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第6話 友

 信じて貰えないかもしれないけど、俺は売れっ子だ。


 
 いきなり売れっ子と言われても意味不明だろう。

 慌てない、慌てない、今から説明をする。

 俺の名は中山英吉 51歳 どこにでもいる普通のおやじだ。

 そう、肝心なのは職業だ。俺の仕事はレンタルおじさんだ。

 えっ、どこにでもいる普通のおやじを誰がレンタルするって?

 あぁ、そうなんだよ。俺も最初は同じように考えてたよ。

 言っちゃ悪いが、身銭切っておやじをレンタルするなんて、そんな変わり者がこの世にいるのかねって話だよ。

 しかし、これが意外と忙しい商売でさ、その中でも俺は売れっ子って言う訳さ。リピーターや新規の客も多く、会社で1番人気。まるで歌舞伎町のNo1ホスト様だよ…… なんてな。

 だげどさ、何度も説明している通り、俺は普通のおじさんだ。

 高級スーツを着こなし、オールバックにしてブランデーとハマキが似合う渋いニヒルなおやじでもない。どちらかというとブサメンさ。


 今回は俺がレンタルおじさんを始めるきっかけの話を聞いてくれよ。
 
 まぁ大した話じゃないんだけどさ。

 ……俺は癌だった。

 2、3か月前らか下腹部に痛みがあり、それが続くものだから仕事を休み病院に行った。

 しかし、何も異常ないと言われて漢方薬を処方され、それで終わりのはずだった。

 痛みは更に1カ月続き、流石に心配になり違う病院を訪ねてみた。
 どういう理由かは知らないが、その小さい病院は医大の医師が時折診察に来ており、俺はちょうど医大の先生に診察してもらった。

「うーん。いつから痛みが?」

「3、4か月前からです」

「……もっと早くこないと駄目だよ」

 ……ど、どういう意味だよそれ。やめてくれよ……

「ここを見て下さい」

 医者は俺の下腹部を映したエコー画像を指差した。

「ここに腫瘍があり今の段階では確定ではありませんが、高い確率で悪性かと思われます」

 ……腫瘍 ……悪性 ……うそだろ ……だって前の病院では異常はないって言われた。

「大きさは……9ミリってところかな」

 9ミリ……それって小さいのか? それとも大きいのか?

「私は普段医大で勤務しております。うちに来て精密検査を受けますか?」

「……はい」

 俺はその一言しか言葉が出なかった。
 本当は聞きたい事が山ほどあったのに、いや、あったはずなのに何も思い浮かばない。

 俺まだ40歳なんだけど……

 俺には嫁も子供も居ない。中学を出て高校には行かず直ぐに上京。小さな工場に就職し、あれから25年。仕事一筋なんてかっこいいことは言えないけど、それなりに頑張って来た。

 子供の頃は大人になると誰もが結婚すると思っていた。全員に運命の相手がいるのだと…… それなのに、俺には彼女すらいない……

「俺、死んじゃうのかな…… 結婚もしないで、子供も残さず、まだ40歳なのに、このまま死んじゃうのか」

 帰りの京急本線の電車の中、人が沢山居る前で涙が溢れ出て止まらなかった。


 
 一人で暮らしている俺の住んでいるアパートは築50年で2階建て。

 部屋の広さは6畳半、かろうじてキッチンは付いている。

 湯船無しの共同シャワールームに共同トイレのボロいアパート。
 
 帰り着くと、俺はせんべい布団にゴロ寝して天井を眺めていた。


「はぁ~、俺の人生なんなんだよ」


 ……とりあえず母親には連絡しておかないとな。

 鞄から携帯電話を取り出し通話履歴を見てみる。

「ふぅ~……2カ月前に母親。3カ月前に小学校からずっと仲良かった五百蔵いおろいと通話か……」

 はははは、俺携帯電話なんて必要ねーじゃん。相手からかけてきてるのは母親だけ……

 五百蔵に電話をかけた理由すら思い出せない。

 
 兎に角、伝えておこう……


 プルルルルー。プルルルルー。プルル。

「あー、どうした? あんたから電話してくるなんて珍しいね」

「うん、ちょっと伝えたいことがあってね」

「なにー? 怖いね~、急にそんな事言ってくるなんてね~」

 母親は賢くはないが、昔から勘は鋭い方だった。

 父親は俺が小さい頃に離婚して家を出て行き、それ以来会っていない。

 何処で何をしているのかぐらいは母親から聞いてはいる。

 4つ歳上の兄は今でも父親と連絡を取り合っているようだ。


「かーちゃん、実はね」

「どーしたー?」

「俺、癌になったみたいなんだよ」

「え……何の冗談?」

「冗談じゃなくて……医者に、普通の医者じゃなくて医大の先生に言われた」

 母親はしばらく言葉を発しなくなった。

「酷いのかい?」

「まだ精密検査してなくて、ハッキリしたことは分からないんだ」

「そう……」

「うん」

 結婚もしていない、子供もいない俺には、この時の母親の心境など分かるはずもない。

「詳しい事はいつ分かるの?」

「診察してくれた先生が医大に予約を取ってくれた、月曜日に」
  
「次の?」

「うん、三日後の」

「……詳しいことが分かったらまた電話して」

「分かった。じゃあ月曜日に電話するよ」

「うん、じゃあ月曜日にね」

「あっ、かーちゃん」

 プープープー

 昔から折り合いの悪かった兄には伝えないでくれと言おうとしたが、電話を切られてしまった。

 かけ直す気力はもうない……


 親友の五百蔵にも伝えておくべきだろう。
 しかし何故だか、五百蔵に伝えるとこれが現実なんだと実感しそうで、怖くて電話をするのを辞めた。

 現実なのは間違いないのに、おかしなことを言っているよな。

 
 そして三日後の月曜日。

 職場の社長に精密検査を受けることになったと、正直に伝えて休みを貰った。
 
 今の社長は3代目で、俺が働き始めた頃はまだ小学生だった。
 25年の付き合いで、仕事のことなど何も気にしなくていいから、ちゃんと検査して貰いなよと送り出してくれて嬉しかった。

 病院に着いて、受付で名前と担当の先生の名を告げると、診察カードを作ってくれた。
 そのカードを機械に通すと紙が1枚出て来た。
 紙には13番窓口へと書いてある。

 13番…… 不吉な番号だな…… 
 
 いや俺は無宗教だ、13とか関係ない。

 数字一つでこんなことを考えるなんて、酷い精神状態なんだろうな。


 しかし、大きな病院だな。13番はっと……あった、あそこか。

 13番で俺は採血をしてその後にCT、そしてⅯRIまで受けた。

「中山さーん、お入り下さい」

 長い検査を終え、やっと診察室に呼ばれ中に入ると、あの時の先生が居た。

「う~ん、中山さん」

「は、はい」

「急で申し訳ないのですが」

「はい」

「手術室が空いたら直ぐに手術をしましょう」

 ……えっ?

 手術だって!? 今日は悪性かどうか見極める検査だけじゃ……

 先生は俺の眼をしっかり見つめてきた。

「中山さん、これは一刻を争います。この部分の腫瘍は1分1秒でも早く摘出した方が良いです。この後に直ぐ手術して取ってしまいましょう」 

「……俺……何も準備してなくて……」

「入院に必要な物は全て病院に揃っています。1階にコンビニもありますし、レンタルもありますのでご安心を」

 ……レンタル? いったい何をレンタルするんだよ? 変えの下着一枚すら持って来てないよ……

 けど……1分1秒……

「わ、分かりました。一度家に戻って準備してきます」

「駄目です! 手術室が空いたら直ぐに開始しますので、今から病室に移動してそこで看護師の指示に従ってください」 

 な、な、何だよそれ? 一度家に帰ることすらできないのかよ……

「いいですね!?」

「はい……」

「では待合室の椅子で待っていてください」

「……はい」

 心の準備何てあったものじゃない。悪性か何かも聞かないうちに手術だって!?

 診察室から出た俺は、1番最初に誰に連絡すればいいのか悩んでいた。

 かーちゃん…… いや、やっぱり社長だよな。

 プルルルー、プルルルー。

「もしもし、検査結果はどうだった?」 

「そ、それが今から手術することになってしまって……」

「嘘でしょ!? そんなに悪かったの?」

「それが詳しい事はまだ聞けてなくて、とにかく手術室が空いたら直ぐにって……」


「そうですか……分かりました。手が空き次第そちらに駆け付けるからね」

「社長……ありがとうございます」

「長い付き合いじゃん俺達。ねっ」

「はい」

「頑張ってな」

「はい」

「じゃあ後で」

「分かりました」


 ……社長の言葉で、心にかかっていた霧が少し晴れたような気がした。

 しかし、俺は何を頑張れば良いのだろう。

 死なない様に頑張るのか……こういうとき全ては医者任せだ、俺に何が出来るというのだろう。

 かーちゃんにも電話しないとな。

 もしかしたら、麻酔から覚めないでそのままって事もあるかもしれない。
 

 プルルル。

「はい」

 ……出るの早いな。

「どうだった?」

「それがね、今から手術することになってね」

「まぁー、嫌だー」

「……」

「そんなに悪いのかい?」

「まだはっきりとは分からなくてね、腫瘍を1分でも早く取りましょうって言われて」

「分かった。そっち行くね」

「……いいよ来なくて」

「何言ってんの、誰があんたの面倒みるのよ?」

「良いからかーちゃん、そんなことより聞いてくれ」

「そんなことよりってあんた……」

「孫の顔も見せず本当に悪い息子だった俺は……」

「やめて最後みたいに言うの」

「本当に申し訳ないと思ってる……」

「まだ死ぬわけじゃないでしょ。まだ残された時間があるから簡単にあきらめないで。ねっ」

「うん」

 その時、看護師さんが俺を呼ぶ声が聞こえた。

「中山さーん」

「呼ばれているから切るね」

「うん、分かった。頑張って!」

「じゃあね」

「うん」

 プープープー。

「中山さーん?」

「はい!」

 返事をすると、看護師さんが俺を見つけ近づいてきた。

「今から5階の病室に移動します」

「はい」

「服のサイズは?」

「LLです」

「分かりました。レンタルの服がありますので、病室に持っていきます。その服に着替えて下さい」

「はい」


 看護師さんと5階の病室に移動した。

 そこは個室で、俺のアパートの部屋より広く快適な空間だった。

 案内してくれた看護師さんとは別の看護師さんが、さっき話していたレンタルの服を持って来てくれた。

 ……まるでラブホのパジャマだな。

 俺はその服を見て、大分前に会社の人に風俗を奢って貰い、一度だけ利用したラブホテルの事を思い出した。

 こんな大変な時なのに、馬鹿な事を思い出して……

 皆そうなのかな…… それとも俺だけかな。

 

 看護師さんが俺に質問をしてくる。

「今日の朝は何を食べましたか?」

「いえ、何も食べていません。食欲が無くてお水を飲んだだけです」

「それは良かったです。基本手術の日は食事をしませんので」

 ……良かった……のかな……

「では、服を着替えてベッドで休んでてください」

「はい、分かりました」

 俺は言われた通り、服を着替えベッドに横になった。


 うちのせんべい布団の何十倍も快適だなこのベッド。

 看護師さんは若くて優しいし……ずっとここに居てもいいかもな……

 手術を待つ間、俺は携帯電話に目もくれずベッドに横になり、天井を見詰めていた。

 さっきのラブホテルの話ではないが、思い出すのは下らない事ばかり。

 いや、そもそも俺の人生が下らないのかもしれないな。

 
 コンコン  誰かがドアをノックしてきた。

「は、はい」

 レンタル服を持って来てくれた看護師さんだった。

「中山さん、下腹部の手術ですので今から毛を剃りますね」

 ……まぢかよ。

 これから死ぬかもしれない手術を受けるのに、更にそんなはずかしめに今からあうのかよ。

 看護師さんは手慣れていて、バリカンでさっと刈ってくれた。

 そのあと剃刀で剃るのかと思っていたけど、そこまではしなかった。
 
「休んでいてくださいね」

「はい。ありがとうございました」

 下の毛を剃られて礼を言うのも変な気分だ……

 コンコンコン

「失礼しまーす」 

 次に入って来たのは麻酔医だった。俺は薬や食物アレルギーの有無、麻酔の経験などを聞かれた。

 全て無いと答えると、麻酔使用の同意書に署名をしてくれと言われ名前を書いた。


 本当に今から手術するんだな……

 
 麻酔医が部屋を出て行ってから1時間ぐらいで看護師が数人部屋に入って来た。

「中山さん。今から手術室に移動しますね」

 ……ついに手術が始まるのか。何て騒々しい日なんだ今日は。

 看護師数人にベッドを押されエレベーターに乗せられた。

 初めての経験だが見覚えがある。

 そう、テレビドラマだ。ドラマで同じようなシーンを見た事がある。

 ……今が現実何て信じられない。

 手術室に着くと、ベッドを押してきた看護師は戻って行った。

 そのかわり診察してくれた医者と、他数人の医者らしき人と、別の看護師も数人居て、部屋に訪ねてきた麻酔医も居る。

 これまたテレビで見た事のある手術用の服を皆が着ている……

 腕に血圧を測るものを巻かれ、胸にはコードの付いた吸盤を数個貼られた。

 そして指先にも何かつけられた。

 駄目だ…… ドキドキしてきた。

「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ」

 何か電子音が聞こえてくる……

 こ、これ俺の心臓の音だよな。

「中山さーん、今から手術始めるけど安心してね、そんな難しい手術じゃないからね」

「分かりました」

 そう素早く返事をしたものの、俺は間違いなく人生で一番緊張している。

 深刻な俺をよそに医者や看護師は会話して笑っている奴もいる。

 俺が今から手術するのに何笑ってるんだと怒りたいところだが、逆にリラックスした医者や看護師を見て俺も少し安心してしまった。

 看護師が何かを俺に点滴し始めた。

 そして麻酔医が話しかけてくる。

「中山さん、今から麻酔をします。緊張しなくていいですからね」

「はい」

 顔に酸素マスクを着けられた。

 そして点滴に何かを注射している……

 
 俺の記憶はそこまでだった。


 目を覚ますと俺は病室のベッドに横たわり天井が目に入ってきた。

 ……生きている。
 
 良かった、麻酔から無事に目が覚めたんだ…… 本当に良かった……

 この時の安堵感と言ったら、経験した人にしか分からないのかもしれない。


 俺は試しに足を動かしてみたが……

 うぅ、動かしづらいな。

 
 ん? 右手に何かが当たっている。

 ……ナースコールかな。押してみるか……

 動かしづらい右手でそのボタンを握りしめ、親指で押した。

 
 すると、誰からも返事はなかったが、直ぐに部屋に看護師さんが来てくれた。


「目が覚めましたね。息は苦しくは無いですか? 眩暈はしませんか?」

「……はい、らいじょうぶれす」

 ん? 舌を…… 上手く回せない。

「まだゆっくり休んで下さいね。医師が直ぐにきますからね」

「……はい」


 白衣の天使。誰が名付けたか知らないけど、今の俺にとって看護師さんは正に天使以外何者でもない。
 
 その後、担当医が部屋に入って来て色々説明をしてくれた。

 手術は無事成功しましたと聞かされた。

 身体の中にあった9ミリの腫瘍はその周りの組織ごとごっそりと取り除かれた。
 
 後日腫瘍を検査して悪性だと分かり、先生の見立て通り癌だった。

 幸いな事にリンパや他の場所への転移はみられず早期発見でステージ1。
 癌の中では軽症だ。


 しかし…… この病気が大きな人生の転機となった。
  

 その日のうちに社長が下着や歯ブラシやコップにスリッパ、それにおむつまで買って病院を訪ねてくれていた。

 手術直後なので会えなかったが、本当に嬉しかった。

 よく東京の人は冷たいとか、思いやりが無いとかいう話を耳にするが、そんなことはない。

 社長のような人も沢山居る。

 そして公共マナーに関しては俺の田舎よりも遥かに良い。

 次の日にはかーちゃんが、入院に必要な物をカバン一杯に入れて来てくれた
が、社長が持って来てくれた物とほぼ同じだった。

 俺は順調に回復し、1週間で退院した。


 半年後。

「社長、25年間お世話になりました」

「僕の人生、中山さんがいつも一緒だったから…… 本当、淋しくなるよ」

「俺もです……」

「これからは身体の事を第一に考えて、田舎でゆっくり休んで下さいね」

「はい、ありがとうございます。それでは……」

「うん、頑張って……」


 手術から半年後、25年間勤めていた工場を辞めた。

 理由は田舎に戻ると言っておいたが、実はまだ悩んでいる……

 俺は癌になってからいうもの、人生このままで良いのかと毎日毎日ノイローゼの様に考え始めた。

 そして何の当てもないのに仕事を辞める決心をした。
 
  
 この25年間、たまの贅沢といえばキャバクラに年に数度行ったぐらいで、貯金はしっかりしていた。

 田舎に帰る前に、恐らく最後になるだろう東京を楽しむのも悪くない。そう思っていた……

 会社に最後の挨拶をした帰り道、時刻は17時06分。

 何の予定もないはずなのに俺の携帯電話が鳴り始める。

 プルルルー、プルルルルー。

 電話……誰だろう?

 画面を見てみると同級生の五百蔵いおろいからだった。

「もしもし、どうしたん?」

「今ねー、東京に出てきてるんよー」

「えー!? 来る前に言えよお前~」

「わりぃわりぃ。メシでもいこうよ?」

「勿論だよ。今どこだよ?」

「品川駅」

「じゃあ俺がそこに行くよ。待っててくれ」

「えっ、今からこれるの? はいよー」

 あははは、何だよ急に……

 旧友との久しぶりの再会。

 俺は嬉しさのあまり品川駅の何処で待ち合わすのか、場所を決めるのを忘れていた。

 電話を切った後、大森町駅に向かい京急電車に飛び乗った!

 品川駅までは15、6分で到着する。

 えーと、たぶん新幹線から降りて来たんだよな……

 おっ、居た! 

 何処にいるのか電話するまでもない、田舎者の行動は読みやすい。

「おーい、五百蔵!」

 俺の大きな声で名前を呼ばれ、驚いたような表情が笑顔に変わっていく。

「中山~、久しぶりやな~。まー、電話でちょくちょく話はしてたけどな~」

「会うのは、えーと、たぶん3年振りかな?」

「そうそう、それぐらいや~」

 3年前、帰省した時に連絡して飲みに行って以来だ。

「仕事で来たのか?」

「そうや。今日は移動日で明日と明後日仕事して明々後日に帰るよ」

「そっかそっかぁ。よーし、とりあえず何処に行きたい?」

「そうだね~」

 五百蔵はニヤニヤしながら俺を見ている。

「なによ?」

「ラーメン二郎を食べてみたいんよ~」

「あぁ、なるほどね~。俺らの田舎は細麺ばっかりで、あんな太麺のガッツリしたラーメンは無いもんな~」

「シシシシ、ずっと行きたかったんよ」

 ラーメン二郎とは、東京都港区三田に本店を構えるラーメン店とのれん分けをした店だ。

 ネットでもたびたび話題になり、二郎インスパイアなどと言われる店も多数存在する。 

 実は俺もラーメン二郎の存在を知ってからは、食べてみたい衝動に駆られるようになり、初めて行ったのは京急川崎店だった。

 あの時の衝撃と言ったら、今でも覚えている。

 こじんまりとした店の前にはまだ開いても無いのに行列が出来ていた。

 席に座るまで30分以上かかったが、店長の優しい微笑みを見て疲れが吹き飛んだ。

 そして、肝心のラーメンは太麺に良く絡んだスープ!

 分厚いチャーシューに山盛りの野菜にニンニク!

 これぞラーメン! そう心で叫んでいた。
 

 勿論味も最高に美味しかった。

 それでラーメン二郎が癖になった俺は、京急川崎店の他に、横浜関内店、品川店、池袋東口店、小滝橋通り店に行った事がある。

 ラーメン二郎は店によって味もサービスも違う。

「えーと、行きたい店舗はある?」

「何処でもいいよ二郎なら」

「そうだな、ちょっと待ってくれよ。ここからならな~」

 携帯電話を使いネットで検索してみた。

 ラーメン二郎 品川店…… あー、前に行った事あったな。

 ここから近いじゃん。

「ここから歩いて15分ぐらいのところにあるよ」

「えー、15分も歩くのかよ?」

「ったく、田舎者は何処行くにも車でよ~、全然歩かないよな~。都会人の方が健康だぞ~」

「シシシシ、分かった分かった、歩くよ」

「そういえばホテルは何処?」

「確か西口から見えるって言われたよ」

「なんだよー、そんな近いなら俺が来る前にチェックイン出来ただろう?」

「やだよ、初めての東京だぞ。一人で迷子になったらどうするよ?」

 冗談の様に聞こえるかもしれないが、俺達田舎者はハッキリ言うと東京を恐れている。
 なので、五百蔵の言っていることは半分冗談でも半分は本気だ。

「じゃあ先にチェックインして荷物を置きに行こうか?」

「え~、その分余計に歩かないといけないじゃん」

「もうお前はよ~。一緒に行くから歩けよ~」

「分かったよ~」

 俺達が西口から出て信号待ちをしていると、五百蔵が何か気になっているようだ。

「どうした?」

「なぁ、あれはパチンコ屋か?」

「あぁ、そうだよ。信号渡った所にもあるし、右にもあるだろ」

「ほんとだ!? 嬉しいなぁ、これで暇はしないな~」

「何しに来たんだよ、お前はよー」

「いいじゃん。なぁ、田舎の店より出るかな?」

「どうだろうね、俺は田舎でもこっちでも行った事無いからね」

 そういうと少し驚いていた。

「へぇ~、仕事終わっていつも何してんの?」

「あ~、仕事終わったら、帰り道の弁当屋で夕食と次の日の朝飯買って、メシ食って、シャワー浴びて、テレビ見て寝る…… かな」

「つまらん人生やの~」

「お前に言われたくないよ」

「はいはい」

 五百蔵の泊まるホテルは、西口から歩いて3分の距離だった。

 チェックインをして一度部屋に上がり、荷物を置いて下りて来た。

「よし、二郎行こうか?」

「あー、楽しみだわ~」

 ホテルから再び品川駅前に出て、ラーメン二郎品川店に向け歩き出す。

 因みに品川駅は当然品川区にあると思っている人も多いだろうが、実は港区にあるのだ。

 つまり俺達は今品川区ではなく港区を歩いている。

 第一京浜を南下すると八ッ山橋が見えてくる。そこまで来るとようやく右側が品川区だ。

 左側には階数を数えるのも大変な高いビルがそびえ立っている。

 故郷の旧友と一緒に大都会を歩く。

 ただそれだけなのに何故か嬉しかった。

 それは友人と久しぶりに会えたからなのか、それとも会えた場所が東京だったからなのか…… たぶん両方なのだろう。

「なんかすげー人が並んでいるんだけど?」

「ん? あー、あそこがラーメン二郎品川店だよ」

「えぇ!?」

 五百蔵が何故驚いているのか不思議に思う人もいるだろう。

 実は俺の田舎では、店に行列が出来ると言う事があまりない。
 
 何故かというと、並んでまで食べる必要はなく、混んでいない他の店に行けばいいという考えなのだ。

 田舎より、東京の人の方が時間に余裕がないイメージがある。
 確かにそうかもしれない。
 
 だが、東京では何処でも行列は珍しくないので、そういう文化がある一面、時間の潰し方や使い方が上手いとも言える。

「どれぐらい並ぶの?」

「ん~、そうだな…… この人数だと、40分はかからないぐらいかな?」

「40分近くも立って待つのかよ!? 嘘だろ……」

 ふふふふ、驚愕している五百蔵を見て昔の俺を思い出した。

 東京に来たばかりの頃は俺も並ぶのが苦手だった。

 だけど、東京に住むのであれば、行列は避けられないのだ。

 それだけで田舎に帰りたいと思った事もあったけど、けっこう直ぐに慣れてしまった。

「混んでない時にまたこようかな……」

「混んでない時なんて無いぞ。早く来ても結局店が開くまで待つしかないんだから」

「……そっかぁ。分かったよ。せっかくだから待つよ」

 ふふ、観念したか。

 俺の予想通り、35分ほどで運よく隣同士に並んで席が空いた。

 席に着く前に販売機で小ブタの食券を買い、既に店員さんに渡している。

 店員さんがカウンター越しに俺達の前にやって来た。

「ニンニク入れますか?」

 店によって違いがあるが、ここからが噂の二郎コールだ!

 五百蔵も知ってはいたが、初めてなので自分では言えないからと頼まれていた。

「俺もこいつもニンニク野菜マシマシ、あぶらマシでお願いします」

「はいー」

 コールが終わった後に五百蔵を見てみると、笑顔を浮かべていた。

「うわー、これがコールか! 俺も今度来たときは言ってみるよ」

「はははは」

 そして5分ほどで注文したラーメンが着丼する!

「うぉぉぉ、野菜が!? ニンニクが!? こ、これで小かよ!」

 分かるよ、その気持ち。

 俺達の田舎ではこんなボリュームがあるラーメンなんて見た事無いもんな。

「……これ、全部食えるかな」

 ふふふ、まるで昔の俺を見ているみたいだ。

「なぁ、どうやって食ったらいいんだ?」

「よしよし、俺の食い方を教えてやるよ」

 と、えらそうな事を言ってはいるが、京急川崎店に初めて行った時は、五百蔵と同じく、どうやって食べたら良いものか悩んでいた。

 その時、隣に座っていた人がちょうど俺と同じタイミングで着丼しており、その人の食べ方を真似て以来、それが俺の食べ方となった。

「いいか、レンゲでニンニクとスープをすくう」

「うんうん」

「それを山盛りのもやしにかける」

「うん」

「これを繰り返すと……」

「繰り返すと?」

「もやしとキャベツの山が低くなっていくんだよ」

 五百蔵は俺のラーメンを凝視している。

 白く透明なもやしは、徐々にスープの色に染まってゆく。

 するとどうだろう……

「本当だ! もやしが低くなった!」

「こうなったら食べ頃だよ。もやしから食べてもいいし、下から麺を引っ張り出してもいい」

「よーし…… 俺のもやしも低くなったぞ!」

 五百蔵はもやしの下から麺を引っ張り出して食らいついた!

「どうだ?」

「……」

「美味いか?」

「……」

「なんとか言えよ、おい」

「う、美味い! この太麺の食感、そして脂が、スープが麺に見事にからんでる!」

「そうか! 良かったなぁ」

 感動のあまり腹の底から絞り出したようなその歓喜の声が聞こえたのか、店主がニヤリと笑ったように見えた。
 
「美味い! もやしも美味い! いくらでも腹に入る」   
 
 一心不乱にラーメンをかき込む五百蔵。

 最初の心配はどこへやら、スープ一滴残すことなく見事に完食したが、俺流の儀式はまだ終わらない。

 近くのコンビニで果汁100%のリンゴジュースを、ニンニクの匂い消しの為に一気に飲む!
 
 ぷは~、これで二郎に連れて行く任務完了だ!


「いや~、美味かったよ~。満足、満足」

「嬉しそうな顔してるな~。案内出来て良かったよ」

 友人の喜び表情…… それを見ると本当に幸せを感じる。

 ……田舎に帰ってまた五百蔵や他の皆と、たまに飲みに行くのもいいかもしれないな。

 仕事は選ばなければ、何かあるだろう。

「次は何処へ行きたい?」

「そうやね~、東京って感じの店で酒飲みたいね」

 東京って感じの店か……

「分かった。じゃあ品川駅まで戻って電車に乗ろう」

「はいよ。ただね……」

「どうしたん?」

「腹がパンパンだからゆっくり歩こう」

「ふふふ、あはははは」 「シシシシシ、お前は大丈夫なのかよ?」

「実は俺もさっきからゲップがまんしてるぐらいパンパンだ」

「あはははは」 「シシシシシシッ」

 俺達はゆっくりと時間をかけて品川駅まで戻って来た。

 そして山手線に乗った。

「これが有名な山手線か?」

「ああ、そうだよ。山手線には外回りと内回りがあってな、外回りが時計回り、内回りが反時計回りなんだよ」

「なるほど…… つまり今は……う~んと、内回りに乗ったのか?」

「ああ、今は内回りに乗って……」

 俺は言葉を止めた。

「乗ってなんだよ?」

「まぁまぁ、場所は内緒だよ」

「シシシ、楽しみにしとく」

 俺達が今向かっているのは上野。
 
 上野駅で下車してアメヤ横丁を通るつもりだ。

 なんだったら西郷さんの銅像を見に寄り道をしてもいい。


 さて、そろそろだな……

「次は~」

 きた!

「あのな~、五百蔵。実はねパチンコの事で思い出したことがあるんだよ」

「おっ!? なになに? 耳寄りな情報?」

「さっき見た品川のパチンコ屋」

「うん」

「お前の好きなあの有名な女優さんも来てるらしいよ」

「えーー!? まぢかよ?」

「あぁ、もしかしたら会えるかもな」

「へぇ~、さすが東京。そんなとこで芸能人に会えるかもしれないのかよ……」

 因みにこの情報は嘘だ。
 
 ただ単に電車のアナウンスを五百蔵に聞かせたくなかったのだ。

「さぁ、降りるぞ」

「ほいよー」

 電車から降りると五百蔵は、俺の思惑通り戸惑っている。

「あれ…… ここって……」

 きたきたきた!

「まさか上野駅か!?」

「ふふふ、そうだよ」

 俺の嘘話に夢中で、気が付かなかったようだな。
   
「すげー、ここがあの歌の歌詞に出てくる上野駅……」

 ふふふ、その表現の仕方よ。

 けど、確かにそう言われると俺の脳内にも有名な演歌歌手の曲が流れて来た。たぶん五百蔵もその曲のことを言っているのだろう。

 東京の駅を想像して1つ名を上げろと言われると、この上野駅と答える人は多いだろう。

 まぁ、俺の年齢から上の世代だけどな。

 兎に角、それほど有名な駅だ。

「うわ~、俺があの上野駅に居るのかよ今~」

 分かる分かる、感慨深いものがあるよな、うん。

 改札を出て広小路口へと向かう。

 アメ横に行くなら不忍口へ向かうべきだろうが、五百蔵に見せてあげたかったんだ。

 広小路口を出て直ぐ左側にある歩道橋の階段を二人で上る。

 あれほど歩くのに文句を言っていた五百蔵が少し小走りになっている。

 正面口の方へ向かうと駅の屋上に上野駅と書かれた切り文字のサインが見えて来た。

「おぉー、これだこれ! 上野駅って実感が湧いてきたよ」

 二人で歩道橋の手すりにもたれかかり、しばらく間ぼんやりと上野駅を眺めている。

 五百蔵はずっと笑みを浮かべていた。


「そろそろ行こうか?」

「おう!」

 アメヤ横丁に着くとさっきの上野駅と同じ様に驚いていた。

 テレビで見たことがある場所に今自分が歩いているというだけなのに、どうしてあんなにも嬉しいものなのだろう。

「アメ横って食べ物専門の商店街だと思っていたよ。色々な店があるんだな~」

「そうなんだよ、俺も最初そう思っていたけどな。 ……ほら、あの店を見て」
  
 俺が指差したのはミリタリーショップの中田商店だ。

「おぉぉ! ミリタリーの服を売ってるじゃん!」

「あぁ、そうなんよ」

 何故だか分からないが、ミリタリーショップを見ると胸が熱くなってくる。

 どうやら五百蔵も同じようだ。

 店内に入り色々な商品を手に取り見て回った。

 たぶん、時間が許すのであれば2時間でも3時間でも物色していただろう。

 だが、時刻は19時を超えている。そろそろ閉店の時間なので仕方がない。

「店も閉まるみたいだし、そろそろ酒を飲みに行こうか」

「おー、行こう行こう」

 アメ横を南下して、御徒町駅前を通りすぎて更に南に歩いて行く。

 すると、高架下に様々な店が見えてくる。

 そして、その中の1軒の小さな居酒屋に入った。

「ここか……」

 少し拍子抜けしているみたいだな。ふふふ。

「いらっしゃいませー。お二人様ですか?」

「はい」

「空いているお好きな席へどうぞ」

 店内にはテーブル席が5つと、カウンター席が10席か。

 客はカウンターに1人、テーブルに2組。

 俺達は適当に空いているテーブル席に座り、とりあえず生ビールを注文すると、直ぐに持って来てくれた。

「かんぱーい!」 「かんぱーい!」

 ジョッキを合わせガチャっと音を立てる。

 そして、暗黙の了解で競争でもしているかのように、ゴクゴクと音を立てて、一気に飲み干す!

「プハ~、美味いな~中山」

「あぁ、美味い。東京で旧友と飲む酒はまた格別だ」

「そうだな。ちょっと不思議な気分だよ」

「俺もだよ」

 そう言うと、五百蔵は俺を見て微笑んでいた。


「なぁ、この店にいつも来てるのか?」

「いや、今日が始めてだよ」

「えぇ? 東京って感じの店に連れて行ってくれるって……」

 その時、ちょうどタイミングよくアレ・・が来た。

 俺は人差し指を立て口元に持って行きシーっというポーズを取る。

 その直後だった。

「ガッタン、ゴットン、ガタガタガタガタガタ」

 呆けた表情で少し上向きで、その音を聞いている五百蔵。

 電車が通過した音だと理解した直後、呆けていた表情からニヤニヤと笑みを浮かべはじめた。

「シシシシ、なるほどね~。確かに東京って感じの店だよ」

「だろ~。俺らの田舎には高架下に店なんてないもんな。それにドラマで見る東京って、こういう所で電車の音をバックに酒飲んでるシーンが多いよな~」

「確かに確かに。これは雰囲気がいいな。よーし、電車の音を楽しみながら飲むぞ~。おねーちゃん、生2つね、大至急」

「はーい、生2つ~」

 その後、子供の頃の話で盛り上がっていたが、やはり俺の病気の話になった。

「中山……」

「ん?」

「大丈夫なのか?」

「……癌のことか?」

「……うん。今も一緒に酒飲んでるし、お前のかーちゃんから聞いた時も、どうしても信じられなくてよ」 

「まぁ、再発はまだしていないよ」 

「検査したのか?」

「あぁ、5年間は3ヶ月に1度の割合でⅭTと血液検査を続けるみたいだ」

「……次の検査はいつなんだ?」

「そうだな。手術後1ヶ月で最初の検査をして、それから3ヵ月後にCTやったからな。来月またCTだな」

「……そうか」

 さっきまで楽しく飲んでいたが、俺の病気のせいで真逆になってしまったな。
 しかし、五百蔵の曇った表情はそれだけが理由では無かった。

「実はな…… まだ知らないと思うけど上村かみむらが亡くなったんだよ……」

 ……上村? 一瞬どこのって言葉が頭に浮かんだが、五百蔵が口にする上村と言えば思い当たるのは一人しか居ない。

「う…… 嘘だろ?」

「本当……」

「いつ?」

「先月……」

「じ…… 事故なのか?」

 俺の問いかけに五百蔵の口から出た言葉は、俺には重過ぎた。

「……癌だよ」

 ……癌

 
 上村美紀…… 中学1年の時に、俺と五百蔵は上村と同じクラスだった。

 肌は透き通るように白く、そしてハーフみたいな顔立ち。

 性格は明るくて、いつも笑っていて、今思い出してもあの屈託のない笑顔の上村が俺の頭の中に出てくる。

 俺は勿論のこと五百蔵も上村に惚れていた。

 当時、好きな人の名前を手の甲に書き、それをバンソウコウで隠すのが流行っていて、クラスの男子のうち半分近くが上村の名前を書いていたと後で聞いた事があった。

 あの上村が…… しかも俺と同じ癌で亡くなっていたなんて……

 言葉が何も出てこなかった……

「すまないな、お前も同じ病気なのに、こんな話をして……」

「……いや。 お前から聞けて良かったよ…… 確か、まだ成人していない子供が……」

「そうなんだよ…… 子供は上村の父親と母親が面倒みているらしい」

「そうか……」

 その後にそれは良かったと言いそうになったが、その言葉を止めた。

「中1の時に同じクラスにいた岡島を覚えているか?」

「あぁ、覚えている」

「あいつ、今焼肉屋を経営してるんだけど、そこに上村は子供連れて良く来ていて、ずっと仲良くしていたらしいんだ。
俺も上村が亡くなった後に岡島から聞いて…… 本人は生前、病気の事も入院していることも伏せておいてくれと言っていたらしい」

 その気持ちは俺にも分かる……

 俺も兄には知られたくなかった。

「会社の健康診断で異常が見つかって、精密検査を受ける様に言われていたらしいけど、シングルマザーで仕事と2人の子育ての両立で時間が無かったんだろうな。病院に行った時はもう手遅れで、それから直ぐに……」

「……そうか」

 あの上村が…… もうこの世に居ないなんて……


 沈黙の後、俺は口を開いた。

「なぁ、五百蔵……」

「ん?」

「お前と次に話す時に必ず言おうと思っていたことがあってな」

「……何?」

「会社の健康診断以外にも定期的に人間ドックを受けてくれよ」

 少し間が空いて五百蔵が口を開いた。

「……うん、分かった」

「約束してくれ」

「うん、約束するよ」

 五百蔵は俺の目をジッと見て言ってくれた。

 恐らく嘘ではない、必ず人間ドックに行ってくれるだろうと確信した俺はホッとした。

 重い話題を変えたかったのだろう、五百蔵は急に別の話を始めた。

「あー、明日は仕事終わったらさっそく今日見たパチンコ屋行って、芸能人が居たら隣で打ってみようかな~」

 ……フッ。

「えーとな…… 実はな……」

「うん、どうした?」

「実は、その話は嘘なんだよ」

「……はぁ?」

 五百蔵は目を丸くして口も開きっぱなしだ。

「いや~、あの時さ、ちょうど電車で次は上野ってアナウンスのタイミングだったんだよ。それをお前に聞かせたくなくて…… つい……」

 驚きの表情はゆっくりと笑顔に変化していく。

「……シッ、シシシシ。そういうことかよ~。変わってないなぁ、お前はよー」

 ……変わってない?

「いや~、すまん、すまん。お前の好きな女優の森さおりが、パチンコをしてるのかも知らないもん」

「ブッ!」
 
 その時、一人でカウンターで飲んでいた人が飲み物を吹いた。

 
「すみません、こぼしてしまって。おしぼりお願いします」

 その客は慌てて店員におしぼりを頼んでいた。


 ……ん? どこかで聞いた事ある声だな……

 え~と、どこだったかな……

 まぁ、思いだすのはいいや。

 俺には五百蔵にもう一つ言わないといけないことがあるしな。


「なぁ五百蔵」 

「なんだよ~、またかしこまって……」

「いや~、実は俺昨日で仕事辞めちゃったんだよな~」 

「ああ? ずっと務めていた町工場を辞めたの?」

「そうなんだよ…… お前から電話あった時、ちょうど社長に最後の挨拶に行った帰りでさ」

「そう……なんだ……」

「あぁ……」

「だからあの時間に俺の所に来れたのか…… じゃあ帰ってくるのか?」

「まぁそうなるかな。直ぐにじゃないけど退職金も出るし、失業保険も受け取れるし、しばらくはのんびり最後の東京を楽しんでから帰ろうと思っている」

「そうかぁ……」

 そう返事をした五百蔵は言葉を発しなくなり、無言の時間が少しの間続いた。

 五百蔵の態度が気になって率直に聞いてみた。

「ど、どうしたんだよ。何で急に黙り込んだ?」

「う~ん、まぁ俺の勝手な話なんだけどよ」

「何だよ?」

「う~ん」

「言えよ、ふふふ」

 俺達の間には言えない話など無いと思っていたので、その五百蔵の煮え切らない態度で思わず笑ってしまった。

「俺はよ、お前が中学出て直ぐに東京行ってよ、一人で頑張っているのをいつも励みにしていたんだよ」

「え?」

「仕事辞めたいと思った時も、中山は見知らぬ土地でずっと同じ町工場で働いて頑張っているのに、俺は何を悩んでいるんだってね。そういう風に考えて、辛い時を乗り越えてたんだよ」

 その言葉は正直嬉しいけど、親友だからこそ、そんな言葉を聞くと恥ずかしくもある。

「……ふっ」

 照れ隠しの笑いが思わず漏れてしまった。


「本当に帰ってくるのか?」

「そうだな…… 他に行くところも無いし、やりたい事も無いしな」

 そう答えると、五百蔵は突然訳の分からない事を言いだした。

「なぁ、カーネル・サンダースって知っているか?」

 カーネル・サンダース?

 俺は昔五百蔵と一緒に夢中になっていたプロレスが頭に浮かんだ。

 そんなレスラー居たような気がして、一生懸命思い出そうとしていたが、思い出せない。

 けど、どこかで聞いた名だ。

 五百蔵との会話で出てくる外国人の名前だから、やはりプロレスラーだろうな。 

「プ、プロレスラーだっけ?」

「ブッ!」

 吹き出したのは五百蔵ではない。カウンターの客だ。

 それで俺は間違っているのが分かり、恥ずかしくてカウンターの客の吹き出しを無視した。


「違うよ~。カーネル・サンダースと言えば……」

「うん」

「ケンタッキーフライドチキンの創業者だろ」
 
「あ~、そうだ。そうだったな」

「知っているか? あの人って60歳超えてからも起業したんだぜ」

「60歳超えてから?」

「うん。フランチャイズって今では当たり前に聞く言葉だけど、その事業形態を考えて最初に始めたのもあの人なんだよ」

「へぇ~」

 興味惹かれる話だ。

 俺は、あの人はマスコット的な存在だと思っていた。

 その話を聞くと、確かに凄い人なんだと思ったが、いったい俺に何の関係があるというのだ。

「俺達まだ40歳だろ。あー、お前は41歳か。俺より誕生日早かったもんな」

「あぁ」

「つまり、カーネル・サンダースさんに比べれば、俺達はまだまだ若いってことだよ」

「そうだな……」

「やる気さえあれば、60歳超えてから起業した人もいる。なのに、このままでいいのかな……って思っちゃって」

 五百蔵のその言葉は、癌になってから半年間、毎日毎日俺の頭の中に現れた言葉だ。

 そしてその言葉に後押しされるように25年間務めた何の文句も無かった工場を辞めた。

 本当に田舎に帰る為…… なのか……


「だけど、何をすればいいのかな……」

 俺はボソっと呟くと五百蔵が話し始めた。

「もしだけど、20年前に戻れるなら何をすべきか思いつくよな?」

「ん?」

「二十歳の時、その時の俺達は何をすればいいのか明確に分かっていなかった。けど、今の俺達なら二十歳の俺達に、これをやっておけ、あれもしておけとアドバイス出来るよな?」

「……そりゃそうだよ。二十歳の時と今の俺達とでは経験が違うじゃん」

「そうなんだよ。それって今にも言える事だよな」

「え?」

「つまり、十年後の俺達は今の俺達に的確なアドバイスが出来るってことだよ」 

 確かにその通りだ。 だけど、それは空想であって現実ではない。

「分かるよ五百蔵。だけど、それって後出しジャンケンと同じじゃないか?
これから先の結果が分かっているからこそアドバイスが出来るんだろ?」

「そうなんだよ。だから……」

「だから?」

「今の俺達は、今現在ベストだって思う事を信じてやるしかないんだよ」

「……」

「未来の俺達からアドバイスなんてある訳がない。だから考えて考えて、今ベストだって思うことをやってみて、結果それが間違いだとしても、後悔は無い! 後からあの時こうしておけば、あーしておけばって言うのは、お前が言った通り後出しジャンケンと同じなんだよ」

「……」

「だから、失敗してもいいんだよ。1番後悔するのは、何もしないって事なんじゃないのかな……って、えらそうに思っちゃったりして」

 自分で考えて決断するのは当たり前だ。
 
 けど、自分を信じて行動するのと、なんとなくで行動するのとでは違う……

「お前はよ、さっきの電車の中でアナウンスを聞かせない為に女優の森さおりの話を急にしてよ、知らずに上野駅に着いた俺に感動を与えてくれるみたいな事を昔から皆にしてるよな」

「俺が皆に?」

「やっぱ気づいて無かったか。けどそれって、自然とできているって証なのかもしれないな」

「俺が自然と人に……」

 そんな馬鹿な。感動を与えているのは俺ではない……はずだ。

 その時、電車が店の上を通過した。

「ガタンガタン、ガタガタガタガタ」

 もう何時間もこの店で飲んでいたので、数えきれないほどの電車が通過したはずだ。

 だけど、この時の音だけは、はっきりと心の奥にまで聞こえた気がした…… 


「おやじさーん、お勘定~」

「はーい、忙しい中いつも来てくれてありがとうね」

「ううん、私この店好きだから。おやじさんの料理美味しいし、それに……
今日も興味深い話が聞こえて来たし。またね~」

「はーい、ありがとうございました~」

 カウンターの客は薄いサングラスをかけていて、帰り際に一瞬俺と目が合ったような気がした。
 
 すると軽く会釈をしてきたので、俺も無言で会釈を返した。

 ……声といい、どこかで見た事あるんだよな~。歳のせいかな、思いだせないや。


 びっくりしたなぁ。いきなり私の名前が聞こえた時は、バレちゃったと思って焼酎を吹いちゃった。

 後出しジャンケンかぁ……

 ちょっぴり良い話が聞けたなぁ……
  

 
 この5ヵ月後、女優の森さおりは、ハリウッドにチャレンジするために事務所を退所した。


「今何時だろ?」

「ん? えーと」

 俺は五百蔵の後ろにある店の時計に目をやった。

「おっ、もう22時だぞ」

「まぢかよ~。ほんと楽しい時間だけ早く感じるもんな~、やだやだ」

「そろそろ戻るか?」

「あーぁ、こうやってずっとこの雰囲気の良い居酒屋で飲んでいたいな~」

「だな」

「お前、明日休みかよ、いいな~」

「そうなんだよ、明日も仕事行かなくていいなんて、かなり不思議な感じだよ」

「だろうな、シシシシシシ」 「あははははは」

「おやじさーん、おあいそ~」

「はーい」

 
 代金は五百蔵が奢ってくれた。

 俺が奢りたかったけど、昔から言い出すと聞かない奴なので、素直に従った。

 御徒町駅から今度は・・・山手線の外回りに乗り品川駅に到着した。

 駅構内で五百蔵と別れた。

「じゃあな~」

「ホテルに1人で行けるか? ついて行こうか?」

「シシシシ、うるせーよ。明々後日、新幹線に乗る前にここでメシでも食おうや?」

「ああ、連絡待っているよ」 

 五百蔵はこの半年後に会社を辞め、独立した。

 大好きな森さおりがハリウッド挑戦するのに触発されたと、そう言っていた。

 一人電車に揺られながら五百蔵との会話を思い出していた。
 
 60歳超えてから起業…… 今の自分を信じて…… お前は人を……

 そして、このままでいいのか…… この半年間俺を悩まし続けた言葉がまた……


「次は大森町です。まもなく大森町、大森町です」


 今夜は電車のアナウンスが、やけに心に沁みやがる。


 電車を降り、25年間住んでいるアパートに歩いて行く。


 ドアを開けると、狭い部屋の片隅に大きな旅行鞄が置いてあり、嫌でも目に入ってくる。

 その旅行鞄は、田舎に帰る為の物ではなく、ましてや旅行に使う為でもない。
 
 俺は癌の手術の時、急に入院になった事で、病院に検査に行くときはいつも旅行鞄を持って行くようになった。

 鞄の中身は服と下着の着替え、タオル、歯ブラシ、箸にスプーン、コップ、髭剃り、スリッパ、そしておむつなどだ。

 看護師さんに入院中に着る服は前開きのものをと言われて、近所の店で探してみたが売ってなかったからまたレンタルしないといけない。


 レンタル……


 俺はその言葉で思い出したことがあった。

 確か、レンタルおじさんって職業があったような。前にどこかで耳にしてずっと気になっていた職業だ。

 携帯電話を使いネットで調べてみる。

 ……あった。

  
 
 お前は人に感動を与えられる…… 

 
 1番後悔するのは、何もしないって事なんじゃないのかな……

 俺は…… 自分ではなく親友の言葉を信じてみよう。


 それが俺の決断だ。


 次の日。

「ここだな……」

 俺はとあるビルの一室の前に立っていた。

 コンコン

「はーい」

 ガチャ。

「すみません、朝に電話をした中山です」

「あ、はーい。こちらにおかけください。直ぐに担当の者がきます」

「はい」

  びっくりした…… 凄い美人な人だな……

 5分後……

「初めまして担当の浜口と申します」

「初めまして、中山です」

「えーと、レンタルおじさんの面接ですね」

「はい」

「ご経験は?」

「すいません、ないです」

「そうですか。今まで他の人には負けない、何かそういう経験などはありますでしょうか?」 

 ……そんなもの普通の俺にある訳もない。

「えーと……」

「……そうですか。何故レンタルおじさんを始めようと思いましたか?」

 その質問に対して俺は…… 明確な答えを持っている。

「……です」

 担当の浜口さんはもう一度聞き直してきた。

「えっ? もう一度お願いします」

「人に、感動を与えたいからです」

「……」

 浜口さんは無言で俺の目をジッと見てきた。


「分かりました。当社では項目に何ができるかを記載しています。中山さんはお客さんに対して何をなさいますか?」

「えーと……」

「例えばですね、時間は18時から22時までの間で、居酒屋や喫茶店での悩み相談だけとか、そういう感じでお客様に何を提供できるかですね」

「何でもします」

「え?」

「依頼に制限は設けません。なんでもやります」

「……分かりました。ではさっそくサイトに載せる写真を撮りましょう」

 浜口さんは頷きながら答えた。


「えっ、今からですか?」

「はい! 善は急げですよ」

 浜口さんは微笑んでいた。

 その表情を見て俺はつい笑っちまった。

「……ははっ、ははは。分かりました、お願いします」

「う~ん、渋谷とかより巣鴨辺りで写真撮ろうかな?」

「浜口さんが撮るんですか?」

「そうですよ~。う~ん、中山さんはちょっとパンチが弱いから……」

「分かりました。薔薇の花でも口に咥えましょうか?」

「……いえ、それはちょっとご勘弁を。 ……ふふっ」

「あははははは」 「ふふふふふっ」


 俺の名は中山英吉  職業は、今日からレンタルおじさんだ!

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