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ワクチン問題の先を考えよう

というのは、いつまでも隠し通すのが難しいものです。確認のしようがないものならまだしも、私たちの身の周りで、直接的な影響があるようなことに関しては、いずれバレてしまうと考えるのが自然です。

ワクチンの話なんかは、しばらくの間であれば、その問題点を隠しておくことができるかもしれません。でも、これだけ多くの人々が打ってしまっているわけですから、いつまでも隠し通すというわけにはいかないでしょう。

今般の新型コロナワクチンに関して、既に海外では、その危険性が気づかれたしまったようで、なかなか追加接種が進んでいません。最近では、日本だけが頑張っていた状態だったものの、そのスピードも徐々に鈍化してきたようにもみえます。

Our World in Data
COVID-19 vaccine boosters administered per 100 people」より

当たり前です。

あんなめちゃめちゃな薬剤・・・薬剤というよりも毒物を体内に注入させて、「これがパンデミック克服の切り札」だなんて、到底、受け入れるわけにはいきません。目の前で人が死んでいったり、おかしくなっていく人たちが出てきたら、さすがにどんなおバカさんでも気付きます

しかし、問題はここからです。

死亡しましたというのを認めて、救済を出してるのに、因果関係は発表できないって結構ヤバい状況ですね。
この因果関係を認めちゃったら、日本国内だけの問題に収まらない、世界中に飛び火するから、「ファイザーさん、アストラゼネカさん、武田さん大丈夫ですか?準備できてますか?そろそろ準備しないと私たちもたないですよ。因果関係言っちゃいますよ

いずれです・・・いずれ真実が明らかになるでしょう

そのときの様子は、何となく想像がつきます。騙された国民・市民が怒り狂うわけです。

製薬会社や政府に対して、ものすごい怒りをぶつけることになり、社会はガタガタになります。その頃のメディアは、手のひら返しで政府を批判し、民衆の味方となって、さらに怒りを焚きつけることでしょう。

そして、その先に待っているのは、国民に国家を打倒させるというシナリオです。

世界共産主義を実現するには、国家の仕組み・存在は邪魔になります。その国家を排除するためには、国民の怒りを爆発させ、「国家を倒す国民が正しい」というお膳立てのもと、世界共産主義への道筋を通すというわけです。

「国民に国家を倒させる!?」より引用

この記事を書いたのは、既に一年以上前ですが、今、キレイにこうしたシナリオに乗って、事が進んでいるようにみえます

こんな警鐘を鳴らす人の言うことについても、私たちはよく考えておく必要があると思うのです。

今、目の前で起こっているワクチンの問題は、大変悲劇的であり、多くの人にとっての重大な問題です。だから、そんなヒドイことがされていたなんてことが分かってしまったら、それを指揮していた人間を攻撃し、それを否定し、また別の何かを求めるようになるというのも分かります。その先にあるのが、世界統一政府という仕組みです。

世界統一政府だなんて、鼻で笑う人もいるでしょう。

けれども、国民の極度な政府不信が広まることで、自ずと民衆の側が、世界統一政府という新しい仕組みを求めることは、十分に考えられます。そして、民衆の側は、それを「自分たちの選択」と考えるかもしれません。

しかし、実際のところ、それはただ「選択させられている」だけだということです。

大量に殺さないといけないときは、その対象をパニックに陥れてはダメなのです。相手が大勢いる分、彼らにパニックを起こされてしまっては、ひとたまりもありません。
大量に殺される側には、その向かっている場所が安全だと思いこませ、安心させ、そして自らの足で死地に向かうように仕向けるのが、賢いハンドラー(動物を扱う人)の条件なのだといいます。

「人間界でも「弱肉強食」」より引用

目の前に吊るされたお題目を追っかけるだけで、ただただ、感情に任せて行動しているだけでは、上掲記事で取り上げた「家畜たち」と大差ありません。賢いハンドラー(動物を扱う人)に、意のままに操られるだけの存在ということです。

そんな人々の行動の結果、世界共産化への道筋を開かせてしまうわけですから、そんなものに巻き込まれるのは、たまったもんじゃありません


だからこそ、そうしたことを理解している人々が考えるべきは、そこに分岐点があるということです。

極度な政府不信を覚えたときに、その仕組みを批判し、責め立て、誰かが作った新しい仕組みに頼るのではなく、もう自分たち自身で何とかしようと決めることです。

ワクチンの問題、そんなものは「点」でしかありません。そればかりを一所懸命追ったところで、私たちの気分が晴れるわけでもないですし、彼らが用意したシナリオから逃れることもできないでしょう。

たとえ今の日本という国家がなくなったとしても、私一人になるとしても、私は日本人としての誇りと気概を持って、生きていくつもりでいます。

「亡国の覚悟をもって当たるべし」より引用

悲壮感は要りません悲観的になるのも違うと思います。

自分たちが、自分たちの生きる道を、自分たち自身で切り開いていく・・・当たり前のことです。考えようによっては、ワクワクすることだと思います。そんな当たり前のことを、淡々とやっていける人たちには、これから先、割と明るい未来が拓けていくのではないかと思えてなりません。


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