――詩人の思ひ出――の作者であ
る品川力氏は、いま横濱の街で勞働
的休息の生活をおくつてゐる。
彼のゐるミルクホールのあるとこ
ろは、いまから七年ほどまへの或る
冬の晩、僕が支那淫賣婦とまちがへ
られて、或る若い佛蘭西水兵のため
に、いきなりだきすくめられて、外
國人らしい、大へんはげしい接吻を
されたことのある、その街通りであ
る。さう言へば、あの若い水兵の情
熱的接吻の舌ざはりが、いまでも、
ときどき僕の舌のうへで賞美されて
ゐることがある。あの頃は僕だつて
いろが大へん白くて、頬がゆたかで
マドロスをうつとりとさせるほど美
しい風貌を持つてゐたものだが、今
はもはやその頃のおもかげだにない
けふ横濱へ行つたついでにそこへ
よると、彼は非常に美しい顔に、商
賣的微笑をうかべ乍ら、ふだんの吃
音に似ず――まいど、ありがたう。
――とか、――二十五錢です。――
とか言つて、ソーダ水のパイプを忙
しさうに握つてゐる。詩人にはふさ
はしい商賣だから大へん機嫌がよい
やうである。だが、その仕事のため
に彼は――詩人の思ひ出――の續稿
を書けないさうである。僕は彼のあ
の勇敢なる生ひたちの記を大へん愛
讀してゐるので休載を殘念に思ふが
原稿生活者でない彼にむりを言ふわ
けにもゆかない。そこで一回だけ原
稿かきを怠けることをゆるして、そ
のかはり彼に爽快なる、横濱消息一
篇をかいてもらつたわけである。
(菊池與志夫)
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◇横濱消息
(越後タイムス 大正十四年八月十六日
第七百十五號 二面より)
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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵
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