15の手紙

拝啓~15才の僕より~

僕はたまにSNSをさかのぼる。その中で、僕が成人式の投稿で挙げた一枚の写真を見つけた。その写真は中学生の僕が20才になった自分へ書いた手紙が映したものだった。手紙の内容はクラスの友人のことから時事問題も取り上げていて、どうやら今も昔も僕という人間は少し変わっていたようだった。手紙の最後に大人になった僕に送りたい言葉があると書いてあった。「自分の夢に責任を持て」これは哲学者ニーチェの言葉だそうだが、なぜ僕がこの言葉を選び送ったのかは一切覚えていない。しかし、当時の自分にこの言葉は刺さった。今回はこの言葉を20の自分なりに当時受けとめ考えたことを書いていこうと思う。

自分の夢ってなんだったっけ?小さいころ僕は科学者になりたいといっていた。(もっと小さい時には仮面ライダーになりたいといっていたみたいだがもはや覚えていないので割愛)けれどもその夢は小学校の学年を一つ一つ上がっていくにつれてしぼんでなくなってしまった。科学者はお金を稼げないし、僕は数学が苦手だと‘‘感じた‘‘からだ。特に根拠があるわけでもない。ただ何となくそう悟ってあきらめてしまった。科学者という夢をあきらめてから、僕の夢は宙ぶらりんになって見えなくなてしまった。道徳の時間や学級活動の授業で、将来の夢について考える時間が大嫌いだった。僕は夢なき少年として少年時代を過ごした。そして、高校生になってくると世界が広がり現実ばかりを見るようになった。どんなに頑張っても上がいる、そんな事実から逃れたくて将来について考える時に‘‘安定‘‘を強く求めるようになってしまった。そして行き着いた先が公務員という職業だった。公務員の方にも失礼極まりなく、また将来の夢として語るにはあまりに幼く拙い理由ではあったのだが、当時の僕はそこまで気にしていなかった。

大学生になり自分の将来を本格的に見据える時期になっていても僕の夢は公務員のままだった。自分が何をしたいかなんて意識的に考えないようにしていた。夢なんて持つものじゃない、苦しいだけだ。現実を見ていこう。そう考えていた。成人式の日までは。

成人式の後、中学の同窓会がありそれに参加した。かつて担任だった先生が当時中学3年生だった自分たちが20の自分に向けて書いた手紙をずっと保管しておいてくれ、それを5年ぶりに返してもらった。その中であの言葉を見つけた。と、そしてそのあとに続けて15の僕の夢が書いてあった。高校生クイズ選手権の問題を2問正解する、海の近くに別荘を持つ、マダイを釣る……夢というには少し小さい、いわばやることリストのような夢が書いてあった。

僕はその時気づいた、というか思い出した。僕は夢多き少年だったのだ。夢の一つ一つは小さいけれどもそれらは確実に僕の夢だったのだ。夢は何も職業でなくたっていい。どんな小さな‘‘したいこと‘‘も夢になりうるのだ。科学者という夢を捨ててしまったあの日の僕は自分のしたいことを夢と認めず、現実に逃げていた高校生の僕は惰性で将来を考えていた。僕は夢からも逃げようとしていた。15の僕はそのことに何となく気づきかけていたのかもしれない。自分のしたいことをしっかり夢にする。そしてその大切な夢に責任を持つ。そうすれば夢に向かって歩いていくことができる。当時の僕がもがきながら未来の僕に宛てたメッセージなのかもしれない。

今の僕の夢は物書きになることだ。これもかつては心の奥底に置き去りにしかけていた僕の‘‘したいこと‘‘だった。15の僕に励まされて心の底から拾ってきたものだ。大学生後半になった今でもこんなあいまいな夢しか待っていない僕だけど心は晴れやかだ。責任をもって自分の夢を持ち続けることの大切さを15の僕に教えてもらえたから。

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