一新塾と出会ったのはその直後でした。
私は、ハードである建築へのこだわりよりも、ソフトである一人ひとり
のつながりをつくりたかった。地域に生きる人たちに人生を応援したかっ
た。生活上の課題があれば相互支援しあえる地域コミュニティをつくり
たかった。子育て、教育、介護、雇用、福祉、環境…。
生活に関わるあらゆる問題に正面から向き合いたかった。
葛藤を通じて、自らの思いの輪郭が徐々に鮮明になっていきました。
しかし、民間企業の宿命もありました。ハードとしての建築をつくって
それを分譲して資金を回収し利益を上げることが第一に求められ、人との
つながりやコミュニティづくりに時間とエネルギーを十分に注ぎ込むこと
はできませんでした。
1995年阪神大震災の直後に、私は、建物倒壊の現場を視察しに行く機会
がありました。焼け野原になった長田のまち。
無残に倒壊した建物。形あるものは一瞬にして
崩壊してしまうはかなさを痛感しました。
そんな試練のどん底で、市民が立ち上がり、連帯を組んで、
前を向いて、お互い支え合っている力強さ。
「やはり、人のつながり、コミュニティだ!」
しっかり、市民目線でコミュニティと向き合わなければ、
未来がない、そんな気がしました。
一新塾と出会ったのはその直後でした。
一新塾に入ると、目からうろこの連続でした。
業界目線だと表面上の本の断片しか見えていなかった薄っぺらな
自分を痛感しました。
この場では、様々な業界を担っている人たちが、自分の生き様で
業界の構造を解き明かしてくれ、「ああ、そうだったのか!」との発見が
続々と起こります。
また、一新塾の仲間に、自らのビジョンをぶつけると、会社では、
「できるのか!」と一蹴されてしまうことが、一緒になって考え行動
してくれる仲間を得られ、救われました。コミュニティの再生は、
まず、私たちが志を尊重し、志を応援し合うことからだと確信を得ました。
そんな時に、「一新塾で働かないか?」との誘いをいただきました。
「主体的市民の輩出に関わることは、地域コミュニティを創造するため
の、もう一つの方法ではないか!」
9年間勤めた会社を辞めて、一新塾事務局の仕事に飛び込ませていただきました。