楽をすると、無能になる
「楽をして生きていきたい」 「不労所得収入で生きていきたい」とか 「印税収入で働かずに生きていきたい」とか
人は誰でも心のどこかにそう考えていることあると思います。
今回は、「楽をするな」ということではなく
いかに楽という考え方、思いになるかということを、考えてみたいと思います。
1.「楽」は人間の本能?!
2.「楽」と「楽しい」は、大違い!
3.「楽しめる心」を養っていく
1.「楽」は人間の本能?!
「楽に生きています。」 「楽させてもらっています。」
と聞くと、
「うらやましい!」「いいなぁ~」と思う時もあれば
なんだよ
「楽、するなよ!」
「無理して、楽って言ってるんじゃない?!」と思ったり・・・。
「楽」ということ自体は、悪いことでも、良いことでもどっちでもないのに、そこについついジャッジを入れてしまう。
しかも、日本人の性質なのか、気質なのかは分かりませんが、
楽=怠ける、手を抜く
という感じに、どちらかというとネガティブジャッジに捉えられることが多いように感じます。
楽の本質は、自分自身がストレスを感じることなく、何の制限もなく自然体で、やりたいとをやることができる状態でいることではないかと思います。なのでそこにはいろいろな価値観や思い・考え方があるので、それをジャッジすることはナンセンスではないでしょうか?!
自分が「楽」だと感じることができることであれば、それが他人から見たらすごく辛いことであっても、その人にとっては「楽」なこと。「楽」の本質は、自分の中でしか感じることのできない、他人には図ることのできない感情と言えるかもしれません。
しかし、「楽」の一番根底にあるものは、人間の本能のように思います。
2.「楽」と「楽しい」は、大違い!
「楽」と「楽しい」は、同じ漢字であっても、意味は大違い。
どちらが良い悪いということではないですが、楽と楽しいでは、人の捉え方や感じ方も全く違うように感じます。
「楽」の感じは、
「楽してます」「楽をしたい」「楽させてもらった」とか
僕の中の感覚ですが、どうしても、怠けているとか、手を抜いているとか、そんな感じで、自分の中にある本当の力を発揮しないでいる状態をイメージしてしまいます。
一方で「楽しい」は
「楽しんでます」「楽しい」「楽しませてもらっています」とか
自分の中にある感情と素直に向き合って、自分の気持ちをすごく大切にして、自分の状態を素直に表現しているように感じます。
はじめのタイトルに「楽をすると無能になる」とありますが、そんな極端なことはないと思いますが、「楽」をすると自分の本当の力を発揮せずに、セーブした状態でコトを済ましてしまうために、自己成長しなくなるということに警笛を鳴らしている表現だと思います。
「楽」と思わないようにするのではなく、「楽しめる」ようになるためには、どのようにしたらいいのでしょうか?
3.「楽しめる心」を養っていく
「楽しめる心」を養うのに大切なことは、ただただどんなことが起きようとも
「楽しもう」と自分の中で決めることだと思います。
自分の中の思考回路を、どんなことが起こっても楽しめる人なんだという回路に接続することで、だんだんと楽しめる心が養われていきます。
どんなことが起こっても楽しめる心を持っているという回路が接続されたら、「楽をしよう」とか「楽したい」という、逃げの回路に接続する必要がなくなります。
人間の本能である「楽」をしたいという回路を少し変換して
「楽しめる心」回路に接続することで、人生楽しいことだらけになりますね。
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