ちいさな幸せコレクション
僕は基本的に謙虚と優しいという言葉で着飾ったネガティブ人間だ。
ツイッター上で気になる人にリプを送ろうとするのは勇気がいるし、返信が来たとしても、「本当は嫌がっているんじゃないか」とかすぐ考えてしまう。心のどこかで大抵「お前なんて何もできない」という声がこだまする。
そんなのはいやだ!と思ってもそう簡単に振り払えるもんじゃない。中には、そんな自分と決別して別の人生を歩むことができました!という人もいた。
しかし、ひねくれものでもある僕はそれもできない。今までの自分と違う人生を歩むということは、今までの自分を否定してその上に新たな道を作っていくことだと考えている。僕にはそんな芸当とてもできない。
それなら、どうするか。こんなネガティブでひねくれた僕が、僕なりの人生への、楽しさの添え方を書いていきたいと思う。
まず大事なのは余裕だ、肉体的余裕はもちろんのこと、精神的余裕も大事にしたい。心のどこかに余裕がないと、何をしても休まらない。
たとえ日がな一日ゴロゴロして過ごしても心はちっとも回復しない。
そんな時は、音楽を聴くようにしている。そしてやることをノートやメモ帳に書き出す。どちらも頭の中から面倒なやるべきことや不安のたねを押し流してスッキリさせてくれる。
頭の中にこういったものをいつまでも放置し続けていると、なぜかどんどん肥大してあたかも大きな手の付けられない怪物の様に思えてくる。
そして不安の沼にずるずると引きずり込んでくる。
しかし、どんなに大きくて手の付けられない怪物に思えても、一度頭から出してしまえば案外大したことはないのだ。
できることから手を付けていけばいつか終わりは見える。
一度怪物のやっつけ方さえ覚えてしまえば、心のどこかで余裕をもって日常を過ごすことができる。
次に、その余裕が生み出す心のレンズで日常を覗くこと。世界には案外小さな幸せが転がっている。そのレンズを通して世界を見れば世界がほんの少しだけ、鮮やかで愛おしく映るだろう。
学校帰り、もしくは仕事帰りの街を照らす夕焼け、夏の終わりを知らせる彼岸花、湯呑茶碗に見つけた茶柱、はたまた帰り道に一度も信号につかまることなく帰れたこと……
これらの景色は明日か明後日あたりになったら忘れてしまうような小さな小さな風景だろう。しかし、心のレンズは時としてそれをいつまでも心にとどめておきたくなる”心の原風景”として映し出してくれることがある。
ちょうど、辞書の中に挟んでとっておいてある四葉のクローバーの押し葉の様に、日常の幸せをコレクションしてて置くことができるのだ。
今日も明日もこれからも、僕の小さな幸せコレクションは誰にも知られることなく数が増えていくのである。