見出し画像

東京より (一)

⦿タイムスをみるたびに、あなたの元

氣を思ひます。ことに、タイムスに、誤

植や脫字が、すこしもないことは、ずゐ

ぶん、氣持のよいことです。あなたのお

力が、みちみちてゐるのを感じます。

⦿東京の二月は、空つ風で名高いので

す。が、二月になつてからは、その風に

一日も苦しめられたことはありません

そのあとは、生あたたかい大氣のため

にふだんでさへ惡い道路が、こねかへ

されて歩るくのがいやになるほどです

⦿いつかのタイムスに宮原○○といふ

人の、春秋座の批評が出てゐましたが、

同氏はよほど劇をよくみてゐられるせ

いか、てんで、頭から猿之助氏だちの眞

摯な藝術を、どやしつけてゐられます

ネ。批評家は大切なつとめをもつてゐ

ます。芥川龍之介氏のごときは、今の

文壇が沈鬱なのは、偉大な批評家がゐ

ないからだどいつてゐます。僕の考へ

でいつても、批評家は、惡口ばかり云つ

たり、否定萬能をふりかざしたりする

ばかりが、その目的ではなく、藝術家

だちのおのおのゝ個性や人生觀や、その

ほかその人だちの感覺とか、感情とか、

表現力とか、思想とかを深く、しんけん

に、洞察し、そのなかに、批評家自身の

意見をおりまぜて彼等にある暗示を與

へ、或ひは、鼓舞してやるのが、ほんた

うに人間らしい批評だらうと思ひます

⦿むろん、批評の中では惡口を云つて

も、腹を立てゝも否定してもいゝので

す。が、批評家自身の意見のハツキリし

ない批評や、しつかりした論難の立塲

を持たない批評は、ほんたうに力づよ

い感銘や印象を與へることは、六づか

しいだらうと思ひます。この意味で、も

つと、まじめな批評を、宮原氏におのぞ

みしたいと思ひます。

⦿菊池寛氏の「父歸る」に同感出來ない

のは、何のゆゑにですか?有樂座の舞

臺に生かされたあの戯曲のどこ/″\が

惡いのですか?役者の表現のどこに缺

點があるのですか?、そんなことにつ

いて、お敎へ願ひたいと思ひます。あの

戯曲は「屋上の狂人」と共に、作者の、リ

アリズムを代表してゐるものです。同

氏の戯曲に於ての持論である、眞實幻

化のもつとも滲み出てゐるものの一つ

です。菊池寛といふ男の持つ、感情は、

賢一郎の血脈を流れるものと、全く、一

つになつて表現されてゐます。その賢

一郎の性格にあふれ出てゐる、憎惡の

觀念と、弱い感傷や熱情やは、菊池氏

自身の持つ性格に他なりません。僕は

宮原氏に、新潮正月號に出てゐる、菊池

氏の「肉親」の主人公の性格と「父かへ

る」の主人公のそれとの中に、脈々相通

ずるものがあることを申上げたいと思

ひます。

⦿宮原氏の「四ッの芝居」の中で、僕が

共鳴した點は、藤田草之助氏の「煩惱

地獄」の三幕目で、湛念がおくみを殺し

て、㾱寺の暗い堂の中へ抱いて入る塲

面をみつめてゐる、特、一等あたりの、

ブルジョワ觀客に向つての宮原氏の皮

肉な觀察です。猿之助は、瀧口時頼(大

正十年二月帝劇上演)で見せた、性慾の

惱みや根强い執着と同じ表現で湛念を

やつてゐました。要助にひつぱり出さ

れたとき、おくみの美しい着物を抱い

てゐたのは、たしかに、お上品な、殿方

やお嬢さんだちの眉を顰めさせるもの

でした。しかし僕なんかには、宮原氏と

同じやうに、まつ暗い古寺の隅で、おく

みを裸にして、湛念がしがみついてゐ

るさまが、アリ/\とみ江て來たんで

す。・・ともあれ、宮原氏は劇評に於け

るダダイストになられるよりは、ほん

たうにもうすこし親切な批評をかいて

僕等若輩を善導して下さることを、お

ねかひしたいのです。

⦿ダダイストといへば、小川水明氏も

今年からは、タイムス唯一のダダぶり

をやめて、仲々人間味のある、論戰を

やつてゐられますネ「親の愛も兄弟の

情もいらぬ、戀人だけを抱きしめてゐ

たい」といふ風な、ダダぶりを、とき

/″\みせていただきたいと思ひます。

ひとり舞臺のダダも、あんまり惡くは

ないぢやありませんか。

⦿中村様ーーあなたの「柏崎より」の最

後の文章は、實にいゝと思ひます。トウ

ルゲネフの「あひびき」といふ小說の

「あゝ秋だ!誰だか禿山の向ふを通る

と見江て、から車の音が虚空に響きわ

たッた・・・」といふ一節を思はせます。

野瀬市郎氏の「木人語」の冒頭に書いて

ある人生觀は同感です。

⦿僕の「惡魔派」は、僕の体験の記述で

すから、なるべく、すべてを書きたいの

ですが、体験通りにかくと、風俗壊亂に

なるのは解りきつたことですから、わ

き道ばかりを、わりに長く書いて了つ

てごめいわくでせうが、あと十五枚ほ

どで終へますからそれまで、がまんし

て下さるやうおねがひいたします。タ

イムスには仲々、批評家がゐられます

からあんな愚劣なものをかいてゐると

葬られて了ひさうですが、僕自身にと

つては忘れがたい記錄ですから、かま

はずに書いてゆく考へです。

⦿宮川清平君が、處女戯曲を書かれた

さうですが、僕はその發表を心待ちに

してゐます。僕は貧乏書生つぽのくせ

に、芝居や映畫や音樂が好きで、その方

面のことなら、自分の生活のための仕

事以上に、力を入れてゐる男です。宮川

君の書いたものが、よければ、すこし

けいこをして、室内劇でもやつてみた

いと思つてゐます。

⦿今夜は、頭がへんに重くて、思ふやう

に書けません。あなたへ宛てたのか、誰

れにあてたのか、サツパリめどのつか

ないことを書いて了つて失禮です、頭

の惡るい僕にめんじて、おゆるし下さ

い。柏崎には、東京朝日新聞のやうな活

字はムいませんか。あれだと、よほど、

行も多くなり、より以上、美しい印刷が

出來ることゝ思ひますが。しかし、こん

な考へは贅澤なことですネ。どうぞ、お

身体お大切に。(二月十二日夜)


(越後タイムス 大正十二年二月十八日 
      第五百八十五號 七面より)


#コラム #大正時代 #菊池寛 #父帰る #ダダイスト #中村葉月
#越後タイムス #手紙 #消息 #書簡



ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵




いいなと思ったら応援しよう!