見出し画像

コンプレックスなんてやっつけちゃえ

ちょっと問題のある人がいました。どこに問題があるかというと、一言でいえば、コンプレックスを克服できていないという点です。

コンプレックスなんて、自分自身の問題です。さっさと解決してしまえば、なんてことはありません。それを解決してしまうことで、世界がまるで違ったものになるはずです。もちろん、集まってくる人たちも変わってきます。簡単にいえば、人生は好転していくことになるでしょう。

でも、なかなか難しいということでしょうか・・・。

その人と話をしていると、「●●さん(有名人)は、知り合いなんです」というのが、よく出てきます。本当に知り合いなのかもしれません。でも、「で?」ってなってしまいます。

これだけだとよく分かりませんが、その後、いろいろとエピソードを聞き重ねていくと、その人自身がコンプレックスの塊であることがハッキリしてきました。

初めて、あるところで他己紹介(第三者に紹介)をされたとき、「この人は■■にいたんですけど、今は無職です」と説明されたそうです。その紹介をした人は、「無職であることがカッコいい」というつもりで、そういう紹介をしたといいます。

しかし、その紹介をされた当人は、そのことにとても怒っていたそうです。

無職だなんて紹介されたら、そりゃ怒るだろう

そう思われる人もいるかもしれません。けど、それは本人が「無職がみっともない」と思っているからではないでしょうか。
※逆を言えば、こういう人は、無職の人を見て「みっともないヤツ」と思う感性の持ち主でもあります。

私にも「プータロー」をしていた時期があります。「ニート」と呼ばれた時期もありました。でも、そう言われて、ちっとも嫌な気分はしませんでした。「えへへー、そうなんですよー」ってなもんです。いやむしろ、両手を腰に当てて胸を張って、「そうなんです!今は誰にも縛られていません!」くらい言ってやってもいいところです。

もちろん、「無職」を見下して、いじってくる人もいます。

私が「プータロー」をしているとき、深夜アニメをたっくさん見ていました。今は、なかなか見る時間も確保できないですが、当時は比較的「アニヲタ」の部類に属していたと思います。

そんなとき、とある飲み会に呼ばれて、大企業にお勤めのお偉いさんとお話をしました。「無職?へー、何してるの?アニメ?アニメは何見てるんですか?」と聞かれたので、私も真面目に答えようとします

しかし、その彼は、私の答えなんて全く聞く気がありません。質問を終えるや否や、ヘラヘラと笑って周りを見渡すだけなのです。その日は、万事そんな調子です。「プータロー」の私に質問をしては、その答えを聞かぬまま、ヘラヘラと笑うことを繰り返します笑いものにする、というやつです。

「あー、この人は無職をナメてんな

そういうのは、私にだって分かります。そういう人は、面倒だからスパッと切ってやればいいと思います。

しかし、冒頭の他己紹介をした人は、「無職がカッコいい」と思って紹介をしたといいます。当然、無職をナメたような言い方はしていないでしょう。

そこで問題になっているとしたら、結局、紹介をされた人自身、自分が無職であることにコンプレックスを持っていたということだと思います。そうでなければ、私と同じように両手を腰に当てて、「そうなんです。自由人なんです」って、胸を張ってやればいいだけのことです。何のトラブルにもなりません。

その後、その方はいろいろあって、最近、自分で整体の治療院を開いたそうです。聞いてみると、「とある人に、今やっている出前配達の仕事をアルバイトと言われて、頭にきた!自分は個人事業主なんだっ!」とのことでした。そして、自分が個人事業主であることを証明するためにも、治療院開院の準備を急いだとの話でした。

まぁ・・・そういう悔しさをバネにして頑張ること自体、悪いことだとは言いません。しかし、そんなコンプレックスをエネルギーにして、果たしてどこまでうまくいくのかは疑問です。

曰く、「自分は、治療院やっている医療関係者だから、食料問題が起こったら患者さんのためにひと肌脱ぎます。飢え死にする覚悟です」とのこと・・・。いろいろ違和感だらけです。医療関係者が患者さんのために命を捧げるみたいな話は、聞かないわけではありません。美談として語られることもあります。しかし、それってすごく重い話です。

医療関係者が命を捧げる」といえば聞こえはいいけれど、このケースでは、むしろツッコミどころしかみえません。ツッコミどころだらけなので、何が問題なのかは、ここでは敢えて詳述しません

いずれにしても、大丈夫か?と思わずにはいられません。コンプレックスをエネルギーにして走ってしまっていると、いろいろとひん曲がっていくのが見えて仕方がないのです。

さらに、その方は近く結婚をされるということでもあったので、奥様のためにも生き抜くためのアドバイスをさせていただいたこともありました。大切な家族のためにも、自分と自分が大切だと思う人たちを守るためにも、食料危機の問題など備えるべきことがあると思ったのです。

しかし、そういう私の話に対しても、「利己的なのはダメですよ」と、逆にたしなめられてしまう始末です。それは議論ではなく、自身のコンプレックスを穴埋めするためのただのマウンティングでしかありません。

いやいや、私は繰り返し「自我と宇宙の一体化」の重要性を説いているのであって、もはや私に対しては利己的・利他的の議論は無意味だって言ってますやん?

でも、話は通じません

「そういう難しい理屈や議論は苦手だからよく分からない」と言う一方で、自分のコンプレックスの穴埋めをするために、他のところでは「竹内は利己的」と言いふらされるのでした。

分かります。そうすることで「利他的な医療関係者である自分」は、竹内に負けてないと言いたいのでしょう?分かる、分かります。

「けど、違いますねん。そこに答えはないねん。勝ち負けもないねん。問題は、全てあなたのなかにありますねん

もう・・・どうしようもなさすぎて、思わず関西弁になっちゃいますがな

相手からすれば、説明されるほど、お前は間違っている。お前は理解できていないというように聞こえ、認知が歪んだ反論をし出す。
故に敵意帰属バイアスの発動した相手への対処法は、それ以上触れない。それ以上に相手に敵意を作るきっかけを与えないことです。
またもし自分の周りにそういった人がいるなら、わざと負けてあげてください。
またその状態から救い出したい人がいるなら、冷静になった時、この事実を教えてあげてください。
問題は劣等感。解決策は自信をつけることです。

コンプレックスというのは、本当に恐ろしいものです。

でも、自分自身の問題でもあります。自分しか解決できない問題であると同時に、自分さえ何とかすれば解決できる問題でもあります。

その方が、ご自分のコンプレックスを克服できるかどうかは知りません。そんなものは、あくまでも本人が何とかしなければいけない問題です。私の知ったことではありません。

ただ少なくとも、自分自身のコンプレックスを克服できない人が、次の時代で、うまく調和した生き方ができるとは思いません。ただでさえ、大変な世の中です。自分自身の問題なんて、チャチャッと片付けて世界の問題に向き合っていくのがいいように思います。

今のところ、私とその方の人生は、今後交わりそうにありません。コンプレックスの塊のような人、私だって関わりたくはないです。しかし、いずれそのコンプレックスを克服された暁には、何かあるかもしれません

できることなら、そう願いたいものです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?