御用聞きではない仕事
建築・とくに住宅は個人の色が強く出る時がある。
普段、お店に行って陳列された中からしか買い物をしないことが多いわたしたちにとって、無の状態から有るものにしていく作業が得意な人がどれだけいるだろうかと思う。
実際、自分が得意かどうかといったらデザイナーのような才能は無いと思う。
でも、あるのはたくさんの知識や実物件を見た数、それも優良の建築に限って数に数える。優良な建築って、そう多くはない。
地元にいたら、ほとんど見ない(笑)ってことは、一般の人は、普通にしてたらほぼ見たことない状態じゃないかと思う。
良い建築物って何か(これは人それぞれだと思うけど)
まず、外からみて町に溶け込んでいる
古くなってきてみすぼらしさを発揮しない見た目
住み心地のよい暖かさや涼しさを保てる
もちろん内装も新しいときから何十年後も素敵なままあり続けられるもの
できたら窓から見る景色がホッとできること
できたら庭があること。小さくてもいい
大きさが住む人が持て余さないものであること
物を溜め込む場所が少ないこと
メンテナンスする費用が捻出できる収入が適していること
私のような一般人にとっての条件です↑↑↑
世の中には、住宅の専門誌にでてくるような建築家がいらしてその方たちの設計は作品であり、そこに暮らせる人というのは適性があると感じていますもちろん住みやすさにも配慮されているし、素晴らしいのですが、私という人間には少し荷が重い感じもしていたりするので、あくまで個人の主観です。
でもって、私の言っている条件がなんとなく「?」な感じの人が、家を建てようと思って急にどこかの会社で色々と要望だけを伝えて、御用聞きな営業さんとかがプランをカタログから選んで、それをまたなーんとなく自分用にカスタムしたら、そりゃ滅茶苦茶な家になるよね(笑)
ここまで、書きながら気づいたことがあるのだけど、御用聞きな人な多くはお客様にその場で満足してもらいたいわけなので、例えば崩れた間取りを綺麗に整えて外観を良く見せようとか、しない方がよいと思っても欲しいと言われたら付けとこうか、全体をバランスよく纏める作業はしてくれない気がするので、やっぱり、「整える」とか「すっきりする」とか「いい感じ」にすることを大切にしてくれる人を基本的に選ぶと、家はまだ失敗が少ない気がしました。
お客様の意見に基本的に反対するなんて、普通したくないじゃん?やっぱりあえてするには、それなりの理由がある、そういうことだよね。