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暮らせど暮らし切れぬ

死んでみたい。
病死と事故死と老衰あるいは自殺。自らの体が産んだ病にじわじわ侵食されるのか、まったく理不尽に打ちのめされるのか、日々を積み重ねたぶんだけ擦り切れてゆくのか、あるときパッと衝動に包まれてあの世に放されるのか。どうなんだ、一体。
死に方は一つしか選べないので比べることができない。三回くらい死ねたらいいのにと思う。やれやれ散々な目に遭ったと言いながら、綺麗な体に戻ってむくっと起き上がりたい。
しかし実際死んでみたら「もう“死”なんてこりごりだよ~~~~!」と思ってそのまま成仏するかもしらない。

人と話がしたい。
なるべくわたしから遠い人と話がしたい。友達がほしい……とはちょっと違う。
わたしの人間関係は特定の性質や生育歴に偏っている。わたしの周りにいわゆる「ふつうの人」は少ない。だからわたしにとって「ふつうの人」は不透明であり、個を持たぬ「ふつうの人」の集合体に過ぎない。わたしはそんな「ふつうの人」たちを、この透明な膜から解放して、個の人間としてわたしの世界に泳がせたい。

とにかく人と話がしたい。
人間にはおそらく全員がバランスよく満たすべきいくつかの箱があるのだが、あたしはそのうちの何個かを初っ端から蹴り捨ててしまった。そして残りの一つに固執して水を入れ続けている。見渡せば、そもそも最初から特定の箱の存在を見落としている輩がいる。あたしはこれを軽蔑する。が、あたしが捨ててしまった箱を満たしている(あたしにできないことをやっている)人であれば、尊敬もする。
それでだけど、あたしは他人から見て、どういう箱で生きてるのか……どこが満ちていてどこがスッパリ抜け落ちて見えるのかを知りたい。

年をとりたい。
とにかく、年を重ねることになんだかんだ意味があると思い始める。やけくそでも良いからとにかく時間を使ってみる。やけくそに何をするでもなくただ生きる。ただ暮らす。ともかく年をとってみる。

浮いてみたい。
安っぽい市民プールの水でいいから浮いていたい。子供の頃に、プールから帰って布団に入り目を閉じると、体がぷかぷか流される感覚に包まれるのが好きだった。手足の中の血がさらさら揺れて目の中には水の模様が浮かんでくるのだった。

プールに行きたい。水に濡れたい。雨に濡れたい。泣きながら帰りたい。
マスカラやチークが大事だから涙することを恐怖するようになった。前髪が大事だから雨に濡れることを恐怖するようになった。とにかく水が恐い。風も忌々しい。昔は親しく馴れ合っていたものが今ではこんなに忌々しい。

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