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私の「第二の人生」へのギアチェンジ(2)

私が住宅メーカーに入社したのは、バブルがピークの1988年。土地を買って建物を建てれば飛ぶように売れる時代、だんだんと入社の頃のように地域コミュニティへのこだわりを熱く語ることが減り、事業規模の大きさや利益額の大きさなど、唯物主義にのまれていく自分がありました。

都市開発の仕事は、とても地味な仕事でした。地域の現場に入って、最初は、地主さん一軒一軒、飛び込みで「土地の有効活用をしませんか?」と話をしにゆきました。しかし、見も知らない人が、突然訪ねてきて、人の大切な財産の話を持ち出すわけですから、「何しに来たんだ!」と門前払いされることが普通でした。

新入社員の頃は、地域をウロウロ歩き回っている自分と丸の内のオフィスでスマートに活躍している大学時代の友人と比較して、「こんなところ見られたらカッコ悪いな」との思いもよぎりました。 

そんな中、一〇〇軒に飛び込めば、二~三人くらい、話を聞いてくれる地主さんと出会えました。「どうぞ上がってゆっくりしてってください」と居間に上げてくれるのですが、一向に土地の話はさせてくれません。

人生の思い出話が始まると、これが一時間、二時間延々続く。そのうち、「一杯やるか?」「いえいえ、仕事中ですから」といった具合で、時間つぶしに使われているのではないかと思っていました。

しかし、何回も、何時間もお話を聞かせていただくと、「よし、そろそろ本題に移ろう」と突然、敷地の図面をもってきて、有効活用の相談が始まることがありました。とにかく「人生を聞かないことには何も始まらないんだ」ということが刻まれました。

そして、「有効利用してマンションでも建てたいんだが、兄の所有権もあるので、兄がうんと言わないと進まない。しかし、兄とはけんかして、この一〇年、口もきいていない。」こうしたケースでは、私がお兄さまとの仲介に入り、仲直りしてもらうことから始まります。「兄との関係も修復できた。では、土地の有効活用をスタートしよう」といった具合です。

事業に一歩踏み出す承諾をいただけるときは、きまって、親族との雁字搦めだった絆がほどけたとき。人間関係が結び直されるドラマがあって、再開発で新しい建物が生まれる、といった実感でした。再開発で新しい建築物が創造されるとき、見えない舞台裏では、人間関係の再構築が行なわれているんだということを何度も実感させていただきました。事業と人生はつながっている。地域の現場で、人生や人間関係を学ばせていただきました。
(つづく)

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