【短編小説】白帯の高校生
【あらすじ】
不良少年の堀聡一郎は、少しかじった柔道をケンカに使い、お山の大将を気取っていた。
そんな堀の将来を心配した両親は、堀を改心させるため、柔道の強豪校に入学させる。
強豪校の厳しい練習や上下関係についていけない堀は、不良としてのプライドが傷ついてしまい、逃げ出してしまうが・・・。
【本編】
第一話:お山の大将
僕が堀聡一郎に初めて会ったのは、彼が高校一年生の5月だ。
彼が所属していた「大分県私立柳田高校柔道部」は、全国優勝を何度もしている強豪校で、柔道の猛者たちが全国から集まって来る。
当然部員たちは、入学当初から黒帯なのだが、堀だけは白帯だった。
身長は170センチほどで細身。
他の部員と比べて明らかに見劣りする体つきだ。
なんでこんな子が強豪校の道場に立っているのか不思議でならなかった。
「この学校を取材して5年になりますけど、白帯の子なんて初めて見ましたよ」
パイプ椅子に腰を下ろし、鋭い眼差しで部員たちの練習を見守る名将、岡城監督に、僕は尋ねた。
「ああ、堀ですか。あいつはウチでは珍しい一般性ですよ」
柳田高校柔道部の部員たちは、中学時代に華々しい戦績を収めた者ばかりで、皆スポーツ推薦で入学してくる。
「一般生でこの学校の柔道部に入ったってことは、相当な柔道好きなんですか」
「いや、あいつは嫌々ウチの柔道部に入ってきたんですよ」
柳田高校柔道部の練習量は、他校と比べて桁違いだ。
そのため毎年20人ほど入学している部員たちも、3年間耐え抜けられるのは半分ほどしかいない。
更に90年代は、強豪校のほとんどが上下関係に厳しく、
「奴隷の1年生、鬼の2年生、天下の3年生」
という言葉があったくらいで、柳田高校も例外ではなかった。
全寮制である柳田高校柔道部は、1年生が上級生の身の回りの事を全てやる。
食事の準備から洗濯物に部屋の掃除。
更には上級生が風呂に入れば下級生が背中を流さなければならない。
そして少しでも下級生がミスを犯したなら、上級生は容赦なく鉄拳制裁を下す。
全国から集まった腕自慢達でも逃げ出す練習量と上下関係を、嫌々入部してきた白帯が続くわけもない。
「そんなやる気のない生徒を監督はよく受け入れましたね」
「俺もどうかとは思ったんですけどね、あいつの親御さんに泣きつかれましてね。それで仕方なく」
監督の話によると、堀は中学時代、手の着けられない不良少年だった。
部活で柔道はしていたものの、不真面目で練習をサボってばかりの堀は、試合に出ても負けてばかりだった。
しかし、不良同士のケンカとなれば、彼は圧倒的に強かった。
それはそうだ。
不良少年というのは、格好ばかり粋がって、体を鍛えることなくダラダラと過ごしているような連中ばかりだ。
いくら試合では勝てないといえども、格闘技の経験があれば、ケンカに負けることはない。
堀は、柔道をケンカに使ってお山の大将になっていた。
そんな堀の将来を心配していたのが、彼の両親だ。
堀の父親と岡城監督は、大学の同級生で、共に柔道部で汗を流した仲だった。
「このままだと、息子はろくな大人にならない。柳田高校の柔道部に入れて腐った性根を叩き直してほしい」
堀の両親は、菓子折りを持って岡城監督の自宅に行き、頭を畳みにこすりつけて懇願した。
根負けした岡城監督は、柔道部を辞めたら退学にするという条件で、堀を預かることとなった。
監督の話を聞いた僕は、堀に興味を持ったものの、取材したところで、記事になった頃には、もういないだろうと思って、このときは彼に話しかけはしなかった。
第二話:脱走
高校柔道には、3大大会というものがある。
3月に行われる全国高等学校柔道選手権大会(高校選手権)、7月に行われる金鷲旗高校柔道大会(金鷲旗)、全国高等学校総合体育大会柔道競技大会(インターハイ)だ。
同一年でこれら3つの大会全ての団体戦を制覇した高校を「高校柔道三冠」と呼び、称号として与えられる。
柳田高校は3月に行われた高校選手権で全国優勝したが、高校創立以来、未だ3冠を達成したことがないので、金鷲旗とインターハイの全国制覇には、並々ならぬ思いがある。
アブラゼミがやかましくなく蒸し暑い夏の午後、僕は柳田高校に向かっていた。
学校に着き、柔道場が近づくと、バンバンと畳を叩く豪快な音と、部員たちの闘志みなぎる掛け声が聞こえてくる。
道場の入り口ドアに手をかけた僕は憂鬱だった。
柳田高校は夏の間、「窓閉め特訓」といって、道場の窓を閉め切り、ストーブを4台焚いて練習をする。
道場内の温度は60度近くまで上がり、湿度は70パーセントを越える。
この特訓の目的は、過酷な環境の中で練習して体力をつけるためだ。
初めて窓閉め特訓の取材をした時、僕は10分と耐えられなかった。
意を決して中に入ると、サウナのような息苦しい暑さで、あっという間に眼鏡が曇った。
もう出たい、そう思っても、一度入ったら簡単に出るわけにはいかない。
何度も出入りしていると、道場内の温度が下がるからだ。
それは、滝のような汗を流しながら必死に練習をしている部員たちの足を引っ張ることになる。
僕は何度も眼鏡の曇りを拭きとりながら、檄を飛ばす監督の横に用意されているパイプスイスに座った。
「もうこの特訓の季節なんですね。監督、どうですか、部員たちの仕上がりは」
「仕上がりは順調ですよ。それに今年は早海が入って来たんでね。いけるかもしれませんね、3冠」
早海とは今年入学してきた大型ルーキーだ。
身長183センチ、体重110キロと恵まれた体格を武器に、中学時代は全国優勝2連覇していて、先月行われたインターハイ大分県予選個人戦100キロ超級では、キャプテンの藤沢に敗れはしたものの準優勝をしている。
藤沢は昨年のインターハイ個人戦で全国優勝しているから、負けたとはいえ判定までもつれ込んだのは1年生としては異例の事だ。
柔道の個人戦は、100キロ超級の他にも100キロ以下級、90キロ以下級、81キロ以下級、73キロ以下級、66キロ以下級、60キロ以下級と5階級ある。
インターハイ大分県予選の個人戦では、5階級の優勝もしくは準優勝の全てが柳田高校だった。
1年生で試合に出場したのは、早海だけだったので、それだけ監督は早海に期待しているということだ。
「そういえば、あの白帯の子の姿がありませんね。やっぱり続きませんでしたか」
「堀ですか。いや、あいつはさっきゲロったんで裏の給水所で休ませていますよ」
堀がまだ退部していないことに、僕は驚いた。
1年生が最初に逃げ出すのが、この窓閉め特訓だ。ほとんどの1年生が、中学とはレベルの違う練習について行けず、堀と同じように池いっぱいのゲロを吐く。
そして、しこたま吐いたゲロは、それまで積み上げてきた実績と自信をも全身から吐き出してしまうのだ。
「20分始めるから堀を呼んで来い」
3時間の激しい練習が終わると、監督が早海に言いつける。
早海が小走りで道場を出ると、他の部員たちが道着の上着を脱ぎ始めた。
「20分」とは、プッシュアップという開脚腕立て伏せを300回、足上げ腹筋100回、背筋100回、バービー50回を20分以内で行う。
時間をオーバーしてしまうと一からやり直しという柳田高校の名物トレーニングだ。
しばらく待っていると、生気を失った堀が早海に連れられて戻って来た。
上半身裸になった約40名の筋骨隆々たる部員たちが、道場の真ん中で円を組んで腕立ての態勢を取る。
「行くぞ」
藤沢が気合の入った声で叫ぶと、全員が「おう」と、威勢よく声を張り上げる。開脚腕立て伏せが始まった。
「1年生も20分が出来るようになったんですか」
「ええ、先月からハンデ無しでやらせてますよ。堀以外は」
「さすがに堀君は無理ですか」
柳田高校は今年の高校選手権前に、県警の機動隊と合同練習をした。
あの屈強な機動隊員ですら、この20分についていける者はいなかった。
堀に目をやると、開脚腕立て伏せを50回あたりから腕がプルプルと震えて、体を起こすことが出来なくなっている。
「堀、気合入れてやれや」
藤沢が檄を飛ばす。堀は四つん這いになり、犬が舌を出して喘ぐような荒い息を吐くばかりで、返事をすることも出来ない。
地元では敵なしだった不良少年も、強豪校の中ではただの非力な少年だった。
全ての練習が終わり、僕が道場を出ると、真夏の息苦しいほど蒸し暑い風すら涼しく感じた。
道場横にある駐輪場の木陰では、短パンTシャツ姿に着替えた上級生たちが、水分補給をしながら談笑をしていた。
その少し離れたところで、藤沢が足首に巻いたテーピングをはがしている。
「藤沢君、お疲れ様。いよいよ金鷲旗とインターハイが目前だね。目標を聞いてもいいかな」
「目標はもちろん3冠です。3冠とって親に恩返しがしたいですね」
柳田高校柔道部員に「こんなにきつい練習や上下関係に耐えられるのは何で」と聞くと、皆「一番応援してくれている親に恩返しがしたいからです」と答える。
僕が高校生の頃なんて、親の存在が鬱陶しくてほとんど口を利かなかった。
ましてや「両親に恩返しがしたいからどんな試練でも耐えられる」なんて、思ったこともない。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という言葉があるが、柳田高校の柔道部員は、まさにその言葉通りだった。
「今年は早海君っていう大型ルーキーが入ってきているけど、キャプテンから見た今年の1年生はどうかな」
「今年の1年生は早海をはじめ、優秀な奴が多いですよ。まあ、例外もいますけど」
「例外?ああ、堀君のことか。彼はどんな子なの?」
「反抗的で生意気な奴ですよ。2年生にはきちんと指導するようには言っているんですけど、なかなか直りませんね、あの態度は」
2年生の指導とは鉄拳制裁の事である。
上下関係の厳しい強豪校では、3年生が1年生を直接指導することはない。
1年生を指導するのは2年生の役割だ。
これが、「鬼の2年生」と言われるゆえんだ。
「堀君は続きそうかな」
「どうですかね、僕としては辞めてほしくないんですけどね」
「ほう、どうしてかな」
「確かにあいつは、反抗的で生意気ですけどね、負けん気は1年生の中で一番なんですよ。負けん気だけは、いくら鍛えても身につくものじゃありませんからね」
藤沢はそう言って一礼をすると、寮へと帰って行った。
夕暮れに消えて行く藤沢の大きな背中を見送っていると、汗まみれになった先輩の道着を抱えた1年生が道場から次々と出てきた。
その中に堀の姿もあった。
「堀君、少しは部活に慣れたかな」
僕が声をかけると、眉間にシワを寄せて大量の道着を両手に抱えた堀の足が止まる。
「馴れ馴れしく話しかけんなや、クソじじい」
堀は刺すような目つきで、吐き捨てるように言って去っていった。
柔道マガジンの担当になってから、柔道部員たちの礼儀正しさと真面目さにはいつも感心させられていた。
結婚3年目でまだ子宝に恵まれていなかった僕ではあったが、いずれ子供が出来たときには、男の子であろうが女の子であろうが柔道を習わせたいと思っていた。
だから、全く予想していなかった堀の返答に、僕は顔をひきつらせてその場に立ちすくんだ。
それから1週間後だった。堀が寮から脱走したのは。
第三話:十字架
不良少年たちは、ケンカによってヒエラルキーの高さを決めている。
だが、ケンカが強くなるために体を鍛え、腕を磨く不良少年などいない。
ではどのようにして不良少年たちはケンカの強弱を判断しているのか。
それは、見た目のイカツさだ。派手な服装や髪型だけが、不良にとって唯一の武器であり、アイデンティティなのだ。
中学時代の堀も、頭を金髪に染め、短ランとボンタンに身を包んで周囲を威嚇していた。
その見た目のイカツさに加え、中途半端にかじった柔道で、不良たちからは一目置かれていた。
そんな不良のトップは、柳田高校柔道部に入れさせられ、坊主頭になったことによってアイデンティティを失った。
見た目ばかりの張りぼての強さなど、強豪校の柔道部員には通用しない。
それでも彼は虚勢を張り続けた。
その結果、先輩達からの鉄拳制裁による厳しい指導を毎晩のように受け続け、たまらず脱走したのだ。
だが、堀は戻って来た。
後に僕は、「あの時、どうして戻る気になったのか」と尋ねたことがある。
「おふくろに号泣されたんっすよ。そして、俺を高校に行かせるために両親が土下座したことも、あの時に知ったんすよ。おふくろの涙と両親の土下座は、俺にとってでっかい十字架になったんです」
と、彼は答えた。
脱走から戻って来た堀は、相変わらず生意気だったが、反抗的ではなくなっていた。
7月に脱走したのは堀を含め3人だったが、戻って来たのは堀だけだった。
それだけ堀が背負うことになった十字架は大きかったのだろう。
第四話:藤沢
柳田高校は2学期を迎えていた。
柔道部は、7月に行われた金鷲旗、8月に行われたインターハイはどちらも準優勝だったので、高校柔道3冠とはならなかったが、キャプテンの藤沢が100キロ超級個人戦で全国優勝を果たした。
藤沢を含む9名の3年生は、インターハイを最後に引退となり、髪を伸ばすことが出来る。
そして、引退した3年生は高校卒業後の進路について考えなければいけない時期となった。
インターハイ個人100キロ超級を2連覇した藤沢には、多くの大学や実業団から声がかかっていた。
「高校卒業したらどうするの」
僕は、道場に隣接しているトレーニングルームで、黙々とベンチプレスを上げ続けている藤沢に尋ねた。
藤沢は100キロのバーベルをラックにガシャンと掛けて体を起こし、少し伸びた髪についた汗をタオルで拭った。
「大学には進学しません。実家から通える実業団に就職するつもりです」
「そっか、お母さんは喜ぶだろうね」
埼玉県出身の藤沢には父親がいない。
父親は、藤沢が小学校6年生の時に病気で亡くなった。
彼には2歳年下の妹がいて、母親は清掃の仕事をしながら二人の子供を育ててきた。
働き詰めの母親は、遠くで頑張る息子の試合には、一度も応援に来たことがない。
高校柔道は、テレビ中継をされることがほとんどないため、息子の活躍が掲載されている柔道マガジンが、母親の愛読書であった。
藤沢としては、大学に進学するより、早く就職をして、少しでも母親に楽をさせてあげたい気持ちが強かった。
藤沢は、高校卒業後、埼玉の実業団に就職した。
彼が所属していた実業団は、全国トップレベルではなく、彼自身も次第に全国大会では見かけることが無くなっていった。
その後、彼は24歳で柔道を引退して所属している実業団のコーチとなった。
それから間もなく結婚をして、子供にも恵まれ、家を建てた。
そして、その家には母親も一緒に暮らしている。
第五話:新体制
柳田高校柔道部は、2年生の高木をキャプテンとした新体制で猛練習に励んでいた。
堀は相変わらず練習についていけていなかったが、初めて会った5月に比べると、体つきが一回り大きくなっていた。
よく見ると腹筋も割れている。
「監督、堀君の体つきが柔道部らしくなってきましたね」
「高木が付きっきりで鍛えてるんですよ。高木は自分に厳しい分、後輩にも厳しいですからね」
73キロ以下級の高木は、入学当時そんなに目立つ選手ではなかった。
他の部員に力負けして中々勝てないでいた。
力では勝てないと悟った彼は、誰にも負けないスピードを手に入れるために、人一倍走り込んで足腰を鍛えた。
その結果、2年生から団体戦のメンバーに選ばれるようになった。
努力は裏切らないことを誰よりも知っている高木だからこそ、監督は、彼に堀を任せている。
高木に鍛えられた堀は、「20分」をハンデ無しで出来るようになっていた。
第六話:屈辱
もし誰かに「過去に戻れるとしたら何歳の時がいい」と聞かれたら、僕は迷わず16歳から18歳までの高校生の時と答える。
修学旅行で好きな子に告白をして、初めての彼女が出来たり、放課後の教室で友達と将来の夢を語り合ったりと、人生で最も楽しい時間を過ごした。
もちろん嫌なこともあったが、それすらも良い思い出として僕の心に残っている。
だが、柳田高校柔道部を卒業した者たちは違う。
彼らに「高校生に戻りたいか」と尋ねると、
「絶対に戻りたくないです。特に1年生なんて、1億円積まれても戻りたくないです」
と、皆口を揃えて言う。
それはそうだ。
修学旅行にも行かず、恋愛もせず、ひたすら厳しい練習に耐える日々なのだから。
堀に至っては、高校卒業後、母校のある柳田市にすら近づこうとしない。
彼がそこまで母校を避けるのも分からなくはない。
2年生になった堀に、後輩は出来たが、柔道は一番弱かった。
いくら柳田高校の猛練習に1年間耐えたからといっても、中学時代、全国で活躍していた後輩たちに、白帯が勝てる訳もない。
1年生たちは堀の事を「堀先輩」と呼び、敬語は使っているものの、見下しているのは傍から見ても明らかだった。
その中でも一番堀の事をバカにしていたのが、堀と同じ73キロ以下級の植草だ。
植草は地元の福岡県では敵なしだった。
福岡県は柔道が非常に強い地で、
「福岡県を制すればオリンピックを制する」
とまで言われている。
福岡県代表として全国大会に出場した植草は、オール一本勝ちで優勝した。
また、端正な顔立ちをしている彼は、度々スポーツ番組で特集されることもあり、ファンクラブが出来るほどの人気者だった。
それ故にプライドは人一倍高い。
練習が終わって、着替えをしている高木たち上級生のところに、植草を中心とした1年生全員が集まった。
「高木先輩、少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「何だ、植草。言ってみろ」
「1年だからといって、白帯の人の道着を洗ったり、食事の準備をするなんて、自分は嫌です。お前らも嫌だよな」
植草が振り返り同意を求めると、他の1年がうんうんと首を縦に振る。
「なんや1年、そん態度は」
早海が怒鳴って、植草の胸倉を掴もうとするが、高木が制した。
高木は腕組みをしたまま、しばらく考えこんでいた。
「分かった。おい、堀。後輩を使うことは俺が許さんからな」
堀は何も言わず、ずっと植草を睨んでいる。
「聞いとるんか」
高木が怒鳴る。堀は植草を睨み続けたまま、「はい」と、ふてくされたように答えた。
このやり取りの一部始終を見ていた僕は、寮に帰る途中の高木を呼び止めた。
「高木君、さっきのは、さすがに堀君が可哀相じゃないかな」
「いや、あれでいいんです。これであいつは、強くならないといけない理由がはっきりしましたからね」
それからも高木は、堀を容赦なく鍛え続けた。
お互いが立ち技を掛け合う乱取りをしては、何十本も投げ、寝技では逃げ遅れる度に、締め落とした。
部活が終わって、皆が寮で一息ついているときでも、高木は堀を連れて、毎晩10キロのランニングに出かけた。
そして、練習やランニングで、堀が少しでも気を抜けば、高木は容赦なく鉄拳制裁を下した。
「練習はきついし、先輩は怖いしで、1年生の頃なんて、誰もがトイレに行って声を殺して泣くもんですよ。堀だけですかね、2年生になってもトイレに籠って泣いていたのは」
そう教えてくれたのは堀の同級生、早海だ。
後輩に負けてバカにされ続けても、高木からの鉄拳制裁による厳しい指導にも、彼は歯を食いしばって必死に耐え続けた。
第七話:激闘
インターハイ大分県予選、3年生になった堀は、この試合が公式デビューだった。
僕は試合場近くに用意された記者席に座り、目の前でウォーミングアップをする選手たちを見ていた。
しばらくすると、柳田高校が試合場に姿を現した。
柳田高校がウォーミングアップを始めると、会場の空気は一変する。
他校の選手たちは、柳田高校が放つ絶対的王者の貫禄に圧倒され、観客たちは、今年の柳田高校は、どんな試合を見せてくれるのかと、固唾を飲んで見守る。
岡城監督が僕の所に来て、「あそこに居るのが堀の両親ですよ」と教えてくれた。
監督の視線の先には、2階観客席の一番前に座る、頑固そうな男性と物静かそうな女性の姿があった。
二人はストレッチをする息子を、祈るように見つめている。
1回戦、試合場の畳に立った堀は、緊張していた。
堀を見た観客たちが「柳田高校なのに白帯かよ」と、あざ笑う。
「はじめ」
主審の鋭い掛け声で試合が始まり、両者組み合う。
開始9秒、堀が、相手のまた下に素早く潜り込み、「よいしょ」と叫ぶ。
相手選手が宙を舞った。
電光石火のような背負い投げだった。
「一本。それまで」
堀は僅かに乱れた道着を正して、礼をすると、畳を降りた。
圧勝した白帯に、会場がざわつく。
1回戦で緊張がほぐれた堀は、その後も2回戦、3回線とオール一本勝ちで勝ち進み、準々決勝、準決勝も危なげなく勝ち進んだ。
迎えた決勝戦、相手は、1学年後輩の植草だった。
インターハイ大分県予選から遡ること2か月前、僕は柳田高校の柔道場に居た。
「監督、堀君は強くなりましたね」
乱取りをしている堀は、他の部員たちに力負けしなくなっていた。
スピードもある。
「今度のインターハイ予選、良いとこまで行けるんじゃないですか」
僕は監督に尋ねた。
「どうですかね、堀と同じ階級には植草がいますから。堀の良いところは、負けん気の強さですけど、得意技が背負い投げだけですからね。それに対して植草は、背負い投げの他に、内股、裏投げも得意です。負けん気の強い堀が勝つか、技数の多い植草が勝つか。監督の私にもわからんのですよ」
担いで投げる背負い投げや、股を蹴り上げて投げる内股は、相手を引き付けて投げる攻めの技だ。
これに対して裏投げは、攻めてきた相手の力を利用して、背後を抱えて投げる防御の技だ。
つまり植草は、自分で攻めて投げることも出来るし、相手が攻めてきても、投げることができる。
堀と植草が組み合うことになった。
長時間の乱取りで、部員たちは皆、息が上がり、汗だくだ。
堀と植草の乱取りが始まった。
最初に技をかけたのは堀だ。
組手が不十分のまま、強引に仕掛けた背負い投げは不発。
「堀、自分の間合いで技をかけんとダメだといつも言っとろうが。足を使って自分の間合いに引き込まんか」
監督が立ち上がって、大声で怒鳴る。
「まったく、あいつは植草が相手だと、すぐムキになって自分の柔道を忘れる」
パイプ椅子に腰掛けた監督は、ため息交じりにぼやいた。
乱取りが再開されて、二人が再度組み合う。
堀は足を飛ばすが、植草を自分の間合いに引き込むことが出来ない。
しびれを切らした堀が、またしても強引に背負い投げに入る。
今度は植草が、堀の背負い投げにタイミングを上手く合わせて裏投げ。
堀の背中を掴んだ植草は、そのまま持ち上げて、後ろ向きに勢いよく投げた。
文句なしの一本だった。
その後も堀は、果敢に攻めたが、植草を投げることは出来なかった。
スピードは堀が勝っているが、総合的には植草の方が一枚上手だった。
乱取りが終わり、部員たちは「20分」の準備を始めた。
だが、堀はその場に残り、「もう一丁」と、叫ぶ。
「堀、20分を始めるぞ」
見かねた早海が、堀の肩を叩いてなだめる。
「クソッ」
堀は悔しさを滲ませながら、道着の上着を脱いだ。
堀の体を見て、僕は言葉を失った。
はち切れんばかりに膨れ上がった大胸筋、コブのように盛り上がった上腕二頭筋、板チョコさながらに割れた腹筋。
一体どれだけの努力を重ねれば、これほどまでに肉体を改造できるのだろうか。
2年前まで腕立て伏せを50回も出来なかったあの頃がウソのようだった。
インターハイ大分県予選、73キロ以下級の決勝戦が始まった。
左組手の堀と、右組手の植草は、互いに闘志むき出しで組み手争いを繰り広げる。
左右対称の組手であるケンカ四つは、釣り手である襟と、引手である袖を如何に早く掴むかが勝負だ。
お互い譲らず、主審が「待て」をかける。
二人が開始線に戻ったところで、主審は両者に「指導」を告げた。
試合が動いたのは開始から2分が過ぎたときだった。
堀が組手不十分のまま仕掛けた背負い投げを、植草が避けて寝技に持ち込む。
堀はうつ伏せになって逃げ切ろうとするが、植草に返されて、横向き寝になったところでけさ固めをかけられた。
「抑え込み」
堀の背中が畳について寝技が成立したことを主審が確認すると、伝言掲示板が秒数を刻み始める。
寝技は、10秒経過すると「技あり」、20秒で「一本」となる。
抑え込まれた堀は、体を捻りながら必死に逃げようとするが、中々逃げ切れず10秒が経過。
この時点で植草には「技あり」のポイントが入った。
植草も勝ちを確信したようで、表情に余裕が生まれた。
勝負あった、と会場の誰もが思っていただろう。
僕も、堀は逃げ切れないと思った。
だが、ただ一人、堀だけは諦めていなかった。
覆いかぶさる植草の帯を掴んだ堀は、植草の背中を腕で押しながら、ブリッジをしてけさ固めを解いた。
これは「腕かいなを返す」という逃げ方で、高木が、締め落としながら叩き込んだ技だ。
「解けた。待て」
主審が試合と止める。
伝言掲示板は17秒で止まっていた。
植草のけさ固めから逃げ切った堀の息は大きく乱れていた。
抑え込みから逃げた後は、体力が著しく消耗される。
堀は、天井を見上げて大きく深呼吸をした。
それにしても堀の負けん気の強さには感心する。
普通あそこまで寝技が決まると心が折れるものだが、彼は諦めなかった。
残り時間2分で試合再開。
既に技ありのポイントを取っている植草は、積極的には攻めず、逃げ切りを図る。
一方、一本を取らないと負けてしまう堀は、がむしゃらに前に出る。
残り時間1分、主審が試合を止め、消極的な植草に「指導」を告げる。
堀は、はだけた道着を正しながら、滴り落ちる汗をぬぐう。
試合再開。熾烈な組み手争いが続く。
堀は理想の組手にならず、技をかけられない。
残り時間30秒。
堀からは、疲れの色が見え、持ち味のスピードも落ちてきている。
「ラスト30だぞ、堀。どこでもいいから掴んで引きこめ」
早海の大声が会場に響く。
早海だけではなかった。
「まだまだいけるぞ」
「諦めるな」
「ファイト」
堀の同級生たちが、声をからさんばかりの声援を送る。
不良っ気が抜けず、誰にも心を開こうとしない堀のことを、柔道部の同級生たちは嫌った。
「柳田高校で柔道をしている現実を受け入れたくなかったんっすよ」
後に堀は、高校時代、心を閉ざしていた理由について、そう語っている。
学校や寮で、いつも一人ぼっちだった堀には、励まし合い、慰め合う仲間がいなかった。
それでも堀は、柔道部を辞めなかった。
そして、誰よりも練習をした。
そんな堀の姿を見てきた同級生たちは、次第に堀の事を認めるようになった。
だからこそ、堀には勝ってほしい。
孤独の中、辛く惨めな思いして、それでも諦めずにもがき続けてきた堀に、同級生たちは優勝してほしいのだ。
残り時間20秒のところで、試合が止まる。
会場は、異様な緊張と静寂に包まれていた。
主審が、堀と植草の乱れた道着を正すように指示を出す。
余裕の笑みを浮かべながら帯を締める植草を、既に道着を正し終えている堀は、鬼の形相で睨む。
「はじめ」
主審が最後の試合再開を宣言する。
堀は植草を目がけて野獣さながらに飛び掛かかった。
堀の左手が釣り手である植草の右襟を捕らえた。
残り時間から考えて、ここで釣り手を離したら、堀に勝ち目はない。
襟を掴まれた植草は、必死に堀の手を外そうとするが、堀は執念で離さない。
だが、釣り手だけ持っても、堀の得意な背負い投げは決まらない。
堀が背負い投げをかけるには、引手である植草の左袖も掴まなければならない。
しかし、植草が前に出ないため、堀は引手が取れない。
堀が足を飛ばす。
植草は僅かに体勢を崩して、警戒していた左手を浮かせた。
引手が掴めた。
次の瞬間、堀が植草の懐に飛び込んだ。
植草が裏投げの態勢に入る。
ダアンと、爆発音にも似た音が、静まり返った場内に響きわたる。
植草の裏投げをもろともしない、堀の豪快な背負い投げが決まった。
「一本。それまで」
主審が堀の勝利を宣言すると、会場は、割れんばかりの歓声に沸いた。
僕は観客席に目をやり、堀の両親を見た。
二人とも立ち上がり、涙を流しながら、激闘を制した息子に大きな拍手を送っていた。
寮生活を送る息子と離れ離れに暮らしていても、心配しない日など無かったのだろう。
両親の目からこぼれ落ちる涙が、全てを物語っていた。
試合を終えた堀が畳を降りると、同級生たちが駆け寄り、肩を組み、頭を撫でて、勝利を称えた。
早海は泣きながら、大きな体で堀を抱きしめた。
僕はこの日、初めて堀の笑顔を見た。
第八話:快進撃
栃木県で行われたインターハイに出場した堀は、準々決勝で敗れた。
だが、白帯ながらベスト8まで進んだのは、インターハイ初の快挙だった。
そしてこの年、柳田高校は、学校創立以来初となる、「高校柔道3冠」の称号を手に入れた。
堀は高校卒業後、柔道の名門、南海大学へと進学した。
嫌々始めた柔道を、大学に行ってまで続けることが、僕は意外だった。
「俺より強い奴がいるのは我慢できない」
堀は、そう言い残して、苦労の連続だった柳田高校を後にした。
大学に進学した堀は、得意の背負い投げに磨きをかけ、技数を増やした。
2年生のときはケガに泣かされ、思うような結果は出なかったが、3年生からは快進撃を続ける。
全日本選抜柔道体重別選手権大会、準優勝。
講道館杯全日本柔道体重別選手権大会、優勝。
フランス国際柔道大会、銀メダル。
「俺より強い奴がいるのは我慢できない」
そう言っていた白帯の高校生は、日本一の柔道家になった。
第九話:奇跡
2000年、シドニーオリンピック柔道代表発表記者会見。
「73キロ以下級代表、堀 聡一郎。南海大学大学院2年生」
多くの記者が集まった会場で、強化委員長が、その男の名を告げた。
奇跡だった。
高校に行けるかどうかも分からなかった不良少年が、大学院にまで進学して、日の丸を背負ってオリンピックに出場する。
魂が震えるほどの奇跡を目の当たりにした僕は、胸を突き上げてくる気持ちで、闇雲に涙が溢れてきた。
「オリンピックへの意気込みをお聞かせください」という、ある記者からの問いかけに、堀は「金メダル以外は考えていません。金メダルを獲って、親に恩返しがしたいです」と、真っすぐな瞳で答えた。
彼は、未だに親不孝という、大きな十字架を背負いながら、戦い続けていたのだ。
会場を出ると、桜の花びらが舞っていた。
僕は、雲一つないきれいな青空を見上げた。
誰かが言っていた。
「人生を大きく変えるには、どん底まで落ちて、そこから這い上がるしかない」と。
堀は、どん底だった高校時代から這い上がった。
そして、劇的に人生を変えた。
今週末、僕は小学生になったばかりの息子を連れて、自宅近くの柔道場に見学へ行く。
息子には、柔道を通じて強い精神力を身に付けてほしい、堀のように。
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