見出し画像

[一人旅・旅行記]中東リゾート観光地『ヨルダン』の魅力

2019年夏休みの一大イベント、ヨルダン旅行について書いていきたいと思います。

ヨルダンは世界不思議発見で知りました。

番組で紹介されていたペトラ遺跡にずっと憧れを持っていました。遺跡が荒らされないように、原住民の人たちが約1000年隠し続けていたため、ペトラ遺跡は実在するのかどうかもわからない幻の巨大遺跡と考えられていた。というストーリーに惹かれました。


出発

ヨルダンまでは、カタール航空を使いました。成田空港発着のカタール経由でヨルダンに向かいます。


成田空港22時20分発の便でしたが、空港に到着して電光掲示板を確認したところ、22時出発に変更されていました。
後々調べてみたところ、この時間の変更は多いようです。


成田-カタール間はほぼ満席、カタール-ヨルダン間は半分ほど席が埋まっていました。
長時間のフライトでくたくたになりましたが、なんとかヨルダンの首都アンマンの空港に到着しました。

画像48

乗り換えで使ったカタールの国際空港、ハマド国際空港です。産油国らしい解放的でゴージャスな空港でした。


画像1

ハマド国際空港にはKAWSデザインの巨大な人形も飾ってありました。


画像2

上の写真はヨルダンの空港です。
1階が到着ロビー、2階が出発ロビーになっていました。

「ヨルダン入国にはビザが必要、事前に日本で取得して行ったほうが安心だが、ヨルダン入国の際にも簡単に取得できる。」という情報がありましたので、僕はヨルダンの現地の空港でビザ取ろうと決めていました。
少し不安ではありましたが、実際やってみると通常の入国審査と同時にビザが交付され、本当に簡単で心配は杞憂でした。


僕が予約したのは旅工房の2泊4日の弾丸ヨルダン旅行ツアーでしたので、予定はぎっしりでした。空港に到着し現地のガイドの方と合流すると、早速観光に向かいます。ガイドはヨルダン人の方でしたが、早稲田大学に留学していたらしく、日本語は上手でした。


ネボ山

画像4

ネボ山に訪問しました。
ネボ山はモーゼ終焉の地と言われています。モーゼといえばユダヤ人をエジプトから脱出させるために、海の水を割って海底を歩いた逸話が有名です。


ガイドの人がネボ山と聖書の関係などいろいろ説明してくれましたが、難しかったです。
もっと勉強してくればよかった、、

画像5

修道院の扉を塞いでいた岩だそうです。


画像6

昔の教会の姿が復元されています。


画像7

綺麗なモザイク画の床が今でも見られます。


画像8

写真では伝わりにくいですが、地平線が広がっていて圧巻でした。
聖書ゆかりの地が見渡せます。

死海

画像9

ネボ山の観光も終わり、ホテルに到着です。
今晩の宿泊は「HOLIDAY INN RESORT Dead Sea」
HOLIDAY INNと聞いていたので、ビジネスホテル的な感じかなと思っていたのですが、いい方向に予想が外れて、完全にリゾートホテルでした。なかなか高級感がありました。

ヨルダンは、ペトラ遺跡と死海が代表的な観光資源です。

このホテルは死海まで歩いていく事ができ、猫の額のように小さいですが監視員のついているプライベートビーチがありました。

それに加えてプールも3つあり充実していました。死海の高級ホテルの集まるリゾートエリアから少し離れており、多くの人が想像するようなセレブの死海体験はこのホテルではできないかもしれません。


画像10

水周りも清潔でした。


画像11

ホテルの外観です。


画像12

部屋の目の前がプールであったため、海パンだけはいてカードキーを持って泳ぎに行きました。しばらく泳いで満足して部屋に帰ると、何回やってもカードキーが作動せず部屋の中に入れませんでした。

しぶしぶ海パン姿に裸足でぺたぺたとロビーまで歩き、つたない英語で、カードキーを更新してもらいました。
恥ずかしかったですが、今ではいい思い出です。


ホテルの中庭を通って死海まで行きます。

画像13

やっと死海に到着しました。
ヨルダン旅行の1つ目の楽しみです。



死海の見た目は予想より濁っていました。
ですが見た目は二の次、死海に求めているのはぷかぷかの浮遊体験です。

海水を触ってみると普通の海水よりもぬるぬるしている気がしました。

画像15

待望の死海への入水を果たすと、本当にびっくりするくらい身体が浮遊しました。
今まで味わったことのない感覚です。
死海ではほとんど沈む事ができないと言われている理由がわかりました。


画像14

死海の対岸側はイスラエルです。


死海で浮遊体験ができるのは、海水の塩分濃度が高いからだそうです。普通の海水の塩分濃度が3%であるのに対して、死海の塩分濃度は30%もあります。
その塩分濃度ゆえ、生き物が生息できないことからDead Sea 死海と呼ばれています。


実際に死海に入ってみるとわかるのですが、死海の水はとてもぬるいです。
死海に流れ込んでくる川の水に比べ、蒸発する水がとても多いことからこのような高い塩分濃度になりました。


死海の水は自然蒸発し続けています。死海の水を用いた工業も沿岸で発展しており、死海が近い未来に消滅するのではないかと言われています。


画像19

死海の水が蒸発した土地には、大きな工場などが建てられています。

ちなみに死海は海抜-400mに位置しており、地球上で最も標高の低い場所だそうです。


画像16

死海の泥が上の写真のようにビーチに置かれていました。

古代から死海の泥は大切にされ、エジプトのミイラ作りや、クレオパトラの化粧品にも使われました。

僕も全身に塗って見ました。なんだかすべすべになった気がします。


画像17

オレンジ色に輝く夕日が西に沈んで行きます。


画像20

とても幻想的な瞬間で、ビーチのみんながうっとりと見入っていました。

HOLLIDAY INNのプライベートビーチの使用時間は日没まででした。


ヨルダンの死海の紹介はこれで終わりです。

翌日はついに憧れのペトラ遺跡に向かいます。

ヨルダン豆知識

ここでちょっと休憩、ヨルダン豆知識
ヨルダンは中東の国の中では治安がよく、周辺のアラブ諸国とも現在のところ比較的友好的な関係を保っています。
ヨルダン王家は預言者ムハンマドの血筋であり、イスラムの世界で非常に格式高く認識されています。
親日な国家としても有名です。

ペトラ遺跡

朝になり、ペトラ遺跡に向けて出発です。

死海からペトラ遺跡までは車で3時間半ほどかかりました。


ペトラ遺跡までのドライブで車窓から見える景色はとても美しく、気分が高まりました。

画像47

死海の沿岸を進みます。とても綺麗な死海の海岸線が車窓から見えました。

ここは国境地帯になっているらしく誰もいません。



画像21

砂漠地帯を抜けて、最後に山岳地帯を通りました。

ペトラまでくねくねした山道を進みます。

ヨルダンの道路は比較的綺麗で、ぼこぼこしていたり荒れていたりすることはなく、車酔いすることもなかったです。


いよいよペトラ遺跡に到着です。駐車場で車から降りるとそこはもうペトラ遺跡でした。
まずは広い道を行きます。「馬に乗らないか」とすごく熱心に多くの人から誘われますが、チップやどこまで行くかなど、トラブルになることも多いらしいです。嫌な思いをせずに旅を楽しむには、自分の足で歩いたほうがいいとガイドさんが言っていました。

道の周りには、興味を惹かれる遺構がたくさんありました。

画像22

真ん中に見えるのはお墓と考えられている遺跡です。


画像23


上部が段のように飾られているのは、魂が天まで昇っていくようにだそうです。



画像24

この道で一番の見せ場は、このオベリスクの墓です。

オベリスクといえば、エジプトのオベリスクが有名ですが、ペトラ遺跡にもオベリスクと呼ばれるものが存在します。

オベリスクはギリシャ語で「串」という意味です。もともとエジプトでは「テケン(防御)」と呼ばれていました。


画像25

広い道を抜けると、シークに入ります。

シークは水の流れでできた岩の裂け目です。


地震で崩れてしまいましたが、上の写真のシークの上部には、岩でできたアーチがかけてあったそうです。今でもその跡を見ることができます。


画像26

上の写真のシークの溝には昔、素焼きの水道管が通されていました。


画像27

ペトラ遺跡をつくったナバテア人は砂漠の遊牧民でしたが、ダムもつくり、治水技術に長けていました。


ペトラ遺跡は砂漠の中の山岳地帯に隠れ、長い間人々から忘れ去られ伝説上の都市になっていました。


画像28

シークには当時の石畳も所々に残っており、観光用の馬車も通ります。


画像29

シークを抜けると目の前に巨大な遺跡が現れます。


画像30

ペトラ遺跡を代表する建物の一つ「エル・カズネ」です。

まさに圧巻でした。荘厳で神秘的な遺跡です。


画像31

エル・カズネの上部に彫られている壺の中にはお宝が入っていると信じられ、地元の人により銃で狙われ、損傷を受けています。

なぜエル・カズネがつくられたのか、今でもその理由ははっきりわかっていません。


画像32

エル・カズネは砂に埋もれた、その下にも構造があることがわかっています。



エル・カズネを抜けるとペトラ遺跡の中心部にたどり着きます。

画像33

地元の人がたくさんの露店を出していて、飲み物やお土産を売っていました。


画像34

暑い中、ラクダも頑張っていました。


画像35

目につく岩には美しい彫刻がほどこされています。


画像36

王族の墓といわれています。
この遺跡はかなり近づくことができます。


画像37

神殿の跡です。
地震でかなり被害を受けたようです。


画像38

神殿の崩れた柱です。


画像39

こちらは劇場の跡です。
左手に見えるアーチ部分が出入り口でした。

現在は入ることはできなくなっています。


画像40

岩肌に彫刻が並べられています。

ペトラとはギリシャ語で「岩」という意味だそうです。


画像41

神殿の跡です。この神殿は奇跡的に壁と上部のアーチが残っています。



画像42

さらにペトラ遺跡の奥部へ足を進めると、山道になっていきます。

細く、滑りやすい道もあったので注意してください。


画像43

山道を登り振り返ると、壮大な景色がひらけていました。


画像44

山道を30分ほど歩くと、エド・ディルが目の前に現れます。
ペトラ最大の彫刻です。

目の前の広場にはかつて神殿が立っていたそうです。


画像45

ペトラでも1泊しました。
宿はペトラ遺跡に一番近い、「ペトラ・ゲストハウス」です。

綺麗なホテルで、日本人も多かったです。

湯船もついていましたが、お湯が茶色く濁っていたところが残念でした。


画像46

ペトラ遺跡の出入場ゲートの近くには、新しい博物館があります。
無料で観覧することができました。


画像47

上の博物館には日本の支援が入っているようです。


いつか行きたかった憧れの地、ヨルダンにやっといくことができました。
ペトラ遺跡では長時間、長距離歩く必要があったので、若く体力のあるうちに行くことができてよかったです。

死海は1年で30%縮小し、50cm浅くなっており、2050年までに消滅するという意見もあります。治安も安定している今がヨルダン旅行のベストタイミングかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?