自分の役割を教えてくれる暗号
自分は、どのように生きていくべきか?
なかなか、答えを出すのが難しいテーマだと思います。ポーンとこの世に放り出されて(生まれて)きて、「お前は何しに来たんだ?」と聞かれて、スッと答えが出る人は稀でしょう。
そんなわけで、人は生まれてくるときには、「何のために生まれてきたのか」が分かるように、何らかの手がかりが与えられているように思うのです。
いわば、暗号のようなものです。それがあることによって、自分がどう生きるかの方向性を定めることができるわけです。
ちょっと話を変えます。
これまで私は、日本の古代史について、何度か記事にまとめてきました。
そのなかで、神武天皇の「武」の字は、「武内宿禰」から来ており、その神武天皇の系統は、大化の改新以降の「天智系」と「天武系」の争いのなかで、途絶えてしまったのではないかと考えています。
この話、私は日本という国の成り立ちを考えるうえで、非常に重要なことだと捉えています。
これから先、国のかたちが揺らぐかもしれない状況にあるなかで、「そもそも日本ってどういう国だったんだ?」ということを、あらためて考えおくことは、非常に重要なことです。
とくに日本という国を考えるうえで、今の天皇システムが、外国勢力に利用されていることが懸念されるようであるならば、それを否定する選択肢だってなければなりません。
今の天皇の正統性を妄信する必要はありません。そして、私たち日本人が、そんな今の枠組みの中で、無条件、国家に隷属することを受け入れるべきではありません。
私が、こんなことを考えるようになったのには、いくつか理由があります。そのうちのひとつが、冒頭に述べた、私の人生に埋め込まれた暗号です。
4月3日は、初代・神武天皇の命日ということで、日本中の神社では、お祝いがされいていると思います。大きな神社だと、神武天皇祭というのが行われているところもあります。
そして、私の誕生日も4月3日なのです。奇しくも、初代・神武天皇祭が行われている日です。それを知ってから、私のなかに神武天皇を感じるようになりました。
そして、私の苗字は、字こそ違えど「たけうち」です。当然、武内宿禰のことを考えます。必然的に日本という国の成り立ちについて、真剣に考えるようにもなるわけです。
このことは、私にとって、私が「何のために生まれてきたか?」を教えてくれる暗号だと思っています。
つまり、日本という国の成り立ちを考え直し、必要であれば、もう一度、国を作り直していかないといけないというメッセージだと受け止められるのです。
私は以前、いざとなったら、みんなが生きていけるようなコミュニティー基盤を作りたいということを記事にしました。
これは、仮に日本という国がダメになるようであれば、新しく国を作るくらいの覚悟で、そのコミュニティーを立ち上げるんだという勇気を与えてくれています。
そんなことが本当にできるのか?・・・知りません。
けれども、私が4月3日生まれで、「たけうち」という姓である以上、自分はそのために生まれてきたのかもしれないと思えるのです。そして、それを進めるだけの勇気をもらえるのです。
本当にそうであるかは関係なく、それで十分ではないでしょうか?
ちなみに私は、神武天皇以外に、お釈迦様やイエス・キリストを自分のなかに感じたりしています。それを示す暗号も、自分なりには「あ、これかな?」というものがあります。
実際、それが本当かどうかなんて分かりません。けれども、そういう暗号を読み解いて、「あ、自分はこのために生まれてきたんだな」と思えるのなら、それは大切にしていって良いのではないかと思うのです。
ちょっとした遊びです。
自分なりに、自分の人生のなかに秘められた暗号を探してみて、そこから自分が生きるべき道を考えてみるというのは、結構、楽しいような気がします。人生、楽しんだもの勝ちです。
蛇足ですが、イエス・キリストは、既に復活していると思います。
ただし、その復活は、誰か一個人の肉体に宿るような復活ではない気がしています。
考えてみてください。
天に戻ったイエス・キリストが、また前回と同じように一人の肉体に宿るような復活を遂げたところで、また人間は、その魂が宿った一人を神格化しておしまいです。今の大多数の人間に、イエス・キリストが説いていた真理を理解させるのは無理だし、イエス・キリストにしたって、そんな同じ過ちを犯すほど間抜けではないと思います。
天に戻ったイエス・キリストは、肉体から解放されて万能になったはずです。そうであるならば、わざわざまた一人の肉体に戻ったりはしないでしょう。全体の集合意識を通じて、複数(多数?)の人間に、自分の魂をコピーして、人類の覚醒を促すくらいのことをすると思います。
そうだとしたら、勘のいい人間は、今、生きながらにして、イエス・キリストの復活を自分のなかに感じられると思うのです。
私が言っている「自分のなかにイエス・キリストを感じる」というのは、私がイエス・キリストの生まれ変わりとかいうのではなく、そんな複数(多数?)の人間が感じるであろうイエス・キリストの復活が、自分のなかで起こっているといった感覚です。
そう考えると、世界中の多くの人のなかで、既にイエス・キリストの復活は起こっているかもしれないと考えることができるわけです。
そして、仮にそうだとしたら、あなたの人生にだって、イエス・キリストが秘められているかもしれません。
もちろん、イエス・キリストに限ったことではありません。何でもいいのです。
そんなことを思わせてくれる暗号、ちょっと探してみたらどうでしょう。
生年月日?名前?あだ名?出身地?職業?親?友達?兄弟?恋人?子供?住んでるところ?神社?ペット?失敗経験?成功経験?不思議体験?
さぁ・・・どんなのがあるでしょう。探してみたら、ちょっと楽しいかもですよ。
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