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大 杉 榮 全 集
◇大杉榮氏が私達の宇宙から遠く
歩み去られてからもう二年の歳月
がたつ。大杉氏の亡骸は朽ち、そ
の墓石は冷たき苔にまみれるとも
あの高遠なる宇宙の美と自由とを
夢み乍ら、その夢のために殪れな
ければならなかつた大杉榮氏の血
潮は、かはることなく私達の心臟
につゞいて、今もなほ、音たかく
脈うつてゐるのだ。
◇無政府主義は私達人間の本能
そのものから出發する。美しい自
由な國家を建設しやうといふ主義
は人間の最も自然な、本能の要求
を、洗練されたる理智と、正當な
る秩序とによつてほどよく培ひ、
正しく伸ばし育てる理論である。
自由は人間の最高の本能である。
山峽からつどひ流れてくる谷川の
水はまことによく人間の自由を望
む精神にたとへることができるも
のである。低きをめがけて奔流す
る川水でさへ、自らの行きつくべ
き最も適當な方法を知つて、力を
合せ、自から堤をつくつて太洋に
注ぐではないか。美しい自由な國
を建設せんとする主義は正に、山
を出たばかりの谷清水にひとし
きわれわれの本能にとつて、最も
良き堤であり、大海の平和に到達
すべく、最も正しき進路を示す思
想である。
◇自由を求むる心は人間の本能で
あり乍ら、この世の生存に於ては
一つの遂げられざる夢である。人
と生れ、何人か自由を希はないも
のがあらうか。何人か、夢をみな
い人があらうか。若し無政府主義
の理想境を夢みることを以て、荒
唐無稽の夢なりとすれば、共産主
義も亦夢である。あらゆる思想は
悉く醉中夢である。人生に於て
最高の美しき瞬間は自由を求むる
夢に没頭する瞬間である。藝術家
は藝術作品によつて自由を夢み、
彩色まばゆき、虹と空中楼閣とを
築く。思想家は彼らの夢を理論に
託するものに他ならない。
◇大杉榮氏はわが國に於て最も天
才的な無政府主義者であつた。又
最もその思想を藝術的美しさを以
て表現した人である。大杉榮氏に
就いては私ごときが多言をつひや
すまでもなく、彼を知る人は悉く
愛慕の念を以て彼の遺して行つた
夢を自らの血脈におさめ、正しく
育てゝゐることであらう。
◇大杉榮全集はわが大杉榮の生存
をはつきりと跡づける金字塔であ
る。人間としての大杉榮と、思想
家としての大杉榮とを知らうとす
るには大杉榮全集に據るほかはな
い。私は四月卅日の締切日をひか
へて、未だこの光輝ある全集の刊
行を知らざる人、或は申込を躊躇
してゐる諸君に向つて、三度の飯
を一度省いてもこの好機會を失ふ
勿れと敢て告げるものである。
◇甞て本誌に寄稿の拙文「大杉榮
氏を憶ふ」中に引用した、私宛の
氏の書簡二枚は全集第四卷の一頁
に採錄されることとなつた。私の
光榮とするところである。かたが
た記して私と大杉榮全集との淺か
らざる關係を披歴する所以である
(大杉榮全集申込所は、東京市小石川
區表町百九番地アルスです。)
(越後タイムス 大正十四年四月廿六日
第六百九十九號 六面 より)
#大杉栄 #無政府主義 #大杉栄全集 #初期社会主義
#越後タイムス #大正時代
※見出し画像は 加藤タカシさん作、
引用元(キリヌケ成層圏)
を使用させていただきました。
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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵
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