演劇は楽(※当社比)
叩かれそうなタイトルですが、何とどういう点で比べてってのが大事ですよねこれ〜!
あくまで、昨年末私が出演したライブといままで出演した演劇の経験をもとに書いていまして、「イシザキナナセが舞台に立つこと」「見られること」の「精神的負担」についてです。結論だけタイトルにしたレポです。
それ以外は演劇のほうがしんどいところもあるね。でもライブなかなかしんどかったよっていうエッセイ。
私は初めてライブ出演という誘いを受けて、「いいのか……?」という思いを上回る好奇心で「はーい!はい!はい!やりまーす!!」と返事をしてしまいました。
まず、プロの歌手の人もいるらしい。
「いいのか……?」
そして、疑問が浮かぶ。
「爪痕残すどころか公開処刑になんない……?」
恐ろしい恐ろしい……。
私の歌は下手ウマレベル。歌だけでプロの歌手の方と共演して、そのファンの方とかが楽しんでくださるなんて考えは、ちょっと楽観的すぎるのだ。
どうしようか……そんな風に悩んでいても時は進んでいくばかり。
YouTubeみよ……
↑この怠惰が初ライブの輝きを産むことになるとはまだ知る由もなかった。
11月頃からおすすめにVTuberの切り抜きが出てくるようになった。はじめはベルモンド・バンデラスさんという良い声のイケオジ。そこから徐々に他のVTuberの動画も観始める。
ジョー・力一さん?「かー」ではなく「りきいち」とよむのか……面白いなあ……
カズー歌枠……?まあみてみよ。
……こ、この音色は!?!?!?
これだああああああああああああ!!!
そんなこんなでカズーという楽器と出会った。ダラダラとYouTubeを観ていたら私の芸を磨くヒントが降ってきた。
カズーと出会って数日、楽天でポチった600円のカズーを吹いてみる。しっかりめに吹けば簡単だ。それからカズーで色んな曲を吹いてみた。うつで起き上がれない日もカズーは寝た姿勢のまま吹ける。本能のまま吹いていること自体が練習になる。
これは、いける。
私はカズーをライブで吹くことにした。
そして、与えられた枠が10分とわかり、二曲の中でインパクトを残すため、カズーで吹く『丸ノ内サディスティック』の他に、『拝啓 貴方様』というバッチバチの楽曲を歌って踊ることにした。私はネガティブ役者だ。憎むのは大得意だ。愛するのは一方的なら得意。いけるいける。
歌とダンスも練習して、フリー音源がなかったから作っていただいて、いざ出陣。
ステージに上がるとはじめにMCの方と喋る。上手く話せない。マイクに話し声うまく入らない。後半ほぼ相槌。
曲振りが入った。よし、私はカズーを持ってやってきた奇妙なピエロだ。のびのびと吹こう。そんな曲振りの瞬間だけの余裕はアーカイブ映像を自分で観て笑えてくるほどだった。
カズーは吹き方でサックスのような雰囲気を出せる楽器。ニュアンスを出すのが歌より簡単。イキりきれてないけどまずは正統派のパフォーマンスでいい。
安心して私は一曲目を終える。
カズーを口から離した自分の声の芯のなさに驚く。でももうちょっと踏ん張って、話しながらカズーを咥えてボイチェンごっこをしてみる。ややウケで安心する。
カズーを仕舞ってマイクを無線に切り換える。
ええっこわっっっっっ!!!!!
私は今、物語とか役とかカズーとか、そういうフィルターを通さずに舞台に立っている。
私はカズー吹きのピエロでもなければ不良品のお人形でも、悪魔と契約した女の子でもない。
否定され続けてきた、イシザキナナセという人間でしかない。
頼りない足元を、「初めて」を言い訳に支えてもらおうと、赦してもらおうとする。
「がんばれー」ってお客さんの声。
私は最後まで立たなければいけない。
『拝啓 貴方様』という物語を表現しよう。イシザキナナセとして、物語と現実の境目を曖昧にして。
歌い出し、声が弱々しくなるのを無理矢理強めてみる。
歌詞間違えた。でも伝える感情に間違いはない。
手紙を書くとき筆圧が強くなる。指で書いても指先が震える。あの言葉を書いたら、呼吸を整えて、冷静に、綺麗に、
そして叫んでやる。
「不幸になれ 永遠に」
ステージを降りてやっと、私が舞台に立つことを赦されたように感じられた。
演劇は役を全うすれば、何をしても赦される。伝える物語を間違えなければ、丁寧に出力を調整すれば、大暴れだって、人殺しだってできる。
でも、ライブはそうじゃない。
立っているのは生身の自分自身だ。
赦されるかはわからない。
一つ一つ、認められていくしかないんだ。
私がまたライブに出演できるとして、新しい曲をやったら、また同じように赦されるか否かに怯えるのだろう。
それでも、私は「イシザキナナセ」としてあの舞台に立って、赦されたことが嬉しかった。
また、舞台上でカズーを吹きたいな。
また、他の誰でもない私を赦されたいな。
もっと、歌ってみたいな。
また、ライブに出たいな。
一つ一つ、新しい誰かと時間と空間を共にして、
一つ一つ、同じ言葉と音の波に乗って、
一つ一つ、私を赦されて、
私の全てを赦されるように思える日は、来るかな。