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「オタサーの姫マンガ」の傑作 『姫と呼ばないで』1万2000字感想&エンディングへの疑問


0 はじめに ~なぜかオタサーの姫という概念にハマってしまうの巻~

こんちは。
ここ最近、なぜか「オタサーの姫」とか「サークルクラッシャー」という概念に興味が出てしまったので(なぜ出てしまったのかは今回は割愛します)、その手のテーマの作品をいろいろ探してました。
その中で見つけた『姫と呼ばないで』というマンガがかなり面白かったので(そして結末に言いたいことがあったので)今回は紹介&いろいろ思ったことを語りたいと思います。

『姫と呼ばないで』1巻表紙。このソバカスの子が主人公の美也子。
こういう地味系な子がオタク系サークルにいると意外にモテるよね、という感覚が「理解る」人なら必ず楽しめる作品です。

『姫と呼ばないで』はコミックフラッパーという雑誌で連載されていたマンガで、作者は「地下」さん。2015年に単行本が発売されました。全2巻なんで一気に書いやすく読みやすいのが嬉しいですね。(Amazonリンク

簡単なあらすじとしては、主人公の女子大生・前園美也子は男ばかりのオタク系サークル・特撮同好会に所属している紅一点のいわゆる「オタサーの姫」。
地味で冴えないためクラスでは友達がいませんが、サークルでは同じ趣味を仲間たちと語り合ったり、男子たちにお姫様扱いでチヤホヤされてなんだかなんだで充実した日々を送っています。
しかしある日、サークルに新居屋つづらという新しい女子が入ってきます。美也子は自らの「姫」としての立場が危うくなったことを察知、彼女をサークルから追い出すために画策する……というのが(中盤までの)大まかなストーリーです。

話だけ聞くとドロドロしたストーリーですが、キャラクターの表現は適度にデフォルメされてますし、全体的にコミカルな雰囲気でなので、決して暗い作品ではないです。そういう意味では気軽に読める作品ですが、描かれているものは非常に複雑で考察しがいがあり、深い内容になっています。

1 トラウマとお姫様

では物語を詳しく見ていきましょう。

本作の主人公・前園美也子のトレードマークは大きな丸メガネとそばかす、化粧はせず眉毛は伸ばしっぱなし、服装はいつも地味なズボンという、いわゆる「冴えない女子」です。

彼女がこうなった理由は1話の冒頭、小学校時代の回想によって語られます。
美也子は幼い頃、きらびやかなお姫様が出てくるような少女漫画が好きでした。お姫様に憧れた美也子は、フリフリの「お姫さまワンピース」を着て学校に行こうとしますが、それを見た他の女子に「すっごいブス」「家の鏡曇ってるんじゃないのー?」「ああいうの学校に来て行こうって根性がすごいよね~」死ぬほど陰口を叩かれます。

1話より。この事件以降、美也子は「かわいいもの」を本能的に忌避するようになる。

この経験が呪いとなり、美也子はそれ以来好きだった少女漫画も読めなくなり、容姿に対して劣等感を覚えるようになります。(作中で明言はされていませんが、「かわいいお姫様」とは対極にある「特撮ヒーローもの」が好きになったのも、この事件の影響があったのかもしれません。)

大学でも「ダサい挙動不審な人」扱いされて友達がいない美也子ですが、彼女には唯一居場所がありました。それが「特撮同好会」というサークルです。

1話より。大学のクラスでは陰キャ扱いされている美也子だが……。
1話より。オタクサークルでは楽しそう。

特撮同好会の主要メンバーは3人。メガネでリーダー格の最上くん。頬骨が出ている間中くん。チビでちょっと太った下仁田くん。全員外見的にはあまりパッとしない、いわゆるオタク男子です。美也子は特撮同好会で唯一の女子メンバーなのでした。

サークルに来ると美也子の態度は一変、明るく楽しそうに特撮のオタクトークを満喫します。大好きな特撮の話ができる場所があることを嬉しく思う美也子。
男子たちも紅一点の美也子にみな好意を持っており、彼女を暖かく迎え入れます。

1話より。指が軽く触れただけでどぎまぎしてくしまう男子。美也子のことはある程度「女子」として意識しているようだ。

さて、こうした美也子のような存在は「オタサーの姫」というスラングで表現されます。
オタサーというのは「(女子とあまり接したことがない)オタク男子が多数派なサークル(コミュニティ)」のことで、姫というのは「そこに所属している数少ない女子がチヤホヤされる」いわゆる「お姫様扱い」のことを指します。

一見、美也子は一般にイメージされる「オタサーの姫」像とは少しズレているかもしれません。
テンプレートなオタサーの姫のイメージは、黒髪ツインテールでガーリーなファッションにニーハイソックス、男ウケするような甘い声でやたらとスキンシップしてくる……みたいな感じだと思います(※そういうテンプレオタサー姫も後に登場します)。

が、実はオタサーの姫というのは幅広いタイプを内包する概念なのです。「オタクにモテる女子(オタサーの姫になりがちな女子)」の第一条件は、「男子と距離が近いこと」です。

オタク男子は異性との経験が乏しいため、自分から声を掛けるのが苦手です。なので女子の側から声を掛けてきたり近づいてきたらそれだけで好きになります
元来男は勘違いしやすい生き物ですが、その中でもオタク男子ほどチョロい生物は存在しないでしょう。容姿とかファッションは正直あんまり関係ありません。同じコミュニティにいて向こうから近づいてきてくれる女子がいれば、オタクは自動的に惚れます

この観点から見ると、美也子は立派に「オタクにモテる女子」の要素を持っていることがわかります。
3人の男子たち誰に対してもフレンドリーですし、特撮という共通の趣味について相手から楽しそうに話しかけてきてくれます。
容姿が地味なのも、オタク男子からすれば「緊張せずに話せる」「俺なんかでも相手してくれそう」むしろプラス要素になります。主人公を上記のテンプレガーリー系オタサー姫ではなく、地味系にしたのは慧眼と言えるでしょう。

ということで、特撮同好会での活動は満喫している美也子ですが、サークルの外では冴えない学生生活を送る日々。
翌日トイレに入っていると、同じ授業を受けている美人の愛沢野々花とその取り巻き2人が入ってきます。
3人はいわゆるキラキラリア充グループ。そこで野々花は新居屋ちゃんという友達が美也子のことを「のび子」と呼んでいる、と話します。

1話より。「野比のび太みたいな子」ということだろう。

それを聞いた取り巻きたちは爆笑。
陰口を叩かれていると知った美也子は、自分の冴えない風貌と情けなさに涙を流すものの、自分にはサークルという居場所があると言い聞かせます。

1話より。美也子も自分が「お姫様」であることはある程度自覚しているようだ。

イメージの中で、美也子はかつて憧れた少女漫画のお姫様のようなドレスを着ています。
周囲に付いている「王子様」はサークルの男子3人。メガネの最上くんはともかく、間中くんと下仁田くんはどこの国でも王子様になれなさそうな顔面ですが、別に良いのです。美也子にとってはこの小さいサークルの部室が王国であり、それを笑うような女子はここにはいないのですから。

2 デブならデブらしくデブっぽいデブ服着てればいいじゃない!

しかし、そんな幸せな小王国を揺るがす事件が起こります。
その日、最上くんは知らない女子を連れて部室に入ってきました。彼女は新居屋つづら
少々太めな体型ながら前述したようなガーリー系のファッションに身を包んだ女子で、一人称はなんと「にゃー」。そう、画に描いたような「ぶりっ子系オタサーの姫」の登場です。

2話より。美也子とは別タイプの典型的「オタサーの姫」。

ここで重要なのは、新居屋ちゃんを初めて見た時の美也子の反応です。
美也子は新居屋ちゃんに対し、ほとんど生理的とも言える強烈な拒否反応を起こします。

2話より。新居屋ちゃんに異常なまでに拒否反応を示す美也子。

特に美也子の怒りの矛先が向かうのは、新居屋ちゃんの服装と髪型、そして体形です。
「よりによってその体形でにゃー!?」「だいたいなにその服! 髪型! 体形に合ってないのにかわい子ぶるとか気持ち悪い! デブならデブらしくデブっぽいデブ服着てればいいじゃない!

なぜ美也子はこれほどまでに新居屋ちゃんを拒否するのでしょうか?
これには、いわゆる「ぶりっ子」「男性ウケ狙い」が女性に嫌われやすい、という一般論だけではない明確な理由があります。そう、前述した小学校時代のトラウマですね。

美也子には小学生の時、自分が好きな「お姫さまワンピース」を着て「ブス」と徹底的に否定されたという過去があります。この経験から、美也子には「自分は「かわいい服」を着てはいけないんだ」「目立ってはいけない」という自縄自縛が生まれたのでしょう。
しかし、目の前の新居屋ちゃんは「デブ」のくせに「かわいい服」を自信満々に着ています。
自分が押し殺した欲求を堂々と見せている新居屋ちゃんへの嫉妬、理不尽さへの怒り……なぜ自分は「ブス」と罵倒されたのにこの子は許されているんだ、不公平じゃないか、ならば私が代わりに罵倒してやらなければならない……そうした負の情念が美也子の中に渦巻いたのだと思われます。

さて、美也子とは違うかわいらしい魅力にほだされた男子陣は、すぐに新居屋ちゃんを囲ってちやほやし始めます。美也子はほったらかしで盛り上がる4人。
これまでサークルの中心だった美也子は経験したことがない疎外感を覚えます。

2話より。「姫」の座を奪われる美也子。

「サークルの姫」としての立場が脅かされていると感じる美也子。
そして「のび子」という陰口の考案者は元々新居屋ちゃんだったという事実を知り(思い出し)、美也子は新居屋ちゃんをサークルから追い出そうと決心します。

「サークルから追い出す」というとなんだか子供じみた嫌がらせに思えますが、実際、美也子にとってはこれは極めて重要な闘争です。
第一に、サークルは美也子にとって唯一と言って良い「居場所」であり、それが失われてしまうのは、極端に言えば生きる希望がなくなってしまうほどのショックでしょう。

2話より。美也子にとってサークルは、良く言えば居場所、悪く言えば依存先。

また、前述の通り美也子は新居屋ちゃんに過去の自分を重ねています。「デブのくせにかわい子ぶった服を堂々と着てる勘違い女」は美也子にとって断罪しなければならない悪です。なぜなら、もし新居屋ちゃんが肯定されてしまったら、「ブスはかわいい服を着てはいけない」という美也子が自分自身に課した自縄自縛が誤りだったと証明されてしまうからです。
勘違いブスはあまねく断罪されなければならない……かつての自分のように。こうして美也子のアイデンティティを守るための闘争が始まります。

3 変身の代償

美也子は新居屋ちゃんを追い出すために奔走します。
まずは部室で「のび子という陰口を叩かれている」とわざとらしく涙を流し(1話で「サークルは楽しいことだけでいい」と涙を見せなかったシーンとは対称的ですね)、男子共の注目と同情を集めた上で、新居屋ちゃんがそのあだ名の発信源であると暴露しようとします。

3話より。美也子の表情がたまらない。

が、肝心の新居屋ちゃんは「のび汰くんってかっこよくにゃい?」と平然とした顔でかわされます。
次に美也子は最上くんを学食に誘いコナをかけますが、新居屋ちゃんも下仁田くんとこっそり映画に行っていました。

4話より。水面下で(冴えない)男子たちの好感度を奪い合う2人。

なんとかして男子の気持ちを自分に繋ぎ止めなければ……決心した美也子は初めて化粧をし、トレードマークだった丸メガネも外すことにします。
少女漫画における定番中の定番イベント、「変身シーン」(「こ、これが私……!?」)ですね(「変身」は美也子の好きな特撮というモチーフとも重なります)。

5話より。化粧により「変身」した美也子。

実際、化粧をした美也子は少し垢抜けます。が、あくまで「少し」であり、マンガ的にも決して美女としては描かれていないのが本作の上手いところです。そばかすや太い眉はそのままですし、あくまで「地味だった子がちょっと頑張った」ぐらいに収まっているのが絶妙です。

一方で美也子の自己評価は結構高いようで「私が可愛くなることが」「かわいくなった私が」と(内心ですが)恥ずかしげもなく言っています。一種の躁状態という感じでしょうか。
化粧をした「変身」状態で部室に向かった美也子。新居屋ちゃんは「前の方が素朴で親しみやすくて好き」と言いますが、それを負け惜しみと取った美也子は満足します。

5話より。「勝ち」を確信した美也子。表情はどう見ても悪役のそれ。

やがて新居屋ちゃんの提案により、学祭のミスコンにコスプレで参加することになった特撮同好会。
怪人のコスプレをすることになるも、美也子は「バケモノみたいな格好」をして新居屋ちゃんの「引き立て役」になりたくないと考えます。

6話より。新居屋ちゃんとの戦いの中で自分を見失い始める美也子。

美也子が着たいのは綺麗なウェディングドレスの衣装なのですが、「うち特撮同好会だよぉ? やっぱり特撮っぽくなきゃ!」という新居屋ちゃんのぐうの音も出ない正論に打ちのめされます。

このコスプレ衣装を巡るやり取りは、美也子の心理の変化を考える上でかなり重要です。それまでは特撮愛が第一だったはずの美也子が、「特撮らしい」怪人の衣装ではなく「単にかわいい」衣装を優先しようとしているからです。
すなわち、この時点の美也子は「特撮を語れる場所を守りたい」という本来の目的よりも、「新居屋にコスプレで勝ちたい」という闘争本能の方が大きくなっているのです。嫉妬や怒りにより、自分にとって大切なものをすでに見失い始めているのですね。

これは明らかに「変身」の副作用でしょう。地味だったヒロインがお化粧によって垢抜け、自信が持てるようになった……というのは少女漫画の極めて典型的なサクセスストーリーですが、美也子のその場合は自信が不健全な方向に暴走してしまってしまい、「かわいければ絶対私の勝ちなのに!」とまで断言してしまっています。

とても容姿にコンプレックスを持っていた地味女子のセリフとは思えませんが、これがサークルという小世界の恐ろしいところです。
特撮同好会にいる女子は2人だけ。すなわち美也子には新居屋ちゃん以外の女子が見えていないため比較対象がなく、「あのデブよりも私の方が可愛い」という観念が一度固定されてしまうと、もうそこから抜け出すすべが無いのです。

7話より。かわいいドレスを着ることで、逆に新居屋ちゃんを「引き立て役」にすることに成功した美也子。

ともあれ最終的に、美也子はこっそり用意したウェディングドレス衣装で学祭に出ることに。
これで勝った……と勝利を確信する美也子でしたが、そこに本番の舞台に現れたのは「本当の敵」は新居屋ちゃんではありませんでした。

7話より。「外の世界」の住民、野々花の登場によりすべての調和が崩れていく。

ミスコン当日。舞台上にいるのは新居屋ちゃんと美也子……そしてもう一人、あのリア充女子・野々花でした。元々美也子が着るはずだった「バケモノみたいな衣装」の野々花に会場は熱狂。
それも当然でしょう。「本物」の美人である野々花の隣に立てば、ちょっと化粧を覚えただけの美也子は引き立て役にしかなりません。サークルという小さい島で小さいウサギとネコが争っていたところにライオンがやってくるようなものです。

7話より。新居屋ちゃんに引導を渡すはずの舞台で、これ以上ない屈辱を味わう美也子。

「王宮」の壁が壊されてしまった「お姫様」は現実を直視します。
「隣のブスはやべーけど!」「ウェディングドレスて(笑)」「右は肌ガッサガサだしやべーよ」
容赦のない言葉が美也子の体を突き刺します。それは小学校の時にかけられた呪いの言葉の再演です。

彼女が敗北した相手は新居屋ちゃんではありません。野々花が象徴する「外の世界」です。
しかし、これは見方によればむくいとも言えるでしょう。
上で言った通り、美也子は新居屋ちゃんへの憎しみのあまり、「特撮っぽいコスプレをする」という本来特撮同好会が優先すべき発想を完全に失っていました。
彼女は特撮同好会を、新居屋ちゃんを打ち倒すための道具として、自分の都合のために使おうとしていたのです。「王国」という魔法が崩れてしまったのはそのためなのです。

4 崩壊した王国

完全に打ちひしがれ、大学にもサークルにも行けなくなってしまった美也子。一方でサークルの男子たちは「外」からやってきた妖精のような存在・野々花に目を奪われます。

8話より。容姿レベルの差か、心なしチヤホヤ度も美也子や新居屋ちゃんよりも高い。

駅でちょっと話しただけでも有頂天になり、偶然を装って映画のチケットを貢ぎ、SNSをサーチして画像を漁る……。このあたりの描写はいかにもオタク男子っぽくて微笑ましいですね。

野々花はいわゆる「オタサーの姫」とは対極に位置する属性の持ち主ですが、オタクたちにモテて、貢がれ、チヤホヤされているという意味では立派な「オタサーの姫」です(繰り返しますが、オタクは近い場所にいる女子なら誰でも自動的に惚れる生物です)。3種類のオタサーの姫を同時に楽しめる贅沢な作品ですね!

さて、野々花を誘って学祭の打ち上げを行うことになったサークルメンバー。ショックで引きこもっていた美也子も、男子からの連絡が来て「自分が必要とされている」と感動、ガーリーで甘々な服を買って飲み会に向かいます。

8話より。妙な躁テンションとファッションで飲み会に来る美也子。

このシーンは地味ながら重要です。まず美也子が学校を休むほどショックを受けているのに、飲み会の連絡を送るまでは部の男子は誰も美也子を気にしていなかったという事実。

男子たちが野々花に夢中だったのもあるでしょうが、象徴レベルで考えると、男子たちにとって美也子は「部室の中ではお姫様」ではあるものの、「外の世界」ではそうではない、と捉えることができます。
部室を離れるとお姫様の魔法が解けてしまうので、彼女のことを忘れていたのかもしれません。

そして、美也子が打ち上げに着ていった服。リボンとハートマークのジッパーが付いたかなりガーリーなパーカーとミニスカートで、これは新居屋ちゃんが着ているような「典型的なオタサー姫ファッション」に近いです。
すなわち美也子が過去に封印した「お姫様ドレス」と同様、他人の目を気にするのではなく、ただひたすら自分が着たいかわいい服。ハートやウサギ風の耳のモチーフの幼さからも、幼児退行願望を感じてしまいます。

なぜ美也子はトラウマだった「お姫様ドレス」のような服を再び買って着たのでしょうか? それは、行き先が大学ではなくサークルの飲み会だったからです。
大学にはこんなかわいい服を着ていく自信などないでしょう。しかしサークルなら、あの男子たちなら私が何を着ていっても受け入れてくれる、そう思ったのだと思います。

そう、この時点での美也子は、特撮同好会というサークル、正確にはそこにいる男子3人に非常に強く依存している不健康な状態です。
野々花に完膚なきまでに叩きのめされ、アイデンティティを破壊されつくされた美也子にとって、残されている希望はやはりサークルしかありません。
――野々花は最悪だったが、所詮は「外の世界」のよそ者だ。サークルという「王国」にいればもう会うこともない。そう、自分の居場所はやはりあの「王国」だけだ……。そう決めた美也子は、「王国」の中ではより一層お姫様らしく自由に振る舞おうと決めたのでしょう。

しかし、美也子にとって唯一であり最後の居場所であるサークルすら、野々花という「外」の存在によって侵食されてしまっていたのです。
飲み会が始まりますが、それは美也子が思い描いた「王国」の愉快な夕餉などではありませんでした。
「好きなタイプは細マッチョ」と下仁田くんの淡い期待を打ち砕き、最上くんから貰ったチケットを「いらなーい」と一蹴し、間中くんのオタク的振る舞いを茶化して笑い飛ばす野々花。

9話より。リア充女子による残酷なイジりを受ける「王子様」たち。

店の外に出てからも、「メガネくんが送ってくれんの~?」「送るとかいってどっか連れこんだり~?」とオタクサークルとは相容れないタイプの冗談でからかいますが、安寧の地を蹂躙された「姫」はもう黙っていられません。

「メス豚ァ! 」「往来でいやらしいことやめてよこのクソビッチ!」
野々花を大声で怒鳴りつける美也子。しかし売り言葉に買い言葉、ついに野々花が禁断の呪文を唱えます。
「前園さんなんか、レベルの低いオタク男子にちやほやされて、喜んでるだけのブスなのに!?」
こうして、美也子と野々花の最終決戦が始まります。

5 すごーい! なにこれ! 気持ちわるーい!

10話より。オタサーの姫の痛々しさをえぐる野々花。

そう、野々花の目的は「オタサーの姫」である美也子を観察して楽しむことでした。
野々花にとって美也子は「オタク相手にお姫様気取りでいい気分になっている、痛すぎる勘違いブス」であり、むずがゆくも笑えるコントのキャラクターのような存在だったのです。
特撮同好会に入るつもりだという新居屋ちゃんを「姫キャラ」としてプロデュースし、部を引っ掻き回させたのも野々花の意向でした。彼女こそがすべての黒幕だったのです。

この種明かしを知ってから改めて冒頭から読み返すと、新居屋ちゃんの一貫していない態度の理由がよくわかります。
美也子を挑発するような言動はあくまで「オタサー姫の面白い反応」を引き出すため。しかし美也子を嫌っているわけではないので、「のび子」というあだ名に悪気がなかったというのは真実なのでしょう。

また「悪役」である野々花の心理も非常に複雑で多面的です。もちろん、「調子に乗ったブスってホント醜悪~」と美也子に直接言い放つ野々花は間違いなく「いい子」ではないのですが、一方で彼女は単に美也子を憎んで嫌がらせをするだけの役割としての存在でもありません。

2巻末おまけページより。「オタサーの姫」という概念に触れ、とても楽しそうな野々花。

新居屋ちゃんによれば、野々花は「イタイ系の話オタク」だそうです。オタサーの姫という概念を知った野々花は「えー、すごーいなにこれ! 気持ちわるーい!」「うわああ……やばーい! すごーい!」と大喜び。
そう、奇妙なことに彼女は「気持ちわるーい!」話を読んで喜んでいるのです。これが野々花が美也子に対して抱いている二律背反です。
本来「気持ち悪い」ものは嫌悪の対象であり、見たくありません。しかし野々花にとって「オタサーの姫」は「痛々しい」けど「すごーい!」もので、「見ていたい」怪しい魅力に溢れるものなのです。

言ってしまえば、オタサーの姫という痛々しい存在を嘲笑することで優越感を覚えているだけかもしれません。しかしそうだとしても、野々花がオタサーの姫=美也子に対して抱いている感情は嫌悪だけではないのは明らかです。
単に嫌いだから嫌がらせをするのではなく、からかって遊びたい、反応を見てみたい、そういう好奇心や悪戯心がないまぜになった複雑な感情が野々花の原動力になっているのです。野々花を単なる悪役ではなく、多面的で複雑な心理を持ったキャラクターとして描いている筆致は見事です。

6 これはメリーバッドエンドでは?

と、ここまで極めて楽しくこの作品を堪能してきたわけですが、この最終盤、美也子と野々花の対決シーンからエンディングにかけて大きな壁にぶち当たりました。
ぶっちゃけて言うと、物語の着地が不可解なのです。どういうことか見ていきましょう。

10話より。火の玉ストレートをこれでもかと投げ込む野々花。

美也子に対して「オタサーの姫」の痛々しさを語る野々花。我慢できなくなった美也子は平手打ちを食らわせ、お返しに野々花もペットボトルで美也子をぶん殴る。言葉で、物理で殴り合う2人。

この修羅場がどのような着陸を見せるのかこちらもハラハラしながら見守っていたのですが、結末は奇妙なものでした。
美也子は「自分が他人を見下す救いようがないブスであることはわかっていた」「私みたいなブスがお姫様になれるわけないよね」と懺悔します。
すると男子たちは「前園さんはブスじゃない」「あんまり自分のこと悪く言うなって」と(美也子よりはだいぶ軽いトーンで)フォローします。そして「前園さんはオレたちのお姫様なんだから」と彼女を優しく迎え入れるのです。

10話より。一貫して前園さんを全肯定する王子たち。

一見「いい話風」の救済シーンですが……いやいや、何も問題解決してないじゃん! と思わずツッコんでしまいました。
これは女子が「私って性格ブスで……クスン」と泣いてみせ、男子がとりあえず「そんなことないよ!」と否定するという、極めてありふれた、無意味な、男女間で発生する八百長的儀式でしかないでしょう。

10話より。美也子の「救済」も、部外者にとっては鼻白む茶番にしか見えない。

事実、野々花も「きっもち悪ぅ……」と率直すぎる(そして正しい)感想を漏らしています。
ここで野々花がいう「気持ち悪さ」というのは、野々花が提示したオタサーの姫の問題点について、何一つ解答が得られていない(にも関わらず解決の雰囲気だけがある)ということです。

野々花のオタサーの姫糾弾には様々な要旨が含まれていますが、根底にあるのは「お姫様気取りで男子を自分の承認欲求の道具として使っている」部分でしょう。
本来対等であるはずのサークルの仲間が、「姫と従僕」という関係に変容している気味悪さ、自分をチヤホヤしてくれる狭い世界に閉じこもる不健康さ、「王国」を脅かすものを排除する攻撃性。
そうした諸々を野々花は糾弾しているのに、美也子はそれに何一つとして答えず「自分は性格ブスだった」と泣いて許しを請うのみであり、男子もそれを全肯定して受け入れるだけ。それが「きっもち悪」いということなのです。

その後、少し時間が流れた後のエピローグ。新居屋ちゃんは特撮同好会を離れてしまいますが、美也子は相変わらずサークルで「お姫様」の立場に安住しています。

10話より。最終ページ。一見ハッピーエンドの雰囲気だが……。

「みやこ、みんなのこと大好き。ずっとこのままでいようね」
「ずっと、ずうっと、ずう~っと、一生、みやこの王子様でいてね」
という「お姫様」のセリフ(一人称が「みやこ」になっているのは、新居屋ちゃんの姫要素を「吸収」したのでしょうか)で物語は終わりますが、これはもちろん無理難題です。

現実問題として大学生活には終わりがあり、すなわち「王国」はいつかかならず自然に崩壊します。しかし最終ページの美也子は、そんな現実などまるで見えていないような、男たちに媚びた「かわいい」顔をしてみるのみ。
「姫と呼ばないで」というタイトルが虚しく響くほど「姫」であることにしがみつくエンディング。黒塗りの最後のコマは閉塞的な未来を示唆しているように思えてなりません。

作者の意図はわかりませんが、個人的にはこの終わり方は完全にバッドエンドです。流行り?の言葉を使えばメリーバッドエンドというやつでしょうか。登場人物は幸せそうだけど、外野から見るといやいや……というやつです。
あれだけいろいろあったのに、最終的に美也子は1話となんら変化も成長もしてません。いや、むしろ部活や男子たちとの共依存心が高まり、「お姫様」の立場により固執するようになったという点では「症状」は悪化しています
外の世界からやってきた妖精の呪詛は、お姫様には効きませんでした。ただ泣いて王子たちに許しを請うだけで、あらゆる問題はなかったことになってしまったのです。

では美也子はいったいどうすれば良かったのでしょうか?
もっとも王道なのは、美也子と新居屋ちゃんが友人として仲良くなるという展開でしょう。

もし新居屋ちゃんをサークルの仲間として、同性の友達として受け入れることができれば、美也子は「お姫様」ではなくなります。
しかし、それでもいい、紅一点でなくなっても男子はこれまで通り自分と仲良くしてくれるし、サークルは大事な居場所だ――そう思うことができれば美也子は「オタサーの姫」を卒業できていたはずです。

もし別の出会い方をしていれば、新居屋ちゃんと美也子は普通の友達になれていたかもしれません。
そう考えると、エピローグで廊下で会っても気まずそうに挨拶するだけの2人の姿は寂しくてなりません。

10話より。もし野々花のそそのかしが無ければ、新居屋ちゃんが素で接していれば、美也子が変わっていれば……2人の関係はまったく違うものになっていたのかもしれない。

7 おわりに

と、1万字以上もいろいろ書いてきましたが、エンディングに思うところはあるものの、全体的にはとても良い作品です。マンガとして先が気になる構成、キレイで読みやすい絵、類型的でなく奥深く造形されたキャラクター、どの点から見てもクオリティが高いです。

全2巻で読みやすいのも嬉しいのですが、個人的はもう少し長く読んでみたかった気もします。前述した美也子と新居屋ちゃんが仲良くなるような展開も、もしかしたらもっと連載の尺があったら実現していたのかもしれません。その場合は、「ラスボス」である野々花がより本格的に特撮同好会に乗り込んでくる展開になったかもしれませね。

オタサーの姫のみならず、サークルという閉鎖空間、女子の自意識などを描いた作品とういくくりで見ても出色の出来です。そういったテーマに興味がある方はぜひ読んでみてください。

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