眩しい空は残酷だ
稽古場へ向かう駅のホーム。
ふと気付いた。
私が芸能に関わり始めてから今月で10年目だということに。
好きなアイドルが出ていたテレビドラマは小学校高学年の私を厨二病患者にするには十分で、国語の音読の時間が昔から好きで、思えば小一の頃の学芸会で演出なんかを提案してなんか周りに冷たい目で見られたこともあった。本能的に演じるということを求めていたのだろう。
好きなアイドルのドラマをきっかけに女優さんになりたいと言うようになった。小六の頃の担任の先生はこわかったけど、私よりもずっと私の夢を真剣に考えて、アドバイスしてくれた。
そして中一の冬、大手芸能事務所の養成所に入った。ほとんどお金を払えば入れるような感じだったけど。
色んな先生がいた。大物だけど優しい先生、厳しいけど愛とユーモアに溢れる先生、理不尽な先生……
同期も先輩も私よりずっと明るかった。後輩は入ってこなかった。
私はその場所にいるには暗すぎた。
「ポジティブでいろ」
「真面目な役をしろ」
へらへらと笑うことしかできなかった。
「何で笑ってるの?」
わかんないよ、そんなの
最後は理不尽な先生に耐えかねて私は2年で養成所を辞めた。
眩しい場所で、何も得られずに、何も残せずに。
高校の演劇部はなんだか興味が持てなかった。だいぶ酷い言い方をすると、白い目で見られた小学校の学芸会の延長みたいだった。二年でできた演劇部の友達を横目に、芝居をしたいという気持ちを燻らせていた。
大学でも演劇なんてやろうと思わなかった。優しそうに見える先輩に声をかけられるまでは。
勧誘をしていた先輩たちは、なんだか私と近いところにいる感じがした。小学校に来たほぼ記憶に残っていない教育劇ぶりに、私は演劇を観た。燻っていた思いを刺激されるどころか、先輩たちの輝きに思いっきり心を掴まれた。
私は演劇をやりたいんだ。
劇団畝傍座の一員になってからは、毎公演一度は泣きながら、喰らいついていった。
演技の仕方が人それぞれ違うなんて、方法論だけじゃなくていいなんて、
中学の教室で感じた張り詰めた胸の感覚が役に立つだなんて、
私は狂っていけるなんて、
トライアンドエラーを繰り返しながら「私」が役を作っていけることなんて、
舞台の上が私に「生きている」という感覚を与えてくれるなんて、
スタッフとして、作品や座組を大好きになってしまうなんて、
プロとかアマチュアとかわかんないけど、生涯続けていきたくなるなんて、
全部、知らなかった。大人は教えてくれやしなかった。
演劇をしなければ負わなかった傷もあった。
それでも私は演劇を続けると決めた。
『PARADE:』は私の全てを肯定してくれた。
次に立つステージは演劇じゃないけれど、新しい表現で、きっと可能性を広げてくれる。
10年目、他の人の芸歴10年と比べたらはるかに薄っぺらいだろう。それでも10年目。22歳、ちゃんと私、若いじゃん。
今、私に合った場所に立てている気がする。仄暗い劇場、心を抉る表現、「ダウナーズハイ」と呼ぶに相応しい苦しみ、影を見つけて集まったような仲間たち。少しぐらついても、私はここにいる。
10年目も、新しい表現に、舞台に、会いに行こう。
【募金箱】病人ですが演劇も被写体もこれからやっていきたいです。サポートしてくれたらもっと色々できちゃうかもしれないので、興味があれば是非。