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【地球の裏側放浪記】赤い大地に魅せられて。アタカマ🇨🇱《Day16-18》

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2024-09-13 Day16 「国境越え」

我々を乗せたバスはウユニの街を発ち、荒野を進んでいく。

ペルー、ボリビアと3列シート&160°リクライニングの快適なバス旅が続いていたが、ここで遂に4列シートの普通のバスに戻った。チリ🇨🇱は先進国だけあって道交法がしっかりしてるのだろうか?

1度の休憩を挟んだのち、バスは9時半すぎにボリビア🇧🇴の国境検問所に到着。

QRコードを読み込んでボリビア出国に必要な事項を入力する。電波がなくて焦ったがWi-Fiがあって助かった。ボリビア側の手続きはあっさり終わった。

変な形の貨物を積んでいる

バスに再度乗り込む。ここで運転手からチリの入国書類を渡される。バスの中で記入するが、「国境の名前」なんて項目があったりして全然わからない。そんなことをしていると今度はチリ🇨🇱の検問所に到着。
検問所の中には書類の見本みたいなのがあった。なんだ〜あるのかよ〜!検問所の名前はOllagueと言うらしい。

入国審査を済ませる。チリ🇨🇱入国!!
ここでバーコード付きのレシートみたいなのを貰う。特に何も言われなかったが、これをチリ旅行中大事に保管しなければならないことを、先人たちの知恵として私は知っている。

入国審査はこれで終わりかと思いきや、まだ荷物検査があるらしい!しかもX線とかではなく手作業で荷物を隅から隅まで漁られているのが見える。マジか〜。そうこうしているうちに自分の番がやってくる。
👮「この中は服?」
👦「Sí, ropa(そう、服)」
👮「いいよ〜」
上の方だけちょこっとチェックして終わった。日本のパスポート最強!!!まあバックパッカーの荷物とか漁るの大変だしなぁ。ちなみにこの人に日本語で「アリガトウ」って言われた。日本人なんてほとんど来なそうだがよく覚えたなぁ、、、

入国!

結局バスの乗客全員が国境を越えるのには3時間ほどかかった。
現在時刻は12時半。ところがチリは夏時間実施中でボリビアより1時間進んでいるので既に13時半である。西に来たのに時が進むのは変な感覚だ。

まあとにかく時間のかかる国境越えだった。経済格差が激しいからだろうか。
まあボリビアとチリは隣国ながらも国交がないので通過できるだけありがたい。
この記事を読み進める上で「太平洋戦争」が重要なキーワードなので解説しておく。

〈太平洋戦争〉
我々が入国したチリ🇨🇱北部はかつてはペルー🇵🇪とボリビア🇧🇴の支配下だった。ところがここはチリ硝石という肥料や火薬の生産に欠かせない鉱石の産地だったのでそれを巡ってチリvsペルー・ボリビア連合で太平洋戦争(1879〜1884)が勃発。結果、近代化に成功していたチリが勝利し、ここら一帯はチリの支配下に置かれることになった。現在でもボリビアはその領有権を主張していてこの2国間には国交がないのである。

そんな解説をしてるうちにバスは再出発。
国境での停滞の憂さ晴らしかのごとくバスは快走し始めた。
景色は相変わらず"荒野"である。ウユニのような塩原なんかもあった。

窓から差し込む太陽の日差しが鬱陶しい。
バスはしばらくしてカラマの街に着く。人口15万のこの中堅都市でほとんどの乗客は降りた。乗り続けているのは我々含め観光客ばかりだった。

18時半頃、バスはやがて終着のサンペドロ・デ・アタカマ🇨🇱に到着。ずいぶん長旅だった。両替を済まし(1ペソ≒0.15円)、ホステルにチェックインし、荷物を預け、早速街を散策する。

この街はアタカマ砂漠観光の中心地。そんな街で我々も明日のツアーを申し込んだ。タティオ間欠泉月の谷のどちらか、あるいは両方に行きたいと思っていたが、物価が高すぎたので月の谷のみにした。

さて夕飯を探す。
ところがただでさえ先進国に入って物価が高いのに、観光客向けの商売ということで高級なところしかなかった。ちなみにチリにはチップ文化もある。えぇ〜
しかし今日の朝・昼飯はウユニで買ったお菓子だけ!超お腹が空いているので渋々2,000円くらいの価格帯のレストランに入った。今日そんなお金使ってないし...と自分に言い訳。

クスコで似たようなの食べたけどそっちの方が安くて美味かった

物価はあがったがクレカが使えるようになったのはありがたい。ペルー・ボリビアでは全然使えなかった。

こうしてサンペドロでの1日目は終了した。



2024-09-14 Day19 「赤い大地」

ツアーは夕方からなのでお昼頃から始動。
ホステルのオーナーに「テラスがあるよ〜」なんて言われていたので行ってみる。確かに景色は綺麗だが電線が邪魔である。

そして反対側はトタン屋根が並ぶ。街の造りはあまり先進国らしくない。まあ雨なんて降らないからいいのだろうか。

昼食はキッチンカーのハンバーガー。理由、金がないから!

強風が吹き荒れ、赤土が舞い上がる。店員さんによると「This is San Pedro」とのこと。

街のメインストリートにはたくさんのチリ国旗🇨🇱が並ぶ。観光オーラだろうか、それともボリビアの領有権主張に対抗したものだろうか。ともかくなんかオシャレである。

オシャレな雰囲気につられて帽子を買った。ラパス🇧🇴に続いて2個目。いかんせん「Bolivia」とでかでかと書かれた帽子をここで被るのは気が引ける。

小さい街で見どころは特にない。街の中心にある教会くらいだろうか。

それよりも木でできたスケスケの建築物が多いのが気になる。この国にも隈研吾がいるのだろうか。

バスターミナルでスマホゲームをしてる適当なスタッフから明日のサンペドロ脱出のチケットを購入し、街の端っこにあるホステル近くまで戻る。なぜ端っこなのかって?安いからだ。街の端っこだけあって景色はいい。

看板の右の山を我々は「チリ富士」と名付けた。
ガソスタ併設のコンビニで水を買う。なんかアメリカナイズドされているな。

ホステルに戻る。今回のツアーは宿までピックアップに来てくれるみたいだ。
同室のスペイン人と「君たちも月の谷に行くのー?」みたいな会話で時間を潰す。残念ながらツアー会社は違うみたいだ。
15時半頃我々の小型のバンが来た。いざ月の谷へと向かう。

真っ赤なバンでわかりやすい

ガイドはやたらテンションが高く毎回「チ〜〜コ〜ス(chicos:青年たち)」と話しかけてくる。英語の訛りが強くて聞き取りにくいが、どうやら強風で立入禁止のところがあってツアー構成が若干変更になるらしい。残念。

バンが停車し、ガイドに連れられて砂漠に降り立つ。これはすごい。赤くてゴツゴツした大地はまるで火星のよう。NASAの火星探査車の試験とかもアタカマ砂漠でやっているらしいし。

ガイドに突然私個人が指名され、「この岩に水をかけて舐めてみ?」と言われる。しょっぱい!塩を含んでいるらしい。

ゴツゴツしているだけでない。鳥取砂丘の赤いVer.みたいな場所もあった。砂が綺麗に波打っていて綺麗だ。

反対側を見下ろすと白い砂が堆積していた。これが塩だろうか。

少しだけバンに乗って移動し、赤と白の大地を散策する。

再びバンに乗って少しだけ移動。赤い大地を歩く。

遠くに「チリ富士」が見える。日中だが月が見える。流石「月の谷」。関係ないけど。

またまたバンに乗ってちょっと長めの移動。
隣の席のスイス人夫婦、特に旦那さんと色々話した。日本のアニメが大好きで自分なんかよりめちゃくちゃ詳しかった。「え〜これも知らないの!!」って感じだった。日本語もちょっと知ってて、教えたりもした。自分も少しドイツ語を齧ったことがあるが全然思い出せないので悔しい。
「去年ヨーロッパ行ったよ〜ドイツとかオーストリアとか」って言ったら、「なぜスイスだけ来てないんだ!?」とのこと。日本人にとっては高すぎるもん!でもハンブルク出身らしく、少し盛り上がった。
サンペドロではアタカマ塩湖とかが良かったらしい。我々はお金ないので月の谷だけ。でもウユニ行ったしー!このあとはパタゴニアに行くらしい。我々と一緒だ。曰く、「スイスの山よりこっちの方がでかい」とのこと。楽しみだな。

次に来たのは軽食会場。軽食というより酒を楽しむ場だ。
強風が吹き荒れるなかスタッフが準備をしてくれているので少し散策。

そしていよいよお酒。ガイドがお客さんの出身国での「乾杯」の言い方を聞いてくる。「日本は?カンパイだよね?言いやすいね」よく知ってるなぁ!全体での掛け声は一番言いやすいとの理由で韓国語の「コンベ」になった。

ハムやらポテチやらフルーツやらとともに蒸留酒・ピスコを楽しむ。
リマ🇵🇪でもピスコを飲んだ。その時は「ペルーの蒸留酒」と紹介したが、実はチリの蒸留酒でもあり、両国はその発祥をめぐって争っている。
個人的にはリマのよりこっちのが美味しかった気がする。なんか搾りかすみたいなつぶつぶが入ってた?

お酒タイムを終え、次にやってきたのはサンセットポイント。ガイドから「寒くなるから気をつけてなー。あと夕日見るのもいいけど太陽の反対側の景色が綺麗だからなー」とアドバイス。バンを降りるとなるほど綺麗である。

低い太陽によって影のつけられた谷はそのアクセントが美しい。

ガイドさんと少し話し込んだ。どうやら彼もまたアニメが大好きらしい。あまりに私がアニメに無知なので「おいおい日本人なのに?Disorder!」なんて言われた。すまんて。ほんと陽気な人である。

そうこうしていると西の空には太陽が沈む。
反対側へと目をやると山々が赤く染まっていてとんでもない絶景だった。

日が沈むと強風もあってめちゃくちゃ寒くなった。これでツアーもおしまいである。

サンペドロの街の中心でバンを降り、街の端っこのホステルまで歩いた。

物価が高すぎるので夕飯は自炊でパスタ。ドミのキッチンで作ってたら頑なにポルトガル語しか話さないブラジル人女性がめちゃくちゃアドバイスしてきた。いやわからんて。なんかバターくれた。ありがとう。彼氏とイチャイチャしてたので早めにキッチンから退散。

屋上テラスで食べたパスタは美味しかった。しかし寒すぎてすぐに冷めてしまった。そのぶん夜空は美しかった。



2024-09-15 Day18 「大都会・カラマ」

10時にホステルをチェックアウト。少しだけ街を散策し、バスターミナルで11時発のバスを待つ。なかなか来ない。違う会社のバスはいるんだけどなあ。11:15頃になっても来ないのでバスタの警備員さんに聞いてみると「めっちゃ遅れてる」って教えてくれた。ありがとう。
お菓子をつまみながら待ってたら結局30分遅れでバスは到着。ガラガラのまま速攻で折り返し出発した。

景色は相変わらず火星である

1時間ほどでカラマの街に到着。

まずは腹ごしらえ。物価は相変わらず高いがしょうがない。レモネードの押し売りをされて、頼んでもないのにつけられてしまった。まあ美味しかったからよし。

腹を満たしたら買い物。カラマは人口15万人と、この旅で訪れた街の中ではデカくはないが、いかんせん久々の先進国である。ここで色々買い込んでおく。

歩いてやってきたのはMall Plaza Calamaというショッピングセンター。

かなり大きいショッピングセンターで、Walmart的なスーパーがあったりとかなりアメリカナイズドされていた。

そしてなんといってもここのトイレ🚽は....
トイレットペーパー🧻が流せた!
感動!感動!感動!アメリカぶりや!

ナルトのパンツ。アニメ人気だなぁ〜

極寒のパタゴニアに向けてタイツを購入した。9,000ペソ≒1,400円くらいとお手頃だった。チリは物価が高いわけではなく、日本の食費が異様に安いだけなのだと実感した。

することがないのでショッピングセンターで時間を潰し、夕飯はフードコートのバーガーキング。ここまで米帝飯は我慢してたがついに解禁してしまった...

フードコートは若者が多くて、日本の田舎のイオンモールのようで面白かった。

時刻は19時半といい時間になったので、ショッピングセンターを出る。空港に行きたいのだがバスはないのでタクシーに乗らねばならない。幸いにもタクシーはたくさんいた。
「Aeropuerto(空港)」と言うと「Siete」:7,000ペソと返ってきたので反射的に「Seis」:6,000ペソ≒900円と返してしまったらあっさり承諾。あっこれ5,000ペソでもいけたな...

ちょっと悔しい思いをしながらも空港にはすぐに到着した。



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