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歳 晩 私 記

◆中村葉月樣―先日はお手紙を難

有く拝見致しました。あなたはめ

つたに手紙をお書きにならないひ

とですが、毎年歳晩になると、き

まつて私などにもあなたの感慨を

もお洩らしになるので、私はあな

たのそのお手紙を待兼ねるやうな

習慣になつてゐるのです。ですか

ら、あなたからお手紙を頂いたと

き、私は大へん嬉しかつたのです

それにはあなたの憂鬱があなたら

しく書いてありますし、あなたの

今お感じになつてゐるお氣持も、

あなたよりはずつと年少の私にも

泌みじみとよく分るのです。然し

分ると言つても、私は生理的には

あなたほどぴつたりとよく分つて

ゐないのかも知れません。私はも

のを書くといかにも稚拙ですが、

すくなくとも私の心持は決して稚

拙ではないつもりです。どちらか

と言ふと私は氣持の上では餘りに

老ひ過ぎてゐるほどなのです。こ

ういふ私が、あなたのお心持をよ

く分ると言つても、さう不思議な

ことでは厶いますまい。

◆あなたは、私が近來明るく幸福

さうな氣持で生きてゐることを大

へん喜んでくださいました。あな

たが私などのことをさういふ風に

お氣に留めてゐてくださるのは感

謝の言葉も厶いません。ご推察の

とほり私は今、大へん嬉しいので

す。美しい氣持で尊敬し合ひ乍ら

私を迎へてくださるひとがあるの

も、いつでも佐藤春夫さんにお會

ひできることも、温かい交友のあ

るのも、悉く私には樂しいのです。

私はそれだけで十分滿足なのです

それだのに私はもうひとつ別なゆ

めをみてゐるのです。それはうつ

かりと言へることでは厶いません

し、ずゐぶん虫のいい、身の程を

知らない夢なのですから、若しそ

れをはつきりと申上げたところであ

なたは、私をおあはrみになつてお笑

ひになるだけなのです。ところが

この私にとつて、その望みなき夢

は致命的に大切なことなのです。

この夢さへ私のものになつたら、

私は全く人間が生れ變つたほど明

るい幸福な生活ができるに違ひな

いのです――なんだか朦朧とした

ことを申上げてゐるやうですが、

これ以上はつきりと書くことはで

きません。

◆私の好きな秋刀魚もさう度たび

食卓にのぼらなくなつて、朝の焚

火に百舌鳥を寒く聽く頃となつて

了ひました。東京の街上を漫歩す

るのにいちばん氣持のよい歳晩で

す。私は東京では歳晩の街景を最

も愛します。どこをどう好きだと

いふのではなく、あの押しつまつ

た慌ただしい氣分のなかに、なに

かしら私をひきつけるものがある

のです。正月は田舎の方がずつと

長閑でいかにも新春らしい氣持で

すが、歳晩の氣分は東京ほど濃く

でてゐるところはないやうに思ひ

ます。私はへんな男で、ひとりで

街を歩るく時には、店の飾窓をの

ぞくくせがあるのです。別になに

を買はうといふわけではなく、呉

服店とか洋品店とか、花鳥店とか

本屋とか―さういふ店の窓を氣ま

ぐれに覗き見をして、うつとりと

してゐることがよくあるのです。

そして、こういふ私の氣持とぴつ

たりするのはなんと言つても歳晩

の東京の街です。これまで私は每

年のやうに歳晩から正月へかけて

旅に出てゐたのですが、今年は久

振に東京で越年することにします

すこしまとまつたお金でも持つて

母と二人で歳晩の街を歩ふき乍ら

買物でもするつもりです。

◆私は今年タイムスへ三百枚ほど

の原稿を書いてゐます。いづれも

とるに足らない稚拙なものばかり

ですが、それでもよくあれだけ多

のものを書けたものだと思つて

ゐます。私などは、每日書いたと

しても、一日に精ぜい四五時間ほ

どしか、ものを書く時間はないの

ですし、ことに私は、餘程哀しい

時とか、餘程嬉しい時とかの他は

ものを書くことはできないのです

さういふごく稀れな塲合に、こつ

こつと書いてゆくわけで、そのた

めに睡眠時間を割くことはたびた

びです。それでゐてあんなものし

か書いてゐないのですから笑止で

は厶いませんか。

◆然し、私にひとり、私の敬愛し

てゐるごく親しいひとがあつて、

そのひとはこの世のなかでいちば

ん私を理解してゐるのですが、そ

のひとが、私の書いた二三篇のも

のを純粹な心で賞めてくださつた

のはありがたいことです。私はそ

のひとに心からお禮を言ひます。

削骨の甲斐もあつたと嬉しく思つ

てゐます。今年はタイムスにも珍

らしいものを書く品川力氏や、珍

重すべき作家河端潤氏などが新た

に加はつて私を樂しませて呉れま

した。又佐藤捷平氏の短篇小說も

私の羨望するほどいい作品ばかり

でした。近來野瀬市郎氏はタイム

スには餘り書きませんが、その代

り彼は長短合せて數百枚の作品を

書いたやうです。

◆私は朝早く起きて目白を愛して

ゐます。小鳥でもゐて呉れると朝

はやく起きることもひとつの樂し

みです。籠を紅葉の樹の枝に吊る

して置きますと、いろいろな小鳥

がひとりでに集まつてきて、鳴い

てくれます。それを聽き乍ら、私

は椽に座つて呆然と煙草をんで

ゐるのです。自分の身の行末を思

ふと、すぐまつ暗い絕望に襲はれ

る私も、鳥と遊ぶときはいくらか

心持がのどかになつて、なんとな

く樂しさを覺江ます。私などは生

涯小鳥か花かを愛するより他どん

な幸福にもめぐまれないことだら

うと、もう全く諦らめてゐます。

私のやうな才能がなくて愚かで、

そのくせ氣むづかしい感情家には

花か小鳥のほかだれも相手になつ

て呉れるひとのないのは當然です

又、へんな愚癡になりさうですか

ら、やめます。

◆明日は、品川さんの御家族と、

藤田美代子さんのお家へゆくつも

りです。それをたのしみにして今

夜はもう眠らせて頂きます。今夜

もまた良い月夜です。今、夜半の

二時ですから、あの月の高さでは

明日の朝空にのこつた月をみる樂

しさも偲ばれます。

 これが私の歳晩の言葉です。又

同時に腰を撫し乍ら呟く私の痴愚

なのです。


(越後タイムス 大正十四年十二月十三日 
       第七百三十二號 二面より)


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