ファッションを語るということ
大枠の話をすると、ファッションは服であり、流行。
そして、”ファッションについての文章”は、
ⅰ)コーディネートの技術やトレンドなどについて書かれる「指南書タイプ」
ⅱ)マーケティング的な側面から語られる「ファッションビジネスタイプ」
ⅲ)ブランド・コレクション分析や服装史の観点から語られる「服飾学タイプ」
の3つに大きく別れ、特にⅰとⅱが占めるウェイトが大きいと思われます。僕はⅲが一番おもしろいと思うし、読みたいし書きたいタイプ。でも世間にウケてるのはⅰかⅱ。
まあ確かに実利的な意味では「指南書タイプ」と「ファッションビジネスタイプ」に比べて、「服飾学タイプ」は、はっきりと言ってしまえば”意味(意義)がない”ものといえます。そして、マスにウケるのも明らかに前者。
実際、”ファッションを語る”ことをお仕事にされている方のほとんどはⅰおよびⅱであり、ⅲに関しては大学教授くらいなものです。しかも、そのファッションを専門とする大学教授なんて全国に数えられるほどしかいないのが現状。
しかし、「着飾ることにはもともと”意味(意義)”なんてものはないだろう!」ということで僕は「服飾学タイプ」をゴリゴリに推していきたいと思います。(厳密に言えばコレクション分析とか服装史について書きたいわけではないけど。分類としてはってことで。)
そして、ただファッションの領域からファッションを語るのみではなく、社会学や人類学、情報学、カルチュラル・スタディーズといった、”外の領域”からファッションを語り、新しい見方を呈示できたらなあ、なんて思っています。
ちなみに、僕は学部で情報学を学んでいたのですが、その大学の卒業論文ではコム・デ・ギャルソンをテーマにした論文を(無理矢理)執筆したので、その内容も小出ししていけたらなと思っています。(信者ではないので、あしからず。)
先ほどファッションを専門とする大学教授が少ないと言いましたが、それもそのはずで、何しろ”金にならない”。そしてファッションを学問することは、その他の多くの学者から言わせれば”意味がない”ことなのです。
まあ確かに、”学術的意義”、”社会的意義”を求めて研究している人々からしたら「ファッションを研究?あの布切れを?バカなの?」って思うのも納得はできる…。
とはいえ、逆に言えば実際にファッションを専門とする教授がいることは事実なので、かくいう僕もアカデミックな領域でファッションを学問しようと志したことも有りましたが、たかだか学部の卒業研究でも十分に肩身の狭い思いをしていたのでその道は(今のところ)断念しました。(何より費用対効果が悪すぎる!!)
そんなこんなで、なんのしがらみもなくファッションに関する文をアウトプットできたらなあということでnoteを書こうと思いました。
すでに書きたいトピックはいっぱいありますが、のんびりと、その時その時で思いついたトピックも入れながら書けていけたらなあと思います。
多分今後何度も言いますが、なんでもかんでも意味とか意義とか求められると、困ります。今まで何度も「それ何の意味があるの?」といったことを聞かれてきましたが、ファッションに関しては、意味もなく着飾ることが楽しいのだから、意味がないことを語ることにも別に意味は無いです。
コーデのテクニックとかにも興味ないし、その辺の服をセオリー通りに着て喜んでいたい人は是非ファッション誌を読み漁ってくださいまし。