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古 い 退 屈 な 文 章 一 篇 / 野 瀨 市 郎

 菊池が目白を飼つたといふ。―
さては、てつきり、佐藤春夫先生に
かぶれたな、と思つた。
 先生のところには、目白、頰白、
瑠璃鳥などゝ、さま/″\な愛らし
い小鳥が五羽ほどもゐて、二階と
階下したとでそれ/″\の聲で啼き交す
のである。
 そのうちでも、チンチロリンと
啼くといふあの頰白はまつたく素
晴しいものだ。
 何しろ十年あまりも住んでゐる
ので、籠のなかからどうかして追
ひ出さうと試みても、棒きれを突
込んでみたりして、それでも五分
か十分かの後に、やうやく目的を
果すことが出來ても、すぐにまた
籠へ戻つてしまふのださうである
――現に、先生の指さきに戯れて
ゐるところを、私は拝借のアトム
カメラでパチリと撮影した。勿論
その寫眞はあんまり芳ばしくない
氣もちに近いものが出來た。
 ――が、彼菊池はまだそんなと
ころは見ない筈だ。それだのに、目
白を一羽買つたんだといふ。
「一たい幾らで買つたんだ。」
 と、恐る/\聞いてみると、彼
は悠然とバツトの煙をくゆらせな
がら、
「――籠ぐるみで五圓ばかしだつ
たよ。」
と、極めて昂然たるものがあつた
 だが、お蔭で自分は折からの凍
てついてゐる滿月の如く、皎然た
る氣もちになつた。
「安いな、――籠ぐるみ五圓ぢや
安い。」
「うん、安いな――。」
 さうして、またバツトの煙を遠
慮なくもやもやと吹きかける。そ
のとき今夜は、彼のたばこの煙が、へ
んにおれの頬へまつはりつく晩だな、
と氣がついた。
 ――五圓の目白ならおれにも意
思さへあれや買へやうだな・・・、
と思ひながら、ぶらぶらの宵の神
樂坂を歩いた。
 もう歳晩である。
 だから、人通りが多くて町がぎ
ら/\と白つぽく明るくて、時々
美人が歩く――。電燈がへんに眩
ゆい。よく、夜店では鶏の雛なんか
賣つてゐたものだつたが・・・。
 しかし、自分はさのみ目白が欲
しいとはまだ感じなかつた。――
何しろ、十年ばかりも以前に、大
事なカナリヤを蛇に呑まれてから
以來、ずつと小鳥を飼はずにゐた
のだから。
   ―――――――――
 ――と、實はこんな書き出しで
『目白と文鳥』といふ一篇の小品を
まとめてみるつもりだつだ。とこ
ろが、私は駄目なのだ。云ふさへ
も氣恥かしい事情のために、(それ
は惡夢の如く私につき纏ふ)文章
をものする事はもとより、日常生
活さへも出鱈目にさせられてゐる
   ―――――――――
 私は文鳥を飼つた。
 さうして五十日ほど過ぎた昨日
籠を綺麗にしてやる時、雄の文鳥
を逃がしていまつた。それも逃げ
るつもりでもなかつたのであらう
がもがいた拍子に出てしまつたの
であつたらう。私は呆然自失した
 ――が、凡そ二時間あまりの後
に、再びその文鳥はもとの棲家へ
舞ひ戾つて來たのである。その庭
を飛び廻つてゐる折の文鳥の美し
かつたこと。これでは雀どもにイ
ヂメられるのも無理はないと考へ
た。さうして、前日の如く籠の鳥と
なつた文鳥はいま、愉快さうに囀
つてゐる。
   ―――――――――
 戾つて來てくれた文鳥の心もち
が有りがたかつた。あの一羽にな
つた雌の鳴き聲のあはれさが胸に
泌みてゐたから。――私は單にそ
れが餌のためのみだとは思はない
 籠の鳥といふと、あはれの代名
詞ぐらゐに心得てゐる人が多い。
が、實際の籠の鳥はそんなもんぢ
やないんだとしみ/″\思ふ。
 ――菊池は十圓ばかり出して、
カナリヤを飼つた。自分は文鳥だ
けで滿足らしい。
 先達て堀口大學氏の買つたカナ
リヤはとても素晴しいものだつた
それは佐藤春夫先生のところで見
たのだが。私はその夜先生へハガ
キを書いた。
 ――あんないゝカナリヤを見る
と、私も欲しい氣もちがします。
――     (十四年十二月)

越後タイムス 大正十五年六月十三日 第七百五十七號 四面より


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         ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

       佐藤春夫さん宅の小鳥たち


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