地に足を運び、お地蔵様を寄贈されていたそうで、今回の企画についても場所のご提供に加えて追悼法要も実施されていました。
全てがライブ配信されるように企画されており、コロナ禍でも必ず実施するという主催者の熱い思いが感じられました。
出演:The Trio Empathy
ピアノ 金谷こうすけ/Kousuke Kanatani
バイオリン 渡辺剛/Tsuyoshi Watanabe
チェロ 向井航/Wataru Mukai
※コンサートの前に副住職の松浦氏による追悼法要実施
ライブ配信のため、今も自宅で彼らの音楽を聴きながら、震災のことを思い出す時間となりました。
自分が生かされていることの意味、感謝を感じながら、あの時できなかったことをどう自分に落とし前をつけていくのか。正解はないのかもしれませんが、それでもできることを見逃さず、通り過ぎず、立ち止まることを自分に約束する機会となりました。忘れない。
合掌。