駐在所で暮らした少年時代
僕の父は警察官で駐在所勤務だったので、僕は中学1年生まで駐在所暮らしをしていた。
駐在所というのは、交番と住まいが一緒になっている建物のことで、田舎に行くとたまに見かける。
駐在所はとにかく来客が多い。
警察関係の人は頻繁にくるし、酔っぱらいを乗せたタクシーが料金トラブルで夜中に来ることも珍しくない。
その度にお茶を出すのは、僕か妹の役割だった。
僕はそのお茶出しが嫌だった。
その中でも一番嫌なお茶出しがあった。
中学生くらいのヤンキーがタバコを吸っていたり、ケンカをしていたりすると、駐在所に通報がある。
父は補導したヤンキー達を事件にすることはほとんどなく、駐在所で反省文を書かせては帰らせていた。
ヤンキー達が反省文を書いている間にお茶を出す係だったのが、当時小学生の僕だ。
小学生にとって、中学生のヤンキーなんてのは鬼のような存在だ。
僕は、絶対に近寄りたくなかった。
なのでお茶出しの時は、なるべく顔を見られないように、うつむくだけうつむいていた。
しかしそんな小細工が毎回通用するわけもなく、中には僕の顔をしっかり覚えているヤンキーがいる。
僕のことを警察官の息子だと知っているヤンキーに会うたびに「お前の親父が没収したタバコを取ってこい」とか「今度俺たちを補導したらお前をシバく」だとかいうことを言われる。
僕はそんなことを言ってくるヤンキーがめちゃくちゃ怖かったし不愉快だった。
警察官のことを快く思っていないのは、ヤンキーだけではない。
道路交通法に違反して取り締まられた人や、選挙違反で捕まった人の中にも、警察官やその家族を恨んでいる人がいる。
僕が小学6年生の時に住んでいた町には、「水かけ祭り」という行事があった。
水かけ祭りはその名の通り、町人達がバケツやホースで水をかけあう祭りだ。
この祭りの時に、町人を取り締まっている駐在所は、格好の餌食となる。
本来、人間どおしで水をかけあう祭りなのだが、標的にされた駐在所は氷で窓ガラスを割られて、家中水浸しにされて、まるでテロ状態だ。
たまに田舎に行って駐在所を見かけると懐かしく思う。
特殊な環境で育ったんだなと。