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野 瀨 君 の 死/品 川  力

野 瀨 君 の 死/品 川  力

 野瀨市郎君がアッ気なく
死んでしまつた。彼の手紙
の終りにはいつも決ったや
うに血圧が何度といふこと
書いてあったので、藤田家
では「血圧居士」の別名で
呼んでいたとのことである
ふだんから用心に用心を
してなるべく会合などにも
顔を出さないやうにしてい
たのだが――。
 その昔、彼は柏崎中学の
名物男だって、小学生の僕
等には山猿的の風貌は、近
寄りがたいものがあったが
彼が東京に出てきていまの
葛飾に住むやうになってか
ら、当時さかんにタイムス
に寄稿していた菊池与志夫
君に連れられて彼を訪ねた
ことから交際が始まったが
彼と僕とをむすびつけた菊
池君はいつとなく僕等から
離れてしまったが、野瀨君
は売れもしない創作集や歌
集の自費出版などを続けて
いた。これは文壇にのり出
す野心滿々たるものがそこ
にあったからだが、野瀨君
の書くものにはどこか土嗅
い香りが漂っているので好
きになれなかったけれども
軽るい感想風のものや、さ
りげなくかいた文章にはい
いものがあった。
 又とぼけたやうなくだけ
た調子のものになると特に
天下一品で、ここに野瀨君
の本領があるやうに思へて
ならなかった。
 告別式で続々として多く
の会葬者が集ってくるのを
見た野島寿平大人は「俺が
死んでも野瀨ほど人がきま
い」といって大きな眼玉を
ギロつかせたものだが、野
瀨君以上になることは間違
いないところである。この
有名な悪口屋も近頃トンと
人の悪口を叩かなくなった
もの――。
 いよいよ出棺の際に室に
残っては邪魔になるので、
外に出ると、市橋善之助氏
がさながら生ける野瀨君に
話しかけるやうな別れの言
葉が聞えてきたが、この絶
切れ勝ちの聲が、グッと胸
にきてやり切れなかった。
 藤田美代女史は傍の千原
三郎氏に「野瀨さんは知ら
せて好いところと悪いとこ
ろの区別をして名簿の整理
までしてあった」といって
ひどく感服し、私も早速や
りませうなどの言葉をもら
しているのを耳にして、「こ
の万年女学生が、そんなに
たやすく死んで堪るもので
はない。」と思った。
 久しく会はなかった一人
娘の純子さんが立派に成長
されているのには驚いた。
   {中略}
ゆたかなる祝福がこの純子
さんを中心にして開かれて
行くことが感じられて。野
瀨市郎君、以て心やすらか
なれ。

 昭和三十三年九月三十日

(越後タイムス 昭和三十三年十月五日 第二一四八號 四面より)



野瀨木人居士
 昭和三十三年十月二十
 四日野瀨家に於て
   品川 力

 藤田美代、早川音蔵、奥
平祥一、石川順冏の四氏が
すでに見えていて、やがて
村山清益、吉田醇一郎、罇竜
之助の三氏、これに品川力
を加へての野瀨木人居士を
偲ぶ会であった。この会合
をすることは藤田女史の呼
びかけによるものである
が、こんな話は持ちあがっ
てから間もなく県人会に行
くと、どうしたことか女史
は急に腰の筋肉が痛み出し
ていま病院に入院されたと
いふことだった。
 ことが野瀨君のすぐあと
なので少々気になったが、
大したこともなかったもの
と見えて、いつの間にか退
院されてこの会に顔を出さ
れた。そしてこの短い病院
生活で又一段と美しさを増
してこられた。
 女史からいつも頂く案内
状には女史の面目が躍如と
している。
 頃よりとかくことがよほ
ど好きらしく、今回の案内
にも午後二時半頃よりとあ
った。せちがらい世の中に
このやうなノンビリとした
存在があることによってわ
れわれはどの位救はれてい
るか知れない。
 野瀨君は颱風のあと始末
で、屋根にのぼったり、土
運びなどをやって、ホッと一
休みして間もなく、倒れた
のだそうで、奥平大人が
「アノ怠け者の野瀨が止せ
ばよいのに、珍らしくこん
なことをやるからだ、バカ
な奴だ」と、しきりにくや
しがったり「悪気のない本
当に善良な男でしたね、に
くめない気持のいい人間で
した」などとも話した。
そして勤めから戻った純
子さんをしげしげと見て
「あの野瀨にこんな美しい
娘さんが生れるんですから
ね」には皆んな笑った。
 これでは野瀨市郎を知ら
ない人はどんな醜男かと思
ふに違いないが、晩年の彼
の風貌は実に美しく、惚れ
ぼれとするやうな立派なも
ので、大きく引伸した彼の
写真をながめては「いい顔
しているなあ、これをタイ
ムスに載せたい」と話した
ら、藤田女史が、野瀨さん
から借りますと引受けてく
れたが、いつ迄たっても送
られてくる気配がないから
今回は著作目録を添えて彼
を記念することにした。

 野瀨市郎著作

歌集 紅乙女 中学時代の
作で、柏崎 品川書店刊
「未見」
歌集 劫火 大正12・1木
人社
歌集 落葉集 昭5・1木
人社
フナ釣場案内 昭13・10黄
河書院
川釣り 昭14・5 同
釣具と釣餌の研究 昭15・
4 同
アユ釣り 昭16・5 同
釣魚物語 昭16・9 同
広虫と清麿 昭18・8 文
松堂
寒蟬歌集「昭和五年一月―
昭和八年九月」千原三郎装
幀「未刊」
諸家共同執筆の単行本と雑
誌等に発表せるものは略す

(越後タイムス 昭和三十三年十一月二十三日 第二一五五號 六面より)



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