P.C.L. 撮 影 所 を 見 る
本 社 編 輯 部
◇瞥 見◇
「王友」編輯者で「趣味娯樂移動蒐集隊」と
いふものをつくつた。机邊に噛りついてゐるば
かりでは面白い雜誌をつくれないから、凡そ世
の中の面白いもの、珍らしいことを片端から見
て歩いて誌上で紹介しやうといふ企劃である。
プランの第一は四月三日の祭日PCL撮影所
をを見ることに決る。大橋達雄氏の紹介狀をも
らつて先方の都合をきくと、日曜日は休むが祭
日はやつてゐる、しかもその日は夏目漱石の
「吾輩は猫である」を撮影中とのことである。
何分にも初めてのことだから、その場に行つて
間誤つかないやうに、前日隊議を開いて各員擔
當の部署を定めた。
隊長は佐上長老で總監督といふところ(尤も
場所が場所だけにこの監督には監督の監督が必
要だと力說した隊員が二三あつたが)、プロロ
ーグとPCL概觀と當日隊員活躍の側面描寫を
書くのは村上君、脚本選定からシナリオ製作、
撮影にとりかかる迄を菊池擔當、錄音、音樂に
就いては土肥君、スケッチ係りは筑紫君、撮影
所の經濟的方面を調べるのは靑木君、ブラブラ
歩いてゐればいいのが矢部君(彼は株式係で日
夜激務に從事してゐる關係上慰勞の意味で閑務
に廻る)、最後に當日の最も光榮ある役に當つ
たのが新進編輯者毛内君で、女優にものをきく
のである。他に特別参加カメラマン三谷君―こ
れで陣容は整備した。
四月三日―花には未だ早いが、お天氣だつた
ら郊外の春色を探る人出數百万といふところだ
が、生憎の雨である。澁谷驛頭ハチ公像前十二
時半集合の約束だが、村上、矢部、靑木の三君
は夫ぞ事情あつて不參―残る六人が折柄の春雨
ぢやないどしゃ降りに濡れて行かうと圓タクで
一路砧村へ出發したが、三人も欠員が出來たの
では前日定めた役割なんか目茶苦茶である。え
えままよ、當つて碎けろとはこのことだと思つ
てゐるうちに、雨に濡れた一望の北武蔵野の丘
上に瀟洒な白亜館が見えて來る―これがPCL
撮影所である。
早速所長室へ通される。所長植村泰二氏は非
常に快活な、近代的な、さうして精力家らしい
好紳士で、齒切れのいい言葉でひと通りPCL
の特徴を述べられる。
PCLとはPHOTO CHEMICAL
LABORATORYの略稱で、昭和七年植村
氏創設の寫眞化學研究所(資本金五十万圓)の
ことである。そこでは技術と研究とを主眼と
し、撮影所で使ふ機械器具がトーキー撮影機を
除き、殆んどこの工場で製作してゐる。現在研
究中の最高級レンズと無音モーターの製作に成
功すれば全部自給自足出來るのである。
數年前日活の依賴で始めてここでトーキー映
畫を製作して、非常に好成績を得たのを機會
に、昭和八年PCL映畫製作所を設立して、
「只野凡兒 人生勉强」のやうな娯樂映畫や他
面「妻よ薔薇のやうに」の如き相當深みのある
作品を發表して、業界にセンセーションを捲き
起したのである。斯くてPCLは現在映畫界で
最も特色のある企業體として注目期待されて居
り、既成會社がその一擧手一投足にも尠からざ
る注意を拂つてゐるが、殊に小林一三氏の東寳
系とは密接なる提携をもつて、松竹、日活等の
牙城を壓迫しつつあるのは愉快である。
PCLの門をくぐつて先づ第一に感じたの
は、やくざ商賣的雰圍氣が全然ないことであ
る。撮影所だの、劇場などといふものは煮くた
れ者や渡り者の集合體の、腐り切つた。頽廢的
空氣が充滿してゐるのが普通であるが、ここで
は一切そんな匂ひがしない。何もかもきちんと
してゐる。門を入ると直ぐタイムレコーダーの
カードケースがある。試みにカードを抜いて見
ると、千葉早智子だの大川平八郎だのといづ見
覺えのある俳優の名が記入してあつて、出の時
間は午前七時五十分といふのが續いてゐる。退
出は大概午後六時近くである。このタイムレコ
ーダーは非常に嚴重な監視があつて、一寸代り
にやつてもらつたりすると大變なことになる。
この點我社と同樣である。事務室はどうかとい
ふと、そこには二十人近くの社員が外國會社の
オフイスにみるやうに忙しく立ち働いてゐる。
煙草の輪を吹いて椅子にもたれてゐる者など一
人もゐない。これも吾われの想像外である。植
村所長は一見甚だ氣さくな朗らかな人のやうだ
が、仲なかどうして締めてゐるぞと痛感した。
PCLでは同じ映畫をつくるにしても、他
とは全然ものの見方がちがふ―これが特色
です。それから俳優だからといつて理由の
通らない我儘は決して許さない。殊に時間
的には苛酷な位嚴格にしてゐます。その代
りステージその他の設備は採算を無視して
贅澤です。然もその贅澤は一點の無駄もな
い正眞正味の贅澤で、十万圓掛けたら必ず
それ丈けの價値のあるものを造つてゐま
す。他社のやうに表面二十万圓かけたの、
三十万圓掛つたのと云つてゐ乍ら、その實
半分位の金はどこかへ消えて失くなつてゐ
るなどといふやり方とは全然ちがひます。
撮影所で使ふ器具機械の殆んど全部は自製
ですし、殊に錄音器械とポシチブフイルム
と錄音フイルムとを同時に焼付ける裝置な
どは、世界的に我社獨特の發明です。映畫
は現在ニケ月三本、一年十八本製作を限度
としてゐますが、本年中に完成される新ス
テージでの製作能率を加へると月四本は完
全に出來ます。一本の映畫をつくる時には
先づ精密な豫算を作製して必ずその豫算以
内で仕上げることにしてゐます。
さうしてその映畫に依る収益計算をも明瞭
にして、豫算決算の結果をはつきり分るや
うにしてゐます。映畫製作費を經濟的に上
げるには出來る丈け準備期間を長くして、
周到な注意の元に手落ちのない配備を整へ
るのです。いざこれでよしとなれば疾風迅
雷的に撮影に取掛つて、實際撮影の期間を
出來得る限り切り詰めるといふやり方が一
番いいのです。この點も我社の特色で、こ
れが他の社ですと、恰度これと反對で準備
は極く大ざつぱにやる、そうして撮影にか
かつてからいろんな調査不備や、俳優の故
障、我儘などの出る每に無駄な時間を空費
し、種々な冗費もかかるわけです。私のと
ころでは今のところ一本の制作費大體三万
圓位でやつてゐます。吾われの商賣の難し
いところは製紙會社などと違つて、氣むづ
かしい俳優とか監督とかいふ藝術家が資本
ですから、これらの取扱ひに一呼吸いるの
です。
植村所長は大體以上のやうな話をきかせて時
計を見る。「さあ、一時四十分から「猫」の撮
影が始まりますからステージの方へ・・」と云
つて、中山文哉氏の案内で所長室を辭し愈々ス
タヂオの見學に向つた。
現在使用中のステージは第一、第二の二棟
で、何れも純白鐵筋コンクリート建、廣さは十
五間の十二間高さは三十尺である。坪數でいふ
と百八十坪になる。トーキー撮影には防音と反
響が重大であるから、周壁は一尺以上の厚さ
で、テックス、疊床、ズック等を使つて、完全
に外部音響を遮斷し、内部反響を調節してゐ
る。目下撮影中の作品は「吾輩は猫である」
「處女花園」「桃中軒雲右工門」の三つで、今
日は第二ステージで「猫」の成金金田の娘富子
が芝居をやる場面の撮影がある丈けである。こ
の場面には大勢の見物人が要るのであるが、そ
れ等に扮するのは悉くエキストラである。明治
中期の樣ざまな格好をした見物人が四五十人椅
子に腰掛けて、いかにも退屈さうにカメラ開始
を待つてゐる。このエキストラになる人々はど
ういふ種類の人間で、一日幾何位貰ふのか知れ
ないが、どれを見ても營養のいい顔つきをして
ゐる者のないところから想像して、餘りいい暮
らしをしてゐさうに思へない。エキストラの親
方のやうな者がゐて、そこへ男女何人と申込む
と直ぐ間に合ふ制度だといふから、人夫のやう
にその請負の親分にいい加減頭を刎ねられるの
だらう。
でこの「猫」の映畫は五月一日から日本劇場
で封切されたから、見た人もあるだらうが、監
督は山本嘉次郎氏、珍野苦沙彌を丸山定夫、迷
亭を徳川夢聲、東風を藤原釜足、多々良三平を
宇留木浩富子を千葉早智子といふ配役で、千葉
早智子が四月七日に渡米するので晝夜兼行大車
輪の撮影である。ステージ内は、スポツトライ
ト三キロワット、サイドライト二キロワット、
トップライト一キロワットといふやうな强烈な
電光が無數に輝いて、愈々アクシヨンに掛る
と、數十万キロワットと投光で眼が眩む程明る
い。然しステージには窓がないから埃が立ちこ
もつて實にむせつぽい。咽喉が直ぐざらざらし
て來る程非衛生的である。吾われはエキストラ
達に入り交つて撮影開始を待つてゐたが仲々始
まらぬ。
トーキー撮影の時は、床を靴でこする音や咳
は勿論、床下で鳴くこほろぎの聲迄錄音器に感
じる程銳敏だから、その撮影苦心は大變なもの
である―といふやうな話を聽き乍ら、いろんな
珍らしい設備に感心してゐるところはお約束の
女優が待つてゐるからといふ案内がある。さあ
お待兼ねの毛内君受持である。女優の方は同君
に任せて置けばいいのだが、未だ獨身の彼、一
人だけでも氣まりが惡るいだらうと思つて―と
いふのは表面の云ひ草で老も若きも女優ときい
た瞬間、思はず喜色滿面に現はれたのを何んと
しやうぞ―皆ゾロゾロと女優の待つてゐるとい
ふ食堂へ引揚げた。
女優と座談會をしたいからといふことは豫め
申込んで置いたから、特に吾われの爲に三人の
女優を用意してあつた。午後三時の食堂で神田
千鶴子、宮野照子、三條正子の三嬢が、晝食と
しては遅過る丼飯か何んかを愼しやかに食べて
ゐた。
(實際役者といふものは不規則に物を食べる生
き者らしい。撮影の合間には直ぐ食堂へ飛び込
んで、お茶をのんだり、何か食べたりする余程
腹が空る稼業にちがひない。)
そこへわが勇敢なる毛内義胤君は、適度の間
抜けさと、洗練されたるウヰツトと、先天的の
圖々しさを搗き交ぜて三で割つたやうな恰好で
近づいたかと思ふと、食事中の女優さん達にい
きなり名刺を出して、何か饒舌り始めたのであ
る。淑女の食事中に話しかけるなんで随分失禮
だわと思つたかどうか、軈て彼女達は食べる方
をいい加減に切り上げて、くるりと向き直る
と、卽ちそこには吾われ狼共が牙を鳴らしてゐ
る。途端に司會毛内君は
「僕達は紙を造る會社の者である。あなた方
は紙を造るところを見たことがあります
か。ナニありません、それやいけませんね
え。紙は一體何から出來るか知つてゐます
か。元はみんな木なのですよ。山の木が紙
になるなんて驚ろくでせう!それよりもつ
とあなた方がびつくりすることがある。ま
さかあなた方は愛用しないでせうが、人絹
ですね。これも元をただせば紙と同じく材
木から出來るのですよ。僕たちの會社では
この人絹の原料もつくつてゐるのです。ど
うです、驚いたでせう。」
とか何んとか大眞面目でやり出したのには、
きく女優さん達より吾われの方が驚ろいた。こ
の座談會の詳細に渉つては毛内君が書くことに
なつてゐるので、これ位にして置くが、淺間敷
は會社員の好奇心である。話はいつの間にか月
給のことに移つた。
この社會では月給は絕對秘密になつてゐて會
計係でも分らない。所長さん一人のきりもりら
しい。昇給は半年每にあるさうである。この點
は一寸羨ましいが。一圓あがるも昇給なら、五
十圓あがるも昇給だから、半年每にある昇給な
んかどうせ大したことはあるまい。早出料や殘
業料はどうかといふと、朝八時迄に出勤すると
三十錢、夜は六時過から十一時迄が三十錢、以
後三十錢といふ勘定で、華やかな商賣に似ず仲
々細い―こんなことを思つてゐると、毛内君は
ノートの端に自分の月給を書いて、扨て徐ろに
女優さん達に見せ乍ら、
「僕の月給は今これ丈けです。これを標準に
してここに居る人達の月給を當ててごらんなさ
い。」と云ひ出したのには閉口した。彼女達は
オホホと笑つて何んとも答へなかつたのは、流
石に人氣稼業だけあつて悧巧である。毛内君も
毛内君だ、いくら話がモーナイといつたつて、
こんなところで吾われの月給を暴露するやうな
ヘマをやられたんぢや耐つたものではない。ボ
ロが出ないうちにもうソロソロ切り上げた方が
いいと、内心ヒヤヒヤしてゐると、今迄沈思默
考してた佐上監督は何思ひけん藪から棒に
「あなた方の理想の夫は・・・・」
の愚問を發したのである。ああこれは益々困つ
たことになつたと思つてゐると、そこは相手も
扱ひ慣れたもので
「アラ皆さんそんなことお訊きですわオホホ
ホ・・・」と柳に風と逃げられたのである。老
巧佐上氏も御自身の娘のやうな彼女達の前に兜
を脱いで、その後再びあの清元で鍛へたといふ
咽喉から出るだみ聲をきくことはなかつた。
(菊池)
(「王友」第十二號
昭和十一年六月三十日發行 より)
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