「ファクトチェッカー」という害悪
2020年の米国大統領選挙中、さまざまなデマが飛び交っていると問題になりました。TwitterやFacebookなどは、そうしたデマに対して、投稿やアカウントを凍結・削除するなどの対応をみせました。トランプ大統領のアカウントも、その対象でした。
このデマかどうかを判断するのが、「ファクトチェッカー」と呼ばれるものです。例えば、Facebookの「ファクトチェッカー」については、こちらのページにその中身が記されています。
1. 虚偽: 事実の裏付けがないコンテンツ。
2. 改変: わかりやすくするため、または品質を上げるための調整という範囲を超えて、利用者を誤解させる可能性のある方向に編集または合成された、画像、音声、または動画のコンテンツ。
3. 一部虚偽: 事実に照らして不正確な情報が含まれているコンテンツ。
4. 背景の説明不足: 背景情報が不十分なため誤解を招く可能性のあるコンテンツ。
5. 風刺: 特に政治的、宗教的、または社会的な問題の文脈において、批判または認識のために皮肉、誇張、不条理を使用しているが、一般的な利用者には風刺的であるとすぐには理解されない可能性があるコンテンツ。
6. 事実: 不正確な情報や誤解を招く情報が含まれていないコンテンツ。
※Facebook「ファクトチェッカーによる評価の種類」より抜粋
もっともらしいことが書いてありますが、いずれも判断基準は明確ではなく、恣意的にファクトチェッカーが判断できる余地がある内容になっています。例えば「虚偽」という言葉をひとつとってみても、それがどうして虚偽なのか、証明するのはなかなか難しかったりします。
例えば、トランプ大統領は、在任中から、新型コロナウイルスの発生源は中国・武漢の研究室であることを指摘していました。そのことを意味するように「中国ウイルス」といった表現を使うこともありました。しかし当時、このトランプ大統領の発言は陰謀論扱いされました。つまり、虚偽であるということです。
ところがここにきて、その武漢研究所からの流出説が有力視されるようになってきました。一年前、トランプ大統領の見解を陰謀論扱いして叩いていた「ファクトチェッカー」も突如態度を翻して、武漢研究室漏出説に傾いているとのことです。絶対に間違ってはいけない「ファクトチェッカー」が間違っていたということになります。
今になって、トランプ大統領の主張を陰謀論として切り捨てていたワシントンポストの言い訳もひどいものです。
陰謀論という言葉は、トランプ氏や他の人々の荒唐無稽な主張をカバーするための代用語で、実際に私たちが知らない何らかの陰謀があったことを否定するものではない。
※Washington Post「The vexing ‘lab leak’ theory on China and the coronavirus」2021年5月25日より引用(機械翻訳)
要は、「たしかに武漢研究所による陰謀はあったかもしれないが、それはトランプ大統領が言ったから陰謀論として片づけられた」というのです。この論法に従えば、事実がどこにあるかではなく、それを誰が言ったかで陰謀論(虚偽)かどうか決まるということになります。こんなバカげた話はありません。
この問題が厄介なのは、ある特定の立場の人(もしくは組織)に「ファクトチェッカー」という肩書がついていることです。それは第三者機関とされている「ファクトチェッカー」でも同じです。複数の主張がなされて、それらが対立しているときに、「ファクトチェッカー」という絶対的に正しい、審判のような立場で物を言う割には、それ自体が正しいという保証がどこにもないということです。ただの(胡散臭い)肩書にすぎません。今回の武漢研究所漏出説を巡る顛末は、その胡散臭さを見事に証明してみせたと言えるでしょう。ただの「一つの主張」に、「ファクトチェッカー」などという特別な地位を与えること自体、問題があるということです。
もっと踏み込んだ言い方をすれば、その「ファクトチェッカー」が買収されてしまうことで、ファクトチェックを装ったミスリードが横行することになります。事実、Facebookで採用している「第三者機関」とされている「ファクトチェッカー」には、米国で問題視されている中国企業からの資金が入っていたことが指摘されています。
こんな組織が、ファクトチェックをするなどということが、問題でないわけがありません。また、そもそも「ファクトチェッカー」が組織である以上、何らかの資金を入れる必要があるわけで、そこに中立性なるものが存在しないことは、当然と言えば当然です。
そう。問題は真の「ファクトチェッカー」なんてものは存在しえないのに、さもそんなものがあるかのように見せることにあるのです。逆の言い方をすれば、「ファクトチェッカー」が出てきた瞬間、それは怪しいと疑うべきでしょう。
2020年の米国大統領選の不正疑惑については、「ファクトチェッカー」が大活躍しました。私的なことながら、昨年、私はFacebookに以下のような投稿をしました。
米国大統領選の不正疑惑に関連して、ミシガン州アントリム郡で出されたレポートを紹介する投稿です。これに対して、ファクトチェックが入り「Claims ≠ Proof(主張≠証拠)」という表示がなされました。
たしかに私は「証拠」という言葉を使いました。しかし、それは「証拠」ではなく「主張」であることを、いちいち「ファクトチェッカー」から指摘を受ける必要があるのでしょうか。仮に「証拠」の要件が、裁判で提示され、証拠能力があると認められることであるならば、私の投稿は「証拠」ではなく、単なるそう思うという「主張」に過ぎません。しかし、それが「ファクトチェッカー」の仕事かどうかは、甚だ疑問です。もしそれを言い出すのであれば、メディアが使う「証拠」という言葉は、根こそぎ取り締まられるべきでしょう。「ファクトチェッカー」の働きは、特定の方向へ誘導するための言論統制であること以外、他に考えられません。
つまり、大手SNS事業者は、異なる主張の衝突をオープンにすることなく、「ファクトチェッカー」という立場の人や組織が審判を下させ、片方の口を一方的にふさいだのです。
そして今、世界的に流行している病気についても同じようなことが起こっています。「ファクトチェッカー」なるものは、害悪でしかありません。今、我々は「ファクトチェッカー」に対して、厳しく目を光らせるべきだと思います。