鵝ペンの饒舌
□中村さん――すこし、私の鵝ペンの
饒舌をきいて下さい。本を讀んだり、炬
燵にねころんだり、物を考へたりする
のには、ふさわしい冬も、毎日のやうに
街を歩るいて、寒い北風にさらされな
ければならない、僕達のやうな人間に
は、あまり、愉快な季節でもないやうに
思はれます。あなたは、一年中を通して
かはらない元氣と健康とを、めぐまれ
ておいでになります。私は、これからさ
きも、ずつとそれが、續く事を祈ります
□私は、あなたの編輯によつてつくら
れるあの小ざつぱりと、よくまとまつ
た、タイムスへ、ものを書くのが、この
頃、どうやら一つのたのしみになつて
しまつたやうです。へんな謙遜はしま
せんが、全く何一つ、とりどころのない
自分の雜文をもてなして下さるあなた
の御好意が身に泌みるやうに感じられ
ます。私などは、もとより、素質も、才能
も、野心もありませんから、文を賣つて
パンと代へやうといふやうな考を、す
こしも持つてゐません。たゞ自分の今
の生活が、餘り空々漠々として、藁くづ
を噛んでゐるやうに、味氣ないので、そ
れをすこしでも、コムフォタブルな、明
るいものにしやうと思つて、氣まぐれ
に、ペンを動かしてゐればそれで滿足
なのです。遠くにゐるなつかしい、私の
友達も、タイムスをみて、私の消息を知
つてくれますし、私の書くものに就い
ていろ/\意見をきかせてくれます。
これが又、私の一つの大きな慰めにな
るのです。
□夜、寢床につきますと、直ぐ寢つく事
の出來た私も、あの地震以來といふも
のは、身体が、た江ずゆられてゐるやう
で、仲々、眠りにおちることが出來ませ
ん。これは、いつまでつゞくことでせう
□私の家には、今、菊だけ白く咲いてゐ
ます。朝など、寒い大氣の中に澄みきつ
た百舌鳥の鳴聲が、ひゞきます。時によ
ると庭の紅葉の木に、その小鳥の姿を
みることがあります。去年、父が死ぬ日
に、植江かへた、南天の木に小さな赤い
實がなつてゐます。私の好きな、椿の花
も隣りの垣根の上から、のぞいてくれ
ます。いちめんに、雪をかむつた、富士
山も、晴れた日などにはすつきりとの
ぞみみることが出來ます。庭つゞきの、
畑はもう大根の靑い葉ばかりになつて
ゐます。
□私は去年頃まではよく秋の郊外を散
歩したり、冬近い空の下ひろ/″\とし
た枯野原に佇んだりして、自然の美し
さと淋しさとに、ひたるのが好きであ
つたのです。だが、今年はあんな風にな
つてしまつて、そんな靜かなものに對
するあこがれも心のなかで、ふみにじ
られたのです。十月の半ば頃には、又天
幕をもつて、どこかへ出掛けるつもり
でしたが、それも駄目になつてしまつ
たのです。その代り、活動寫眞だけは大
分みました。
□この間、舞臺協會が、山本有三氏の
「生命の冠」とスウトロの「見捨てられ
て」と武者小路實篤氏の「野島先生の
夢」とをやつたのをみました。私はスウ
トロといふ作家を知りませんが、仲々
いゝものです。三つのうちで、一番、エ
フェクディブに表現されたと思ひます
それには山田隆彌と岡田嘉子の力が、
いつぱいに、みなぎつてゐたからです。
□「野島先生」は、武者小路氏のものに
特有な、樂天的な、空想的な、氣持よい
ものです。はぎれのよい、一本調子な、
人間の一群が、たくみに、描き出されて
ゐます。たゞ武者小路氏の芝居はどん
な人間でも、一つの共通的性格に描か
れてゐるので、變な感じがしないでも
ありません。そして、苦しいとか、恐ろ
しいとかいふ、セリフがあつても、ち
つとも、それほどの感動を受けないで、
かへつて、ユーモラスな感じをうける
のはあの作者の持味であると共にへん
なところです。舞臺協會の前に、花柳章
太郎や水谷八重子だちが、有島武郎氏
の「吃又の死」をやつたのを、みたかつ
たのですが、つひ、みそこねてしまつた
のは殘念です。
□今日はアラ、ナジ、モヴアの「サロメ」
をみてきました。活動寫眞藝術の極致
といつて、私は讃美したいほどです。
私はもう、エクスタシイにひきこまれ
たのです。そのあとで、日活でつくつた
大泉氏の「血と靈」といふ、表現派映畫
をみました。力いつぱいにやつてゐる
熱心は、いづれもつと、いゝものを生む
もとをつくることを思はせます。「サロ
メ」については、又別にかきたく思ひま
す。(十一月十八日)
(越後タイムス 大正十二年十一月廿五日
第六百二十六號 四面より)
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※中村葉月(なかむら ようげつ)