「ストーリー性」を大事にして生きる
最近は、ほとんどアニメやゲームを楽しむことがなくなりました。しかし、昔は割と、そういう娯楽もしていました。そういうものから派生するネットスラングも、楽しみのひとつです。
もう10年以上も前ですが、そんなネットスラングのなかには、「誠死ね」というのがありました。これは、「School Days」というアニメ・ゲーム作品に登場した、伊藤誠というキャラに向けられた言葉でした。
一時期、ニコニコ動画などをみていると、何の脈絡もなく、「誠死ね」というコメントがついたりしていたのを覚えています。
このように書かれていますが、とくにこれはアニメの影響だと思われます。
アニメに出てくる伊藤誠は、優柔不断なまま、複数の女性とお付き合いをしてしまい、それらの関係を整理できず、泥沼にはまっていきます。この時、誠の身勝手な言動に対して、ネットからは嫌悪・批判の声が高まり、「誠死ね」という合言葉のようなコメントが入れられるようになったのです。
アニメの終盤では、そうした女性関係がもつれにもつれ、誠はそのうちの一人の女性にめった刺しにされてしまいます。最終回は、放送中止になるほど、かなりの問題作とされています。
ただし、これはアニメの話です。この作品、元々はゲームであり、主人公・伊藤誠は、プレイヤーが操ることができるようになっています。
操るといっても、自由自在に操ることはできません。このゲームは、「フルアニメーションADV」というジャンルで、基本的にはアニメのような構成になっています。そのアニメの中で、重大な意思決定のところで、一時停止となり、プレイヤーがその決定をできるという仕組みです。
私、これやったことがあります。
ネット中から「誠死ね」と非難されていた伊藤誠、どのような結末になるのか、ちょっと興味もありました。
で、やってみたのですが・・・全然、変なことになりませんでした。
仮にここでは、A子、B子という女子がいるとします。そのA子やB子との間では、いろいろと揉めそうな状況があるにはあるのですが、それらを私なりに判断して、プレイを進めていくと、決定的なトラブルにはなりません。そして結局、A子、B子はどこかに行ってしまい、最後は「C子とハッピーエンド」みたいなかたちでした。
誠、イケてました。
言いたいことは、「ゲーム、ハッピーエンドだったぜ!」ではありません。
物事というのは、自分の行いで変わってきます。自分を取り巻く環境、人間関係、受け取る感情・・・そういうものは、自分の心の持ち方だったり、筋立てた意思によって、いくらでも「気持ちの良いもの」にしていくことができるということです。
たかがゲームではありますが、この世の中にも同じように、ストーリー性というものがあるということです。自分の生きている意味と真剣に向き合い、自分が思い描く「気持ち良いストーリー」、「筋が通ったストーリー」を紡いでいくことで、自分自身が、そのなかのキャラクターとして、気持ち良く、筋を通して生きていくことができると思うのです。
その努力を怠ることはできません。
「どんなに努力したって、報われないことだってある!!」という方、まぁ、それも否定しません。それはそれで、結構です。
しかし、私はそうは思いません。仮に、報われない努力というのがあるとしたら、それはその「向かうべき方向性が違うことを教えてくれている」だけだと思ったりします。
「向かうべき方向性」を知るということ自体、人生において、とてもとても重要なことです。
私なんぞが、プロ野球選手になれないことは、すぐに分かりました。そのための努力は、いくら頑張っても報われない努力です。それは、プロ野球選手になるという方向性が違うことを教えてくれているだけです。無意味ではありません。
大切なことは、そういうことを繰り返しながら、「向かうべき方向性」を探り続けるということであり、それこそが人生の醍醐味だということです。
話はガラリと変わって、現実世界に目を向けてみます。
私の人生のなかで、その「向かうべき方向性」として、私はこういうものに巻き取られるようなところにはいないと思います。
他の記事でも書いていますが、私は、こうしたワクチンや証明書の類を進める国や政府に対して、「戦いを挑もう」などとは思いません。
どうせ彼らは止まりません。どうしようもないです。
しかし、諦めるつもりもありません。大体、こんなのに巻き取られて、ワクチン打って、証明書もらって、何か楽しいことあります?!
私は楽しくないです。せっかくならば、楽しく、気持ちよくいきたいものです。ストーリー性を考えたら、壁が大きければ大きいほど、盛り上がるはず・・・きっとこんな感じです。
闇が怖くてどうする?♪♪♪ あいつが怖くてどうする?♪♪♪
自分の人生における、自分なりのストーリー性。大事にしていきたいものです。