時間も労力も有限だから
朝、田畑に向かっている間、大体、その日のうちにすべきことというのは、頭のなかにイメージしています。例えば、こんな感じです。
そして、実際に田畑に着くと、本当にそれでいいのか?ということを、今一度、考えます。
予め、優先順位は考えておくものの、それらが僅差だったり、天候やお手伝いの方が来てくれるかどうかなどで、到着した時点で、すべき作業が変わったりするわけです。
で、決めます。
「よしっ、まずは雑草取りをしちゃおう」
これが始まると、まず3時間くらいはかかります。あっという間にお昼です。体力も消耗します。
したがって、朝の決断は、とてもとても重要です。
決断をした時点で、自分の時間と体力という限られた資源が、そこに投入されていくわけです。一度、そこに投入していくことになったら、取り戻すことはできません。
さらに、午前中の作業が終わったら、また午後は午後で、午前中終了時点での状況を鑑みながら、さらに「限られた資源」をどこに投入するかを考え、決断を下していきます。
これを繰り返していくのです。結構、大変です。
例えば、まとまった雨が降ることが分かっていたら、その直前に種まきをしておくと、水やりの手間を省けます。どうせ種まきすることが決まっているのなら、なるべく労力をかけないで済む方法を考えなければいけません。
また、種を直まきする場合、マルチ(畑に張る黒いビニール)張りが終わっている必要があります。仮にマルチ張りが終わっておらず、そもそもマルチがないような状態だったら、それも事前に調達しておかなければいけません。
そうしたら、その日の朝にマルチを買いに行けるのか?帰りがけに買えばいいのか?全体のスケジュールを考えながら、そんなことにも頭を巡らしつつ、移動時間を過ごします。
農作業そのものは、ただただ土を掘ったり、雑草を刈ったりという肉体労働にみえます。しかし、その裏では結構、いろいろなことを考えて、タスク管理をしていかないといけないわけです。
限られた時間と体力なので、それをどう使うか?に神経を尖らせないと、とてもじゃないですが、まともに進められません(神経を尖らせて進めても、結構、失敗したりします)。
ということで、農作業を始めるとなったら、意外と考えることだらけなのです。そして、そんなふうに労力も、時間も、頭脳もフルに使っていたら、それらをそれ以外のところに使う余裕はありません。
先日、久しぶりに家に戻ったら、母が元首相の国葬がなんちゃらという話をしていました。
「うん、なんか問題になっているみたいね?でも正直、どーでもいー」
お金がかかる?うん、そうでしょうね。けれども、それを言うならもっとドデカイ問題がいくらでもあります。
いわゆるガス抜きというやつでしょ?その時に叩ける話をテーマに挙げて、大衆にはそれを叩かせておくことで、何となく正義を振りかざした気になれるという・・・だから正直、どーでもいーのです。
農業に限りません。私たちの時間や労力は限られています。
そして、そんな自分の時間と労力をどこに注ぎ込むかは、どう生きるか?ということとも同義です。無駄なこと、意味のないところに注ぎ込んでしまったら、それらを捨てることにもなります。もったいなくて仕方ありません。
そうしたら、意味のある人生って何?ということを考えてみたくなります。
ただし、常に意味のある時間と労力の使い方をするというのは、非常に難しいことでもあります。これで満点を取るのは大変です。
しかし、少なくとも、意味のある人生になるように心がけることくらいはできるでしょう。
仮に、マスコミが誘導している「ガス抜き」に付き合わされているとしたら、それは私たちの時間と労力が、無駄なところに費やされている可能性があります。そうならないための対策は、意味のあるかたちで時間と労力を投入できる、より大事な何かを探すことではないでしょうか?
はい、ということで、私のおススメは農業です。
考えること、たくさんありますし、余計なことになんて構ってられなくなります。自ずと雑音も入ってこなくなります。
実のある人生になっていくんじゃないですかね。
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