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久しい懐(ふところ)

 電車内に夕日が射し込んだ。海沿いを走るローカル線に乗っているのは、私の他に親子らしき女性の二人で、臙脂色の長椅子はとても空いている。床の木目がより縦長に見えて、自ら乗車したのに、運ばれてしまうように感じる。

 背中の車窓へ首を回した。ガラス窓の中央は菱形に色を抜かれて、四隅は白く擦られている。顔を寄せて菱形を覗くと、車内と同じ茜色に染まった木々が後ろへ流れていった。体が揺れる。古い車両なのだ。手入れをされていても無理は利かないのだろう。改めて車内を眺め、茜が外より濃いのに気づいた。真鍮の手すりや窓枠に光が乱反射しているためだ。

 初めて乗る電車なのに、どうにもノスタルジアで、自分はこんなに感傷的だったかなと苦笑いがこぼれた。しまいにはこうして長く放って置いたブログを記している。深夜の手紙と同じだ。後に恥ずかしくなるやつだ。

 軌道修正したくて、斜め前に座る親子を見た。母と娘だろう。娘は既に母の背丈に並び、話し方も対等だ。話題は縦横無尽に飛びまくる。体に良い食べ物や化粧品、好みの服装、身内の近況、数時間前に訪れたカフェの感想、芸能ニュースを交わし出した際には、別な苦笑いがこぼれて耳を澄ますのを止めた。ゆっくり立ち上がって、つり革に手を伸ばす。輪っかの木を握ると滑らかで、よく鞣された皮が軋んだ。親子と離れて座ると、内容は聞き取れず、笑い合うのだけが見て取れた。こちらの笑いと比べて、彼女らは楽しげで、つい写してしまい、ふふっと苦さが取れた。

 無人駅に電車が止まると、二人は話し続けながら降りていった。

 貸し切りとなった車内で私は、久しぶりにブログを更新させた。懐の切なさはいつの間にやら薄らいで、お母さんと娘さんの幸せを思い体を揺らした。車内の茜も薄れて、蛍光灯は柑子色に灯っている。

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