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品川 力 氏宛書簡 その十五

ツトムさん――
 昨日は残念でした。僕は野瀬君と、一日、しゃべってき
ました。夜更けの春の月はいゝ気持でした。野瀨君は、ポ
ーのやうなものをかいてゐます。葛飾草舎の雨はいゝ。あなたと
彼には毎日あひたくて耐りません。あなたにおくった「思ひ出」
終わりました。あなたは、あんなものはお嫌ひでせう。すみません。しかし、これから、又「卓燈夜話」をかきますから、いろいろ敎へて下さい。
樋渡君の言葉はうれしい。あゝいはれるとうれしい。ご都合のよ
いときにお会ひしまう。十九日には是非中野へ行きませう。
「大鴉」の草稿をおくって下さい。僕は大杉栄全集㐧四巻のため
に、氏の書簡をおくりました。お父母さま、お妹さんによろしく仰有って下さい。


[消印]14.4.13 (大正14年)

[宛先]京橋区銀座尾張町
    大勝堂内
    品川力 様


 牛込区河田町一〇
  菊池 与志夫


                       (日本近代文学館 蔵)




斷 片 語
       樋 渡 尚 理


 學年末の休暇といふことゝ、此
の頃の春らしく暖くなつたことゝ
が一緒になつて、いてついたよう
に堅く閉ざされた自分の氣分をほ
ごして長閑にしてくれた。
 菊池與志夫君の「南國消息」は私
の此の心持ちとぴつたりと合つた
 非常に好もしく思つてよく/\
味はつて讀んだ。詩だ。美しい小
說だ。菊池君の感情が餘す處なく
よく溶けこんでゐて菊池君らしい
詩的なリズムが味はゝれた。
 菊池君の戀愛觀には些か物足ら
ぬ處はあつたが、それは菊池君と
私との性格から來てゐることで、
菊池君は菊池君としてあゝなるこ
とであらう、詩的で美しいと思つ
た。
「思ひ出」は氏が苦心の作ださう
だが、それだけにチト凝り過ぎた
處があるまいか、「南國消息」のよ
うな情調的な處は見られなくて堅
過ぎたと思つた。私は矢張り「南
國消息」をとる。
 あれを讀んでゐると、何時かな
藝術的とうすいに浸つた。
    ×
 それから菊池君のが出てゐる古
い越後タイムスを出して「卓燈夜
話」
二つと、「旅斷篇」とを讀んだ。
 卓燈夜話――では氏の藝術觀を
知ることが出來る。あれを讀むと
菊池君と自分との根本的な相異が
はつきりと分る。菊池君は何處迄
もローマンチックな人だ。矢張「南
國消息」がよく氏を表してゐる。
 私はまた何うしても佐藤春夫氏
や谷崎潤一郎氏は好まない。
 谷崎氏の「刺青」は實によかつた
「お艶殺し」よりかも好きだ。――
が一種の讀物として時たまは氣ま
ぐれにと思ふが、すつかりその人
に浸り切るといふことは出來ない
佐藤氏にしても同じことだ。
 私は矢張り島崎藤村さん、有島
武郎さん、武者小路實篤さんなど
が好きだ。
 武者小路さんのではまだ餘り讀
んでないが、その中でも「彼が三
十の時」はほんたうに好いと思つ
てゐる。
 あれこそは武者小路さんその人
が十分作の中に溶けこんでゐて生
きた藝術をなしてゐると思ふ。私
もあゝいふ風に書いて行き度い、
さう思ふものである。
「眞晝の人々」の中の「或る男の
話」なども氏の代表作の一つとし
ていゝであらう。
 作者と作品とぴつたりと合つて
寸分のすきもない、何處を讀んで
見てもそこには作者が生きてゐる
――さういふものでなければなる
まいであらう。
 作者と作品と離して考へること
は好まない私だ。
 それから菊池君のように「藝術
品によつて自分の人生を指導して
もらはうといふ考は持たたい」
と言つた風の言葉には反對だ。
 私は寧ろ藝術を心のかてとする
ものである。自分の心を富まし、
肥やし、深めて行つてくれるもの
でなければ物足りない。
 矢張り自分の性格とぴつたり合
つた人の作品でなければ讀むを好
まないのだ。
 私は作品だけに依つて陶醉を得
て滿足してゐるものではなく、作
者と讀者との人間的接觸を望むも
のである。
    ×
 今新潟師範に行つてゐる村の靑
年が、昨日遊びに來た。丁度今休
暇だから。
 文學愛好者だ。私とうまく合う
ものだから、半日文學の話をした。
 私は「赤と白」を例に取つて正宗
白鳥氏の話をした。
「赤と白」は佳い作品だと思ふ。
氏の作品としては指を折る程の傑
作だか何うかは分らないが、例時
の氏の銳く冷い眼が作品の奥で氣
味惡く光つてゐる。
 人としての正宗氏を好かない私
だから、氏の作品は餘り讀まない
が、舊作「二家族」「毒」などは今に
忘れない。
 正宗氏の物を讀んでゐると自分
までが何時かもう立派な精神病者
になつて了つてゐる。氣がついて
ゾツとなることがある。
 それにも一つは、「赤と白」の中
にあるように、何だか何んな善人
でも心の奥の方には恐しく惡魔的
な幻想を持つてゐるように思はせ
られた。私なども顔に似氣ない恐
しいことを空想してゐる人間だ、
――と正宗氏にはされて了つてゐ
るようだつた、ほんたうにまたさ
うらしくもある。此の心の奥の、
自分では思つて見なかつたような
ことを正宗氏はちやんと見抜いて
睨んでゐる。
 全く氣味惡い人だ。懐しい氣
持で伯父さん!と云つて抱きつけ
ない。
 私の伯父さん!と呼ぶ人は例時
もいふようではあるが「新生」の岸
本だ、作者の島崎さんだ。
 その靑年とこんな話をくだらな
く長々とした。此の靑年に松田さ
んの「良寛」を揃へて貸してやつた
越後タイムス 大正十四年四月十二日 第六百九十七號 六面 より


樋渡氏への私記

秋 刀 魚 (上)




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