【文芸社×毎日新聞 第6回十人十色た大賞入選作品】母への手紙
何年も何年も待ち続けた孫を抱いて涙するあなたを見て、僕はあなたにしてきた数々の親不孝を思い返して、胸が締め付けられるようでした。
あなたが僕を産んでくれたのは、40年前のお盆でした。
酒癖の悪いお父さんから毎日のように泣かされていた22歳のあなたにとっては、僕と2年後に生まれてくる妹の成長だけが、心のよりどころだったと後に何度も聞かせてくれましたね。
あれは僕が1歳の時でした。おばあちゃんに預けられていた僕は、おばあちゃんがちょっと目を離した隙に家を出てしまいました。
当時のことは覚えてないのですが、田植えをしているおじいちゃんに会いに行こうとしたらしいですね。
田んぼがどこにあるのかもわからずに出て行った僕は、当然迷子になってしまいました。
僕が迷子になったと知らされたあなたは、血の気が引いていくのをはっきりと感じたんですよね。
あなたがどんな思いで僕を探していたのかと、想像するだけで苦しくなります。
迷子になってから3時間後、家から2キロ離れたダムの橋で眠っている僕を、ダムの職員が保護してくれたので一命を取り留めました。
もしもあのとき、僕の身に万が一のことが起こっていたら、あなたは自ら命を絶つつもりだったと言っていました。
それだけあなたにとって子育ては命がけだったんですね。
あなたは何よりも子供のことを最優先に考えてくれるお母さんでした。
僕が小学1年生の時、珠算検定5級に合格しました。
5級は簡単な検定なので、周りの友達も皆合格でした。
それでもあなたは「よく頑張ったね」と言って、その町の一番高いケーキ屋さんでケーキを買ってきて祝ってくれましたね。
ケーキを頬張る僕を、あなたが優しく微笑んで見ていたことを今でも覚えています。
小学2年生になると近所の友達が犬を飼い始めました。
僕は犬に触りたくて、いつも友達の家に行っていました。
僕も犬を飼いたかったけどそれは無理だと子供心にわかっていました。
何故なら潔癖症気味のお父さんが、犬を飼うことを許すわけなかったからです。
そんなある日、妹と公園で遊んでいると、車に乗ったあなたがやってきて僕たちを呼びました。
そして助手席のドアを開けるように言いました。
ドアを開けると、ドアとシートの隙間にポメラニアンの子犬が乗っていました。
僕が子犬を抱きかかえると、「この子はこれから家族になるけん、仲良くしてね」とあなたは言ってくれました。
僕たちは犬を飼えることがたまらなく嬉しくて、すぐに公園で子犬と遊びました。
やがて日が暮れて家に帰ると、お父さんの大声が飛び込んできました。
恐る恐る居間を覗くと、黙って犬を買ってきたあなたのことを、お父さんが仁王立ちで怒鳴っていました。
あなたは、「あの子たちのためにも犬を飼うことを許してください」と、土下座をしながら何度も何度も懇願していました。
その結果、あなたの気迫に負けたお父さんが折れて犬を飼うことが出来ましたね。
普段は物静かなあなたですが、僕と妹を連れて公園に行くと、時々花冠を作ったりして少女のようにはしゃぐときがありました。
僕はそんなあなたが大好きでした。
だから、酔っぱらったお父さんから殴られて泣いているあなたを助けられない自分が悔しくてたまりませんでした。
「いつか強くなってお母さんを助ける」と、お父さんがお酒を飲むたびに思ったものです。
中学生になると部活は迷うことなく柔道部を選びました。
柔道を身に付ければあなたを守れると思ったからです。
でも僕はバカですから、柔道を少しかじっただけで強くなったと勘違いをして、ケンカで使うようになりました。
段々と不良グループとつるむようになり学校もサボりがちになって、この頃からあなたにも反抗的な態度をとるようになりましたね。
なんとか高校には進学したものの、くだらないケンカが原因で半年で退学になった僕。
「どんな学校でも構わないから高校だけは卒業してちょうだい」と、涙ながらに訴えるあなたに、僕はひどい言葉で罵ってしまいました。
退学になってからは、建設現場の作業員や新聞配達などのアルバイトをしましたが、どれも長続きはしませんでした。
ろくに仕事もしないくせに散々遊びまって、お金が無くなるとあなたに無心する有り様。
そんな息子のことなんてさっさと見放してもいいのに、僕が夜中家に帰ると、ご飯を作っていて、洗濯物をきちんとたたんで僕の部屋の前に置いててくれました。
変わらず無償の愛を注いでくれているあなたに、僕は「ありがとう」の一つも言いませんでした。
20代になると、それまで一緒に遊んでいた友達が定職に就き結婚をするようになっていき、フラフラしているのは僕だけでした。
ある夏の日の夜、友達と居酒屋で飲んでいた僕は、酔っぱらった勢いで他のお客さんと大喧嘩になって逮捕されました。
拘留されている僕に、あなたは毎日面会に来てくれましたね。
車で片道3時間はかかる警察署に毎日来て、手錠をかけられている息子の姿を見るのは本当に辛かったはずです。
逮捕から3週間、釈放された僕は、あなたのことを裏切り続け、好き勝手なことばかりやって来た愚かな自分に、ようやく気が付いたのです。
そして僕は決意しました。
「立派な大人になってあなたに恩返しをする」と。
このときから僕は、行政書士の勉強を始めるようになりました。
僕が行政書士という法律系の国家資格を選んだ理由は、学歴に関係なく受験資格があって、前科持ちでも資格を取得することが出来るからでした。
参考書や六法全書を買ってきて、本を開いてビックリしました。
知らない漢字が多すぎて全く読めないのです。
だから最初は法律の勉強というよりは漢字の勉強でした。
不慣れな勉強が嫌になって投げ出しそうになったことも一度や二度ではありません。
あれは5度目の不合格の時でした。
どんなに頑張っても結果が出ない苛立ちで、それまで止めていたお酒に手を出してしまいました。
その翌日、激しい二日酔いで寝込んでいる僕に、あなたは水を持ってきてくれました。
「まだあなたに迷惑をかけてるじゃないか」そう思って、僕はふさぎ込むことを止めたのです。
7度目の試験でようやく合格したとき、あなたは自分のことのように喜んでくれましたね。
行政書士になって、あなたを食事や旅行に連れて行けるようになったときは、「人並みの親孝行ができるようになった」と思いました。
僕はあなたの誕生日や母の日が来る度に、何が欲しいかあなたに聞いていました。
その度にあなたは「孫を早く抱きたい」と言ってましたね。
だから、孫を抱いて泣いているあなたを見たとき、僕は親孝行をしていたのではなくて、親孝行の振りをしていたのだと気づかされました。
ようやくおばあちゃんになれたあなたに、これからは本当の親孝行をしていきます。
そのためにも、どうか長生きをしてください。
僕の親孝行が終わるまで絶対に死なないで下さいね。