なぜ、誰のため、何のための本なのか?
本を書いていると、この本は、誰のために書かれているのか。一抹の不安を覚えることがある。僕が書くのは、主に将棋の本だけれど、内容が少し観念的なもののため、難しいし、面白くないと思われていると予測される。
でも、僕の中では、書かれた理由がはっきりしているし、少しだけ読まれたことにより、少しだけだが元気を貰えた。元来、告知や広報が出来た訳ではなかった。試しながら模索している印象である。興味ある方があっても、立ち読みだけでも、有難いです。
僕は、なぜ、この本を書いたのかといのも理由がある。
将棋の本は、専門書になりがちです。どんな入門書になっていたとしても、それは専門書の入門書になります。
時折、羽生善治先生のような、読み物を書いていただける先生が現れますが、基本的に、何等かの将棋の読み物は専門書にならざるを得ません。考え方や稽古の仕方に関する本が、他分野のゲームやスポーツに比べ、少ない印象を受けます。何故に、読み物市場が小さいのか、僕には分かりません。ここに一つの市場拡大の種が落ちていると考えます。
また、誰のために書かれているのかという点も、また、明確な答えが出せることだと思われます。僕は、記録をつけることが好きだからです。自分がどう考えているのか。どう物事を捉えているのかを、客観的には見ていきたいと望んでいると思われます。
飽くまで、僕は僕のために本を書いているという特異なことになっています。自分が好きなのかというと、そうではありません。自分の至らないところや苦手とすることを把握することが好きという不能の知識が大事だと考えているのです。
自分には、何ができて、何ができないかを知ることは大変意義のある認知行動だと思います。
何のための本なのか。こればかりは、時の流れと他者の評価によります。
自分の認識を改めるための本が、周りの人にとって、どういった影響を及ぼすのか。それは、分からない。ということになります。
僕自身、どうやれば、生きていけるのかよくわかっていないのです。
なぜ、自分が生きているのか。そして、どうやって生き延びていけばいいのか。理解できていないんです。
でも、自分がやっていて、楽しいことだったり、嬉しかったことは認識できています。
その一つに、文章を書くことや本を書くことが挙げられると思います。
僕は頑張って、書いていきたいです。
今後の書き物についてまとめていきます。
僕は今自分の人生で実験をしています。
継続することくらいしか取り柄が無いので、まずは、小金井学舎を継続すること。あまり無理せず、特段力を抜いて、多くの人が楽しめる空間を作っていきたいです。
換金性の高い事業ではなく、ほっこりするような書き物を作りたい。
でも、うまくいくかはわかりません。僕の文章力と、実践した取り組み次第です。まずは、自分のやるべきことをやっていけたらと思います。
ぼちぼち、焦らず、確実に、前に進めていけたらと思います。