『新NHKにようこそ!』―令和の佐藤くんと岬ちゃんはどう変わった? 「平成版」との比較考察
はじめに:令和の陰謀に巻き込まれる
こんにちは。先日、Kindleで『NHKにようこそ!』のマンガ版(原作・滝本竜彦、作画・大岩ケンヂ)が1冊33円とめちゃ安セールをしてて、俺も連載当時ちょこちょこ読んでた作品だったので全巻購入しました。
すると、なんと今年の10月に『新NHKにようこそ!』というリメイク版小説が出てることを知りました。これは陰謀……いや運命に違いないと思い、原作小説・マンガ版・『新』と3作ぶっ続けで読んだので、それぞれの違いとか感じたことを描きたいと思います。
NHKにようこその概要にようこそ!
まずざっくり各作品の概要について説明すると、『NHKにようこそ!』は2002年に刊行された小説(以下「原作」)です。
ジャンル的にはいわゆるライトノベルですが、本文中に挿絵はなく、ラノベっぽい要素は表紙でなんとも言えない表情をしている女の子(岬ちゃん)のみ。
マンガ版は2004年から2007年にかけて連載されました(以下「マンガ版」)。単行本は全8巻。
大枠は原作の流れを踏襲しつつも、原作者執筆のオリジナルエピソードや展開が大幅に追加されており、実質的に完全版と言っていい内容です。
さらに2006年には『N・H・Kにようこそ!』というタイトル(「・」は大人のジジョー)でアニメ化もされました(自分は未視聴なので本稿では語りません)。
そして今年2024年に『新NHKにようこそ』(以下『新』)が刊行された次第です。
公式には「リビルド」と謳われており、詳しくは後述しますが、リメイク・リブート・続編、それぞれの要素が混ざり合っているような立ち位置です。個人的には「アレンジ多めのセルフカバー」という感じでした。
「平成版」のあらすじ
それではまず原作小説版、およびマンガ版(合わせて「平成版」と呼びます)のあらすじを説明します。
主人公の佐藤くんは、大学を中退してアパートの一人暮らしのひきこもり。
街を歩けば周囲に嘲笑されているような幻聴に襲われ、社会復帰が絶望的な自分の境遇を「NHK(日本ひきもり協会)の陰謀だ!」と妄想することで精神の安定を図ろうとしている22歳の青年です。
そんな彼はある日、宗教勧誘の付き添いの少女・岬ちゃんと出会います。
夜の公園に呼び出された佐藤くんは岬ちゃんに、「あなたは私の『プロジェクト』に抜擢されました。」という告げられ、ひきこもり脱却を目指して岬ちゃんのカウンセリングを受けることになります。
一見王道の「どうしようもない僕に天使が降りてきた」的ボーイミーツガール……に見えるのですが、話が進むにつれ、岬ちゃんは天使などではなく、彼女も過去のトラウマから高校を休学中の(佐藤くんほどではないものの)ひきこもり的人種であることが明かされます。
すなわち、岬ちゃんにとって佐藤くんのひきこもり脱却プロジェクトは、現実逃避であり、自分よりダメな相手を見て安心する精神安定剤であり、自分に価値があることを確認する承認欲求を満たす行為だったわけです。
他にもアパートの隣人であり高校時代の後輩である山崎とエロゲーを作ろうとしたり、高校時代の部活の先輩(抗鬱剤中毒)とイケない関係になりそうになったり……といったサブの物語を挟みつつ、はたして佐藤くん(と岬ちゃん)は社会復帰できるのか? というのが大筋の流れです。
「令和版」との違い
一方『新』はというと、基本的なキャラクターの配置や大枠は同じですが、いろいろ違いがあります。
まず主要人物のキャラの漢字が微妙に変わっています(「中原岬」が「仲原岬」になっていたり)。
また年代設定が令和になっているので、佐藤くんと山崎がYouTubeに投稿していたり、DLsiteで同人催眠音声作品を売ろうとしたりしてます。
さらに、原作やマンガ版の展開が「ありえたかもしれない世界」としてさりげなく示唆されています。ただし本格的なループものとかパラレルワールドものではなく、あくまでファンサービス程度です。
令和版は佐藤くんのテンションが低い
では、特に重要な差異を一つずつ見ていきましょう。
まず一読すると、原作と『新』で全体的な文章とセリフのトーンがかなり変わっていることに気がつきます。
例えば冒頭、宗教の勧誘にやってきたおばさん(と岬ちゃん)への対応シーンを比較してみましょう。まず原作。
実に佐藤くんらしい返答だが、一方で『新』はというと……
えっ、これだけ? と思ってしまうほどあっさり。いや、返答としてはこちらの方がいたく真っ当なんですが、まったく佐藤くんらしく、『NHKにようこそ!』らしくありません。しかしこれこそが『新NHKにようこそ!』の恒常的な文体なのです。
もう一度、原作の文章を見てみましょう。
このセリフの前半のように、「同じ意味の言葉を無意味に繰り返す」のは佐藤くん(及びこの作品の主要キャラクターの多く)の典型的な台詞回しです。
これは「何かを喋りたいけど、何を喋りたいのかわからない」という焦りや混乱を示しており、それはすなわち佐藤くんが引きこもっている理由そのもの(何かをしたいが、何をすればいいのかわからない)なのです。
一方こちらは『新』の先輩との会話。普通です。平成版の頃のリビドーは、支離滅裂さはどこに行ってしまったんでしょうか。
これが令和の青年らしさということなのか、はたまた単の文体が変わったせいかはわかりませんが、とにかくこの「静かさ」が『新』の輪郭になっているのは間違いないでしょう。
令和版は岬ちゃんの影が薄く、先輩がめっちゃ出る
平成版の『NHK』において、岬ちゃんはヒロインでありもう一人の主人公でもある最重要人物です。しかし驚くことに『新』では岬ちゃんの出番はかなり少なくなっています。
『新』でも岬ちゃんは夜な夜な佐藤くんをカウンセリングしますが、それ以上の関係にはほぼ発展しません。
逆に『新』の物語を動かすのは「先輩」で、佐藤くんは先輩に頼まれて催眠音声やポルノ動画作成に巻き込まれていきます。
平成版ではあくまで脇役の「他人」だった先輩が、令和版では佐藤くんの行動によって命運が変わる主要人物の一人となり、逆に岬ちゃんは少し離れたところから物語を見守る「天使」のような存在になっている、という逆転現象が起こっているのです。
(※ここでの「長い付き合い」というのは、もちろん「原作が出た2001年から」というメタ的な意味だ。『新』の岬ちゃんからは、人間臭さが意図的に脱臭されているように感じる。)
令和版は佐藤くんが普通に「成功」する
平成版と令和版の大きな違いは、佐藤くんが山崎と一緒に作るものが変化していることです。具体的には、平成版は「エロゲー」でしたが、令和版は「催眠音声」になっています。
大差ないように思えるかもしれませんが、物語的には顛末に大きな違いがあります。
平成版のエロゲー作りは結局まとまらず、2人の電波的かつルサンチマンが煮詰められただけで終わってしまいましたが、令和版の催眠音声は仲間たちの協力もあって見事完成し、DLsiteで50万円の売上を達成する程度には「成功」したのです。
これは大きな違いです。なぜなら原作およびマンガ版では、基本的に佐藤くんのやることはほぼ例外なく失敗し、エンディングまで何一つとして成功しなかったからです。強いて言えば、(マンガ版の)「自殺オフ会」で周囲を思いとどまらせたぐらいでしょうか。
また『新』では、岬ちゃんの助けもあって佐藤くんが書いた小説が賞を取ることもできました。
前述の通り、平成版では岬ちゃんのカウンセリングは現実逃避かつ共依存のためのものだったので、こうした直接的かつ健全なサポートが行われているだけでも非常に大きな変化なのです。
令和版では佐藤くんと岬ちゃんの関係が変わらない
そして最大の差異はやはりエンディングでしょう。各バージョンを順番に見ていきましょう。
まず原作では、終盤に岬ちゃんは佐藤くんに「相互扶助に関する契約書」を差し出します。
要するに、恋人関係というフィクションを通じて共依存しよう、という不健康な申し出なわけですが、佐藤くんはこれを拒否。
これがきっかけとなり、岬ちゃんとのカウンセリングは終わりを告げ、佐藤くんも深夜アルバイトを始めます。
しかしその後、岬ちゃんが自殺しようとしてることに気づいた佐藤くんは体を張って(結果的に)彼女を助けます。
最後に岬ちゃんは「NHK(日本人質交換会)」を提案、一風変わった契約書を差し出すところで物語は終わります。
続いてマンガ版。こちらでも岬ちゃんは「恋愛契約書」を佐藤くんに差し出し、2人は「普通の恋人」になろうとします。
佐藤くんは岬ちゃんと同棲し、コンビニでバイトを始め、初任給でプレゼントを買ってあげます。一見微笑ましいカップルの姿ですが、それはやはり「契約書」に基づいた空虚な関係でしかなく、やがて佐藤くんの元を去る岬ちゃん。
最終話、再会した2人は崩れ行くアパートの屋根裏部屋で対話します。ドラマチックなシチュエーションに陶酔し、あわや心中しそうになる2人でしたが、エロゲーのパッケージを見て我に返る佐藤くん。こうした感情に流されるのは「陰謀」に操られているに過ぎず、自分の意志で生きるという選択をしたのでした。
このように、原作・マンガ版のいずれも佐藤くんは最終的に働き始め、(一応)ひきこもり生活を脱却しています。これはすなわち、岬ちゃんとのカウンセリング=それまでの関係が終わっているということです。
また岬ちゃんと(形式上)「恋人」になるかというのも重要なポイントです。原作では佐藤くんは拒否し、マンガ版では逆に受け入れています。
しかし、『新』は真逆です。
まず佐藤くんはエンディング時点でも働いてません。催眠音声作品の第二弾を作ったり、小説を賞に応募して賞金を稼ぐ、と言った皮算用は示唆されていますが、基本的には物語冒頭と大して状況は変わっていません。すなわち岬ちゃんとの関係もそのままで、恋愛関係に繋がりそうな気配もないです。
これは、明確なテーマとしてはっきりとセリフでも語られています。
新NHK(なんだかんだで・ひきこもりでも・こわくない)
キレイに終わっているマンガ版と比べると、これは一見、成長や変化を拒否する退行的な要望に見えます。
しかしもう少し考えてみると、おそらく『新』は「ひきこもり(のまま)でいること」を肯定・許容しているんだろうなと感じました。
そもそも『新』の佐藤くんは、原作およびマンガ版で幾度となく語られていた「陰謀」や「周囲が自分を嘲笑う声」に怯えていません。岬ちゃんとの関係も「このままがいい」と考えています。つまり令和の佐藤くんは現状を認め、受け入れているのです。
これは作者がいわゆる「丸くなった」、というのもあるでしょうが、2001年→2024年という時代の変化も大きいでしょう。
2001年当時は「ひきこもり」や「オタク」は異常な社会的弱者として虐げられる立場でしたが、令和の現在ではリモートワークが珍しくなくなり(むしろ「引きこもる」ことが社会的に推奨された不思議な数年間すらありましたね)、マンガやアニメにも抵抗がある人の方が少数派になりつつあります。
「仲間内で作ったアダルト音声を売って小遣いを稼ぐ」という「働き方」も現実的なものになり、「NHKという陰謀から国民を守る」と豪語する政党すら出てくる時代においては、『NHKにようこそ!』はこういう風になるんだなと感じました。