大学受験に必要なのは非認知的能力か先取り学習か
「非認知的能力」の大切さが浸透してきた一方、早くから文字や数などの「認知的能力」を伸ばしたい親御さんも多いようです。
非認知的能力と認知的能力は決して対立するものではなく、むしろ車輪の両輪のように相乗効果を得ながらともに伸びていくものですが、中には非認知的能力を置き去りにして認知的能力を伸ばそうと躍起になっている例もあるように感じます。
非認知的能力の重要性を示すエビデンスが多くあるなか、このような傾向はあまり望ましくありません。改めて非認知的能力がどうして大切なのか、なぜそれでも逆行した教育をしてしまうのか。考えてみましょう。
非認知的能力とは
非認知的能力とは人間の持つ能力のうち、定量的な計測が困難なもので、「頑張る力」「他者と関わる力」「感情をコントロールする力」などのことです。認知的能力であるIQや数学技能などは客観的計測が可能ですが、非認知的能力である「頑張る力」は計測できません。「A君は頑張り力たったの5だけど、F君は頑張り力53万!」とかは言えないわけです。
非認知的能力の重要性については、ジェームズ・ヘックマンという学者が行った有名な研究があります。幼児に質の高い教育を与えたところ、大人になってからの収入や学歴が高くなったという結果が得られたのです。当たり前に思えますよね。ただ、この研究で注目されたのは、IQなどの認知的能力は、質の高い教育を受けたあとほんの数年で普通の子どもたちに追いつかれてしまったことです。このことからIQなどの認知的能力以外の能力(つまり非認知的能力)が収入や学歴に好影響を与えたのではないかと考えられました。
詳しくはヘックマンの「幼児教育の経済学」を読むか、ググってください。
非認知的能力と大学受験
小学校入学前から机に向かってプリントやドリルによりお勉強をすることを、ここでは「先取り学習」と呼ぶこととします。先取り学習に関心がある保護者が気にしているのは、おそらく学歴でしょう。つまり大学受験です。
大学受験を「18歳時点で学力という旅路をどれほど遠くまで到達したか」をはかるものと表現するならば、先取り学習とは「みんなが走り出すより先に走りはじめること」です。
それでは、大学受験において「非認知的能力」はどう表現できるでしょうか。非認知的能力である「頑張る力」が高ければ、同じ期間勉強をしても学習効果はより高くなります。つまり非認知的能力を高めることは「走力を高めること」にほかなりません。
認知的能力と非認知的能力は車輪の両輪と言ったように、「いま速く走ること」と「走力を高めること」は両方バランスよくやっていくことが大切ですが、「いま速く走ること」に偏りすぎて「走力を高めること」をおろそかにすると、どんどん追い抜かれて18歳時点で負けてしまうことがあります。特に幼児期においては非認知的能力(走力を高めること)の重要性が非常に高いというのが現在の教育学の常識です。
先取り学習と一流大学進学は疑似相関かもしれない
そうは言っても「先取り学習しなくて本当に大丈夫なの?」と感じる親御さんは多いと思います。なぜならば東大のような一流大学合格者の大部分は、厳しい中学受験を勝ち抜いた超名門中高一貫校の生徒たちだからです。
超名門中高一貫校の中学受験を突破する子どもの多くは小学4年生ころには本格的な受験勉強に身を投じるとのことです。そしてそのための準備として先取り学習をして机に向かう習慣づけと基礎学力の向上を小学校入学前からはじめるのが常識。らしいです。そうなると一流大学合格者のうち先取り学習をしていた子どもの割合はとても高いでしょう。
ここで問題です。「先取り学習率と一流大学進学率に正の相関が見られた」ことから「先取り学習させることで一流大学進学の可能性は高まる」と言えるでしょうか。正解はお察しのとおり「そうとは言い切れない」です。
先取り学習させれば一流大学進学確率が高まるわけではないのに先取り学習率と一流大学進学率に相関が見られるとしたら、どんなカラクリがありえるでしょうか。考えられるのは「中学受験という囲い込み戦略によって生じた『疑似相関』である」というものです。
疑似相関の解説のために例をひとつ紹介します。小中学生の身長のデータと漢検3級合格率のデータを並べたところ、身長が高いほど合格率が高いという結果が得られました。この結果を受けて「身長を伸ばせば漢字が得意になるんだ!」と思う人はいませんよね。当然、身長が高いほど年齢が高くなり、年齢が高くなるほど漢字が得意になるわけです。「年齢」という別の要因を媒介して「身長」と「漢字力」に疑似相関が生じたわけです。
先取り学習と一流大学進学の相関もこれであろうと思います。親からの遺伝や親の教育熱心さ、塾通いが可能な経済力など、大学受験が有利になる要因を多く持った有望な子どもがこぞって先取り学習をしてこぞって中学受験を行い、一流大学を目指すことを前提としたカリキュラムや一流大学を目指すのが普通な仲間などの有利な環境をさらに得て、一流大学合格者の大部分を占めるわけです。
話が逸れますが、スポーツ界でも同様の誤解がまだあります。パワハラ的指導への風当たりがかなり強くなって来ましたが「いい選手になるにはやっぱり過酷な指導が必要」という考えは根強いです。なぜならトップレベルの選手の多くが過酷な指導を受けてきたからです。これも有望な選手がこぞって過酷な指導を受けてきたというだけで、彼らを別の方法で指導していたらもっといい選手になっていた可能性は全く否定できません。
身も蓋もない話ですが、トップオブトップを目指すにはまず、持って生まれた才能や幼少期の環境などの本人の努力の及ばない要因が大きく影響することは認めなければなりません。受験でもスポーツでも、囲い込み戦略はかなり有効なのです。
いまの保護者はかなり高度な情報リテラシーが求められる
でもきっと私の痛いトコロを突いてくる人もいるでしょう。「いい大学に合格するためのカリキュラムと切磋琢磨できるハイレベルな仲間を得るには中学受験するしかないし、そのために先取り学習したほうがいいじゃん」と。これは正直に申し上げて自信を持って反論できません。東大に入るには結局中学受験して開成や麻布や灘という超名門に行くのが一番理想的です。望ましい状況ではありませんが、なかなか変えがたい事実です。
でもですね、これは超名門中高一貫校に入学出来た場合のみに得られる果実です。あえなく不合格となった子どもやそもそも超名門中高一貫校が無い地方で育つ子どもは先取り学習による果実を得られないわけです。
特に私の住む新潟県長岡市のように、超名門のない地方の保護者には大きく警鐘を鳴らしたいです。いまはSNSやブログなどにより、地方にいながら東京で子育てする保護者の生の声が聞けるようになりました。地方と東京の情報格差は小さくなり、東京の常識を地方に居ながら簡単に共有できます。しかし、だからこそこれまで以上に求められるのが情報リテラシーです。私の仮説がもし正しければ、高感度な情報収集力で得た「先取り学習させるべき」という東京の常識が地方ではむしろアダになります。
東京の保護者だって、多くの子どもに有効な方法が果たして自分の子どもにとっても良いものかどうかはちゃんと見極めなければなりません。特に幼児期は発達の個人差が大きいです。受け答えが上手に出来る子どもでも、大人が当然に持っている数字的感覚や識字的感覚を未獲得な場合もあります。未発達ならばどんなに努力しても無理なものは無理ですし、発達が進めば教えもしないのにあっという間に文字や数字が読めるようになります。
受験に限らず、子育てに関する情報はとてつもなく氾濫しています。「褒めて育てよ」と言われたと思えば「褒めてはいけない」という本を見かけたりします。一体何を信じたらよいのかと途方にくれている親御さんもいらっしゃるでしょう。そんなときに頼りにすべきはSNSやブログの声ではなく、再現性のある科学です。そして、エセ科学と地に足のついた本物の科学を嗅ぎ分ける力も必要です。
教育学の著名な先生方や保育士や教諭という教育の専門家たちの常識・共通理解は「(特に幼児期は)非認知的能力を伸ばすことこそ重要」という科学的根拠の確かな主張です。先取り学習を勧める声はほとんど聞こえてきません。
あなたは何を信じますか?
おまけ
今回は「先取り学習させるのなんて子どもをいい大学に入れて親の責務を果たしたと安心したいだけでしょ」という偏見をもとに大学受験における非認知的能力と先取り学習を論じてきました。しかし、幸せな人生を送るために一番大切なのは学歴じゃありません。非認知的能力と呼ばれる「頑張る力」「他者と関わる力」「感情をコントロールする力」は学歴があろうとなかろうと、高収入だろうとそうでなかろうと、人生を豊かにするためにとても大切な力です。
加えて、機械学習などの技術が飛躍的な発展を遂げていく現代は社会で必要とされる能力が大きく変わっていく時代です。これまでは先取り学習や中学受験で培われる知識を詰め込む力や過酷な環境でハードワークする力が価値を持っていたかもしれませんが、これからはコミュニケーション能力やクリエイティビティなどの機械では代替困難な能力が大きな価値を持っていく時代です。10年後、20年後に社会に出て、そこから50年あるいはそれ以上長い年月を元気に働くであろうあなたの子どもが幸福な人生を送るために、親であるあなたがしてあげられることはなんでしょうか。
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