消 息 或る海邊にて
▲安房北條の停車塲を出ると、むし
暑い、避暑地のざわめきが、すぐ私
の心をおしつけたのである。港町と
か、避暑地とか、いふ土地は、旅を
する人の心持を、かき亂すやうな氣
分を、濃く漂はしてゐるものである。
それが、私のついた夜は、この町に
祭にあたつてゐたのだから、私は、
きら/\する明るみや、それにとも
なふ、陰影によつて、ある、へんな
惱ましい印象をうけたのである。
▲美しい、都會の女の白いからだの
うねりにも、若々しい、快活な靑年
だちのたからかな談笑にも、人生の
瞬間的な、たのしい、半面を、うかび
出してゐる。町をとほる女は、どん
な男の腕にでも、すぐさま身をなげ
かけやうとするものゝやうな、微笑
をたゞ江てゐる。
▲私の小さな従弟妹と、その次の朝
海邊を、ぶら/\、歩るく。沖から、
いくつもの漁船がかへつてくる。す
ると、それを待ちかねて、この街の
貧しい人達はざるをさげて、網こぼ
れの鰯をひらふ。どの人のざるも、
たちまち、銀鱗でみたされる。
▲ひるいつぱい、海につかつて、わ
たしは、のんびりと、湯槽につかる。
靑い田面を、わたつてくる風も、へ
んに、なまぬるい。さあ、今晩も、お
の明るい街を、見知らぬ女だちの匂
ひでもかいで散歩しやうかな。
(越後タイムス 大正十二年八月十二日
第六百十號 二面より)
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