見出し画像

24年6月「質の高い教師の確保」パブコメに寄せた意見

※以下は24年6月28日に、「「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について(審議のまとめ)」に関する意見募集(パブコメ)に寄せた意見です。ただし太字は、本ブログ掲載にあたり施したものです。



労働法制の原則に反する学校職場の労働環境・労働条件が明るみになり、人的配置の恒常的不全、公費学校運営予算の削減、学校施設設備修繕の遅滞と、公立学校を取り巻く基本的な環境整備が崩壊状態にある。

「審議のまとめ」はそうした現実に対する処方箋になるどころか、一層の環境悪化をもたらすものだ。

学校が担う役割や業務の縮減が求められている中、それに逆行して複雑・困難な社会的課題への対応を学校に求める「令和の日本型学校教育」を前提とした教員確保政策を立案したことは、業務負担軽減への期待を裏切るものだ。

それでいて処遇改善については、「高度専門職」なる過剰な麗句を用いながらその実、残業代負担を回避せんとする意図が明らかだ。医師にさえ適用される労働法制の原則を免れる、教師の高度専門性とは何か

審議議事録では教育長と校長会長2人が異口同音に「時間外勤務の判断なんて出来ない」と開き直ったが、それが事実なら教員の専門性や勤務の特殊性が問題なのではなく、教育長・校長の能力・資質の問題でしかない。同じ学校でも国立大学附属や私立では行っていることだ。こうしたお粗末な管理者の言に従うことが「令和の日本型学校教育」なのか。


こうした問題に対する当然の批判に対して、報道に八つ当たりするなどに至っては論外。文部科学省は後から「『審議のまとめ』の考え方」なる資料を公表したが、そこでは教員の時間外勤務手当支給に関する他国との比較について、本文では「適用外とする国もある」であったところ、「適用外とする国が多い」と捻じ曲げて印象操作を図っている。姑息というほか言葉が見つからない。


このようなでたらめだらけの「まとめ」の中で、数少ない実現の芽がありそうな要素が、「教師が担う業務の適正化」という言葉のもとでの、学校事務職員への業務転嫁だ。しかし、学校・教員が担う役割や業務について縮減はおろか一層の増大が危惧される中、今度は事務職員に対しても殺人的な業務押し付け状況が生み出される可能性が高い。

そもそも単純計算しても、30人の教員が担ってきた業務を1人の事務職員に転嫁した場合、教員1人あたり10分の業務削減が1人の事務職員にとっては5時間の業務増となる。共同学校事務室を活用したところで縮減幅のたかは知れている。さらに、共同学校事務室の運営や参集自体が新たな業務負担となっている他、特に先行県では定数削減や有期雇用転換を進める材料にもなっている。

教員だけでなく、学校事務職員まで潰すつもりなのか。そう問いたい。


解決の道は明確だ。学校・教職員が担う役割や業務、あるいはそこにかける「期待」さえも縮減していくこと。そして地道に当たり前の環境整備に努めること。その第一歩が、給特法の廃止であり令和の日本型学校教育の放棄であり、各種労働法制の適用ではないか。

いいなと思ったら応援しよう!