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文科省「標準職務例」39項目網羅は学校事務職員になにをもたらすか
【書評】学校事務職員の仕事大全(川崎雅和・栁澤靖明編著、学事出版、2024)
※本稿は24年12月3日に脱稿したものに、目次・小見出し・改行を追加したものです。
「総論本」としてのコーディネート
本書は文部科学省が2020年7月に発出した学校事務職員の「標準職務例」通知を基として、そこに示された39項目の「職務の内容の例」について、その「仕事」の具体と意義を解説・提起するものだ。
編著者のひとりである栁澤氏は「既刊の学校事務関連書籍には、各論的な内容が多くみられます」とし、総論的な編集となっているとするいくつかの書籍についても「各論の集合体」と評価する。「学校事務を一冊で理解できるような総論本は多くありません」とし、「本書の価値」を「総論本」という性質に置いている。
しかし、相互の関連性が見出されない職務内容例も含めた39項目に対する24名の執筆がまとめられた本書は、もとより「各論の集合体」にとどまる蓋然性の高い企画である。
それだけに、編著者がそれらをいかにトータルコーディネートし、時間・人員・環境・習熟の程度など様々な制約と変数を持つ津々浦々の学校事務現場に調和のとれた形でフィッティングさせるビジョンを示せるかが、総論本となり得るか、また大全本として機能し得るかの鍵であった。
果たされなかった編著者の役割
本書の構成であればそれをなすべきは「序章」、もしくはせめて「おわりに」であっただろう。しかしながら両稿を担当したもうひとりの編著者・川崎氏によるそれは、そうした役割を果たし得ているとは言い難い。
「序章」はその全体において、事実と解釈と評価が不整理である。傍証的、エピソード的記述には出典を付す一方、結論につながる前提部分並びに結論部分は主観的な認識や思い入れが中核をなしており、根拠・論拠を客観的に確認することができない。
例えば、多くの事務職員が「熱い思いで仕事に励むことが困難な実態にある」こと、教育学者・藤原文雄氏が提言した「教員と共に教育を創造する学校事務職員」という考え方のもと多くの事務職員に「自分たちの仕事は、子どもたちの就学環境を守り、自校の教育活動推進に寄与するものであるべきという考えかたが大きく育ってい」ったこと、文科省による標準職務発表が「念願」であったこと。いずれも根拠・論拠は不明である。
主観的認識や思い入れに基づき稿を綴ることを否定するものでは決してない。ただ、事実と解釈と評価、さらに時系列の混線をも伴う本稿は、それ自体がひとつの「各論」となっており、大全本の編著者として期待されるコーディネーターとしての役割への意識はうかがわれない。
そして後半に行くにつれ、「しなければなりません」「進めましょう」「求められます」「努めるべき」といったかけ声ばかりが目立つようになる。「おわりに」も「チーム学校の要となって頑張りましょう」と結語する。
「意義」「挑戦」「期待」を前にした絶望感
文科省「標準職務例」通知に対して現場事務職員の多くが感じている不安は、「これだけ多岐・多量にわたる職務を自分は担いきれるのか」ということではないだろうか。
私個人ははじめから「やり切れるわけがないし現場で求められてもいない机上の空論」と切って捨てているが、そうではなく前向きで積極的で献身的で、だけど普通の人間として仕事に注げる時間や心身のスタミナには当然限度がある事務職員ほど、「すべてを担わなければならないのか」「どうしたら担いきれるのか」の答えを求めることだろう。
そうした問いに対して具体的な答えを打ち出してはじめて、「仕事大全」「総論本」として活用の道が生まれよう。
しかし本書は、24名の執筆者それぞれが、39項目それぞれについて深い意義を説き「大切・必要・重要・求められる」と結論付け、そしてそれを誰も整理していない。
本来整理すべき編著者の川崎氏も自論の展開にばかり稿を割き、「あまりにも過大」との懸念に対してはわずか1ページ、先輩事務職員たちが構築した「仕事獲得による今日の地歩」と元日教組事務職員部長・野川孝三氏による「アウトソーシング・AIに取って代わられる論」の引用を対置し、事務職員の自助努力による「挑戦」を求めるのみだ。
「結局、39項目すべてに対して深い意義を認識し具体的に業務を担え、ということなんですね」。
前向きで積極的で献身的で、だけど普通の人間である事務職員は、そうして過大な「期待」=要求を前にし絶望感を抱くのではないか。そんな心配が胸に浮かぶ。
現実を直視し主体的に思考する
法定定数の100人に2人が欠員不補充。現職者の100人に1人が精神疾患で休職、7人に1人が有期雇用。それが学校事務職員の現実だ。
そんな現実をよそに、文科省による「標準職務例」通知の全項目を客体的に網羅することに、果たしていかほどの意味があるのか。
より広い視野をもって現実を直視し、主体的・対話的かつ批判的に検討することこそが、(敢えてこの表現を用いるが)真に「つかさどる」存在の態度なのではないだろうか。
確かにそれは、文科省や教育委員会が「期待」する「つかさどる学校事務職員」の態度ではないだろう。
けれど私たちは、学校事務職員である前にひとりの人間だ。
学校事務職としての「使命」やそこに寄せられる「期待」にいかに応えるか。そういうこととは違う、もっと主体的な思考ができるはずだ。